「GONE」

11. スケアリーとニコラス刑事と夜の公園

 日が暮れて夜の闇に包まれた寂しい住宅街をスケアリーとニコラス刑事が歩いていた。ニコラス刑事ったら、こんな寂しいところにあたくしを連れ出していったいどうするおつもりかしら、とスケアリーはおかしな期待をしていた。ニコラス刑事はスケアリーがまた小さな刺客の話とか、理解不能な話を始めないかとヒヤヒヤしながらなるべく当たり障りのない話をしながら目的地へ向かった。

 暗い住宅街を歩いていると、さらに暗い児童公園が見えてきた。ニコラス刑事は「あの小さな公園です」と行ってその公園を指さした。ニコラス刑事ったらこんな暗い公園にあたくしを連れ込んで、まさかいきなりキッスなんてことはないでしょうねえ、とスケアリーはさらにおかしな期待を抱いた。ニコラス刑事はスケアリーが公園の暗がりの中に何かが見える、とか理解不能な話を始めないかと心配していた。

 公園に入るとほとんど明かりのあたっていないベンチに人影が見えた。その人影は二人が到着したことに気付いてこちらに向かってきた。街灯の明かりが届くところまでくると公園にいた男とスケアリーは「おや?」という感じで目を合わせた。

「あなたは今朝あの家にいらした…」

スケアリーがその男に聞くとニコラス刑事は不思議そうにしていた。

「あれ、二人は知り合いですか?」

「知り合いなんかではありませんけど」

スケアリーは今朝のことを思い出して少し機嫌が悪そうに説明を始めた。

「あたくしは今朝、捜査の必要もない事件に呼び出されたんですのよ。そこにいた人たちの中にこの方もいらしたんですのよ。…もしかして、あなたの伯父様ってあのニコラス刑事さんのことですの?」

スケアリーが先程ニコラス刑事と話していた時には気が動転していたので気付かなかったが、事件の内容とニコラス刑事という名前を考えたら、伯父というのはニコラス刑事と気付くはずだった。スケアリーは不満げに目の前にいる依頼人の男を見ていた。

「あの、今朝は失礼しました。でも実を言うと私はあの時にあなたが帰ってしまったので残念だったのです。私はどうしてもあれで事件が解決したとは思えなかったのです。それで、ここにいるニコラス刑事さんに相談したんですけど、二人ともあなたに協力を依頼したんですね。それだけ頼りにされているということを知って私も安心しました。来てくれてありがとうございます」

この男はお世辞を言うのがなかなか上手いようで、スケアリーもすっかり気分が良くなっていた。

「話はだいたい、ニコラス刑事さまから聞きましたわ。それであなたの帰ってきたけど帰ってきていないお友達は今何をしていらっしゃるの?」

「他の友人達とパーティーです」

「あら、それは羨ましいことですこと」

と言いながら、スケアリーは自分の質問にあまり意味がなかったと思っていた。

「実はあたくし、あなたのお友達の失踪事件とよく似た事件を捜査しているんですのよ。あなた達の言っていた事件当時の状況とその失踪事件はよく似ているんですの」

「本当ですか!?その事件はいつ起きたんですか?」

「ちょうどあたくしがあなたお友達の家から帰ったぐらいかしら」

それを聞いて男は何かの確信を掴んだかのように静かにうなずいた。「一人出て、一人入る」と良く解らないこともつぶやいていた。

「あの、変な事を聞きますが、生身の人間がコンピューターの中の仮想世界に入り込んでしまうことってあり得るのでしょうか?」

これまで黙って二人の話を聞いていたニコラス刑事だったが、この質問を聞くと少し怪訝な表情になってスケアリーのことを見た。こんな質問は科学的な視点で否定するのがスケアリーの役目なのだ。しかし、スケアリーにはヨシオ君の事件のこともあり、この質問に科学的な根拠を持って否定するだけの自信はなかった。もちろん、そんなことがあり得るとは少しも思っていないのだが。彼女はここにモオルダアがいないのを悔やんだ。彼ならアッと驚く理論でこの質問に答えを出すに違いない。

 何も答えずにしばらく黙っていたスケアリーは彼女を見つめるニコラス刑事の視線を感じた。せっかくニコラス刑事さまがあたくしを呼んでくださったのに、これでは失礼ですわ、と思ってスケアリーはなんとかして説明してみることにした。

「あなたの友人と今あたくし達が捜索しているヨシオ君には一つ共通点があるんですのよ。それは二人とも失踪する前にブログに夢中になっていたということですわ。そこに二人の共通する意志とか意識みたいなものが感じられますわ。この意識というのは本人の肉体にも大きな影響を与えることがあるんですの。例えば夢の中で死ぬと、その夢を見ていた人が本当に死んでしまうという話がありますでしょ?あれが科学的に証明されるかどうかは解りませんが、意識が人体に影響を与えることはそれ以外にも沢山ありますわ。身近なところで言えば、心配事が多すぎて思い悩んでいるうちに内蔵の病気になってしまったり、というところでしょうかしら。これで二人の失踪も説明出来るかも知れませんわ」

スケアリーはこれで二人が納得してくれることを願っていたが、そうはいかなかった。

「というと、つまり?」

依頼人の男が彼女に続きを促した。

「つまり、こういうことですのよ」

スケアリーはこの先を続けるべきか迷ったが、ニコラス刑事も興味を持ってこちらを見つめているようなので続けることにした。

「つまり、二人は意識のどこかで自らコンピューターになることを望んでいたんですのよ。もっと早くもっとたくさんのブログ記事を書きたい。ということは自らがコンピューターになるのが一番ですわね。そう思っているうちに肉体が少しずつ電波の一種になって放出されて、それが無線LAN経由でコンピューターの中に入り込んだに違いありませんわ!」

スケアリーはこう言いきると、チラッとニコラス刑事のことを見た。きっとあたくしのこの完璧なインテリジェンスにニコラス刑事さまは惚れ惚れしているに違いありませんわ、と彼女は思っていた。ニコラス刑事はスケアリーがペケファイルの担当になって仕事をしているうちにおかしな考え方をするようになってしまったのだ、と思いスケアリーを気の毒に思ったと同時に気味が悪いとさえ思っていた。

 依頼人の男は意外と感心してスケアリーの話を聞いていた。

「ということは、やっぱり私の友人はまだコンピューターの中ですね」

そういう会話にはもうついていけない感じのニコラス刑事はスケアリーが何と答えるのかに興味がわいてきた。ニコラス刑事の熱い視線を感じて、スケアリーも話に熱が入ってくる。

「あなたはどうしてそう思うんですの?それから今朝帰ってきたあなたの友人は誰だと思うんですの?」

「私の友人がもしもコンピューターの中に入れたとしたら絶対に出てきませんよ。そういう男ですから。帰ってきた偽の友人はきっとコンピューターの内部で外見をコピーした他の誰か、だと思うのですが」

「あなたは、ずいぶんと思い切ったことを言いますわねえ。でもどうしてその他の誰かはそんなことをするんですの?」

「いや、それは…何というか、身内のゴタゴタといいますか。あまり詳しくは話したくないのですが…」

「遺産相続とかの問題ですの?」

「…いやあ、そんなことよりもっとくだらないことなんで…」

「まあ、良いですわ。だいたいのことは解りましたからあたくしとニコラス刑事さまで協力してみごと解決してさしあげますわ!」

スケアリーがそう言ったのを聞いてニコラス刑事は驚いていた。こんな不気味なスケアリーと一緒に捜査など出来るわけがない。その時、運良くニコラス刑事の携帯電話が鳴った。電話での短い会話を終えてニコラス刑事が電話を切るとスケアリーに言った。

「スケアリーさん。この事件はやはりペケファイルの二人が解決してください。実はボクはこの事件に関してあまり手出しが出来ないんです。これは警察の正式な捜査ではないから。それに今担当している事件に進展があったみたいで、ボクはこれからすぐに行かなくてはいけないんです。それでは、私はこれで失礼します」

こう言うと、ニコラス刑事は走ってその場を去っていった。

「まあ?!」と、なんともいえない感じでニコラス刑事の後ろ姿を見送っていたスケアリーだったが、ニコラス刑事が彼女のことを不気味に思っているとは少しも気付いていないようだ。

 スケアリーと一緒にニコラス刑事の去っていく姿を見送っていた依頼人の男だったが、何かを思いだしたようにスケアリーの方に向き直った。

「これは私の考えなのですが、この失踪事件にはあるルールがあるような気がします。コンピューターの中に入ってしまった人間が再び現実世界に戻ってくるには、別の誰かがコンピューターの中に入ってくる必要があるのです。一人がはいると一人が出てくる。そういう仕組みになっているようなんです」

「どうしてですの?」

確かにいきなり言われても理解出来ないルールである。

「私も素人なりにいろいろ調べていたんです」

そう言って男は持っていた封筒をスケアリーに渡した。

「その中に私の調べていたいろいろが入っていますから参考にしてください。それじゃあ寒いんで私はこれで失礼します。私の連絡先はその封筒の中に入っていますから」

そう言って男はスケアリーを公園に残して去っていった。スケアリーは封筒を持って去っていく男を見送っていた。

「寒いから帰る、ってどういうことかしら?」

そう独り言を言うと、夜の公園に冷たい風が吹き渡った。スケアリーは封筒を手にしたままブルブルと背中をふるわせた。言い知れぬ虚無感を感じながら、携帯電話を取り出すとモオルダアに電話をかけた。こういうふうに意味が解らなくなった時にはモオルダアの意味が解らない説明でも聞いてみるしかないのだ。

 しばらく呼び出し音を聞きながらモオルダアが電話に出るのを待っていたが、モオルダアは電話に出なかった。