「GONE」

23. モオルダアと帰ってきてない男とヨシオ君

 モオルダアは部屋の中を見回していた。ここはいつものボロアパートの汚い部屋のはずなのだが、どこか様子が違っている。

「ここは確かにボクの部屋だよ」

彼は目の前にいる男に言った。男は帰ってきた男と同じ顔をしている。この場所では「Themal Talisput(多分サマール・タリスプットと読む。以下「T」)」という名前を使っている。

「そんなことはないよ。隅の方をよく見てみなよ。普段あまり見ないようなところを」

モオルダアは言われたとおりにした。普段あまり見ないところというのは考えてみれば沢山ある。机の下に放置されているがらくたや本棚の中の読む気のない本など。或いは引き出しの取っ手はどんなデザインだったのか。自分の部屋といってもいちいち覚えていないところは沢山あるのだ。そう思いながら部屋を見渡すと不思議な事にそれらの忘れている物がある部分はボンヤリとした影のようになっている。

「確かにおかしいねえ」

「いずれ全てが影になるんだよ。じゃなくて面影といった方がいいかな」

Tはモオルダアに説明した。モオルダアはそれでも良く理解出来なかった。

「でも、どうしたらそんな事が出来るんだ?物を消す事なんてできないだろ?」

「これは物ではありません」

ヨシオ君が言った。

「これはオルダモアさんの記憶なんです。今はまだこの部屋もかなりハッキリしていますが、ブログを書いているうちにすぐに忘れてしまいますよ。そうなったとしても自分で作り直せば良いんですけどね」

「ボクらには部屋なんか元々必要ないと思われてたんだよ。それから肉体だって必要ないんだ。ボクらには思考だけがあれば十分なんだ。ボクも始めは大歓迎だったよ。考えたことが全部ブログの記事になるんだから。だけど、もうそろそろここをやめたいと思ってるんだけどね」

Tは少しウンザリした感じで言った。

「やめるのは自由じゃないのか?」

モオルダアは聞いたがTは首を横に振っただけだった。

「退会については特に何も書かれていなかったはずです。次に誰かが入ってくるまでTさんはやめられないんです。でもそれも難しいでしょう。ボクら三人は書きすぎてしまうタイプの人間ですから。それ以上に書く人が現れないと入会は出来ないんです」

ヨシオ君が説明するとモオルダアは気の毒そうにTの方を見たが、そこにTの姿はなかった。

「あれ、どこ行ったんだ?」

と言ってヨシオ君の方を見たがヨシオ君もいなくなっていた。

 おかしな感じだ、とモオルダアはまた部屋の中を見回してみた。確かに時間が経てば経つほど部屋の中はボンヤリと霞んで見える。記憶なんてこんなものなのだろうか?試しにモオルダアは自分が子供のころ住んでいた家を思い出してみた。色褪せた写真に写っている自分の後ろの壁。自分が頭をぶつけてケガをした柱。人の顔に見えて恐ろしかった天井のシミ。思い出せたのはそれだけだった。

 モオルダアは考えるのをやめてもう一度今いる場所に目を戻した。するといなかった二人が戻っていた。

「ちょっとブログの更新をしに行ってたんだよ。ブログをやめたい、ということを千文字ぐらいで詳細に書いてみたよ」

Tが言うのを聞いてモオルダアはおかしな話だと思った。

「どうしてそんなことをするんだ?そんなに書くから新しい人が入ってこないんだろ?」

「でも、思ったことが全部記事になるんだから仕方ないよ。オルダモアさんだってさっき記憶についていろいろ書いてたじゃん」

「あれは書いたんじゃなくて思っただけだよ」

モオルダアは言ったが前にいる二人に笑われただけだった。

「信じられないと言うのなら、試しに何かを考えてみればいいんですよ」

ヨシオ君に言われるとモオルダアはちょっと視線を下に向けて考え始めた。するとモオルダアの姿が二人の前から消えた。

「考えてるね」

「考えてますね」

二人はお互いを見合ってにやついていた。

24. スケアリーと技術者と研究室

 技術者はスケアリーに頼まれてウィルス駆除のプログラムを書いている。始めはそんなことは一人で出来ることではないと言って、朝まで待ってエフ・ビー・エルの他の技術者が来るのを待つことを提案したのだが、スケアリーに優しい笑顔で頼まれるといやいやながら承諾した。もしかするとスケアリーの女の武器が初めて通用したのかも知れない。しかし、そんな事はどうでもいいのだ。本当に一人でウィルス駆除のプログラムを作ることが出来るのかどうかは解らないが、天才肌の技術者ならなんとかしてくれるかも知れない。

 スケアリーはというと「オルダモアの捜査ファイル」の内容をチェックしている。アクセスするたびに記事の数が百以上増えていき「同僚Sに関する謎」の記事などその他の記事にまぎれて忘れ去られてしまった。その全てを読んでいる気などスケアリーにはなかったのだが、先程から更新される記事の数が減っていることに気付いた。スケアリーは注意深く調べてみると、ある記事に大量のコメントがついているのが解った。

 そのコメントを表示させると、それはまるで同じ場所にいる三人が会話しているようなおかしな内容だった。

「みんなコンピューターの中に吸い込まれてしまったんですわ」

スケアリーがつぶやいたその言葉は技術者の耳にも届いていたが、彼はなるべく気にしないようにしていた。きっとそうとう疲れているに違いない、と思って彼は黙々と作業を続けた。

 スケアリーの見ていた記事のコメント欄には新しいコメントが書かれなくなった。そこで彼女は新着の記事を確かめてみた。思ったとおり新しい記事が投稿されていた。


「ヨシオ君について」


 ヨシオ君に言われたとおり考えてみることにした。何を考えればいいかしばらく迷ったのだが、ヨシオ君の顔を見ていたら、始めの私の推理が間違っていたことに気付いたのだ。そのことについて考察していこう。

 ヨシオ君に会う前、彼の友人の態度から察して私はヨシオ君もきっとモジモジしているに違いないと思っていたのだ。しかし私が実際に会ったヨシオ君は少しもモジモジしていなかったのだ。少し無口な感じはするが、それは年長者である私やTに気を使っているだけとも考えられる。

 しかし、気になる事がある。私の会ったのはヨシオ君であるが、それはヨシオ君自身と言うよりヨシオ君の書いた文章である可能性もあるのだ。文章には少なからず本人の性格が現れるものだが、そこから考えてもヨシオ君がモジモジしている可能性は低いと言えるだろう。

 ただ、問題なのは文章が思考から離れるのはいつなのかということである。人は言葉を使って考える。しかしその言葉をそのまま文字にしたところでそれが意味をなすとは限らないのだ。考えたことがそのまま記事になるといっても、その考えには何らかの加工が必要になるのである。…。


 面倒なことになってきたのでスケアリーはここで読むのをやめた。そして机に顔をうずめると眠りに落ちた。


 それからどれくらい経ったのか、深い眠りについてしまったスケアリーには解らなかった。目を開けると窓の外はうっすらと明るくなっていた。すごくイヤな夢を見ていたような気がしたが、もう一度眠りにつけばそんな事は忘れられると思えた。もう一度目をつむろうとすると、誰かに肩を揺さぶられてスケアリーは顔を上げた。

「出来ましたよ。行きましょう」

そう言う技術者の目の下にはくっきりとクマができていたが、何かを達成した時の満足感が滲み出ていた。それを見てスケアリーはやっと自分がどこで何をしていたのかを思い出しかけていた。彼女の肩にはいつの間にか毛布が掛けられていたが、まだハッキリしない意識の中でそれをたたんで机の上に置くと、目をこすりながら技術者についていった。