「GONE」

19. モオルダアとオルダモアと汚い部屋

 夜も更けてきて、もうモオルダアを邪魔するものは何もなくなった。彼がオルダモアの偽名で書き続けているブログの記事数は50を優に超えていた。キーボードで文字を入力する速度もどんどん速くなっているし、疲れて一休みしようなどということもないようだ。その姿を見ていると、彼が本当に頭で考えて何かを書いているのではなく、ただ適当にキーボードを叩いているようにも見えるのだが、画面上にはきちんとした文章が表示されていく。モオルダアはまばたきもせずその文字を目で追っている。

 部屋の明かりは小さな電球が一つ点いているだけである。じっとパソコンのモニターを見つめているモオルダアにはその周りにあるものの事などまるで視界に入ってこない。モニターに映るものだけが世界の全てである、という気にさえなっていた。

 しかし、いくら夢中になったとしても人間には限界がある。一心にモニターを見つめていたモオルダアだったが、モニターの周囲がスッと暗くなったような気がした。「さすがに疲れたなあ」といってモオルダアは目をつぶって頭を左右にゆっくりと振った。彼が首を曲げるたびにボリボリと首が鳴った。それから目を開けると軽く周囲を見回してから再びキーボードに手をのせた。

 モオルダアがまた何かを書き始める前に、彼には少し気になることがあった。さっき部屋の中を見回した時に、そこが自分の部屋でないような気がしたのだ。彼は手をキーボードの上にのせたまま目だけを動かして壁や天井を確認してみた。そこは確かにモオルダアの部屋なのだが、いつもよりも暗い。それに、その壁や天井は本当にそこに存在しているのか?と思えるほど存在感がない。この妙な状態にモオルダアは背中に冷たいものを感じずにはいられなかった。

 いったい何が起きているのだろうか?そう思いながらモオルダアは振り向いた時、そこには二人の人間がいてモオルダアをじっと眺めていた。モオルダアは驚いて飛び上がりそうになった。彼はその拍子に腕を思い切りモニターにぶつけていたのだが、それよりも驚きの方が優先していたのか、少しも痛いと思わなかった。

 二人はそのモオルダアの様子を黙って見ていた。モオルダアはこの二人がさほど危険ではない、少なくとも緊急に防衛本能を働かせなくても今のところは大丈夫だと思い、先程まで座っていた椅子を二人の方へ向け直すとそこに腰掛けた。

「オルダモアさん。コメントしに来ました」

一人が言った。

「オルダモアさん。トラックバックしに来ました」

そのすぐ後にもう一人が続いた。

 モオルダアの頭の中ではいろいろな考えがグルグルと駆け回っていたが、それはグルグルするだけで一つのまとまった考えとしてモオルダアに明確な答えを示すとは思えなかった。モオルダアは黙って二人を見つめるしかなかった。

20. スケアリーとモオルダアと薄暗い部屋

 スケアリーは車に乗って夜道をスッ飛ばしていた。怒りにまかせてエフ・ビー・エルビルディングを飛び出してきたとはいえ、一応の理性は働いているようで赤信号ではちゃんと停止する。停止線を大きくはみ出してはいたが、とにかく停止はする。

「なんなんですの、あの記事は!」

停止した車の中でスケアリーは誰に言うでもなく言った。もう何度この言葉を口にしたのか解らないが、とにかく言った。信号が青になるとスケアリーの車はタイヤをきしませながら急発進してまた夜道をスッ飛ばした。

 スケアリーの車はモオルダアのボロアパートの前に止まった。本来ならもっと道の端に車をよせないといけないのだが、スケアリーはそのまま車を降りてモオルダアの部屋へと向かった。それから間もなくスケアリーはモオルダアの部屋のドアを勢いよく開けた。そのドアには鍵が掛かっていなかったのか、それともスケアリーが怒りにまかせて力ずくで開けたのか、それとも鍵は掛かっていたがボロすぎたために鍵の役割を果たしていなかったのか。とにかくドアを開けるなりスケアリーは怒鳴った。

「ちょいと、モオルダア!何なんですの!」

モオルダアの薄暗い部屋にこの声が響き渡ったが、その直後に部屋は夜の静寂に帰っていった。ドアノブを握ったままスケアリーはこの静けさにイヤな胸騒ぎを感じながら部屋の中を見回してみた。二部屋しかないこの小さなボロアパートは入り口からでも部屋の隅々まで見渡せる。

「ちょいと、モオルダア…」

スケアリーの声は先程とは比べものにならないくらい小さく寂しげだった。スケアリーはゆっくりと部屋の中へと入っていった。小さな電球が一つとパソコンのモニターが部屋の中を照らしている。ここはただのボロアパートの汚い部屋なのに、どこか気味が悪い。スケアリーは鳥肌の立った両腕をそれぞれ逆の手でさすりながら部屋の中を見回している。

「ちょいと、モオルダア!いるのは解っているんですのよ!」

スケアリーはいつものようにモオルダアを脅す時の勢いで言ったつもりだったが、この部屋の気味の悪さのためにそれはあまりにも情けない声になっていた。それはスケアリー本人にも良く解っていた。認めたくはなかったが、この部屋の妙な雰囲気に言い知れぬ恐怖を感じていたのだ。「気味が悪いですわ」そうつぶやいて、スケアリーは部屋から出ていこうと玄関へ向かった。

「何だキミか」

スケアリーの背後で突然声がした。スケアリーは驚いて冷や汗が吹き出してくるのを感じたが、その聞き覚えのある声に少し安心して振り返った。

「ちょいとモオルダア、どういうこと…」

スケアリーは最後まで言えずに言葉を詰まらせた。そこにモオルダアの姿は見えなかったのだ。スケアリーはまた玄関の方を見た。それからもう一度振り返った。

「モオルダア?」

そこにはうっすらとしたモオルダアの姿が見えた。見えたというより浮かび上がったという感じで。

「来るんだったら連絡してくれないと、いきなり入ってきたらビックリするじゃないか」

モオルダアはいつものように喋っているが、スケアリーにはそれが亡霊か何かのように見えていた。彼女の目にはモオルダアの体をすかして後ろの壁が見えるような気がしたのだ。スケアリーは目を閉じてなんとか正気を保とうとした。「こんな事はあり得ませんわ!こんな事は…」そして目を開けるとモオルダアが不思議そうにスケアリーを見ていた。

「いったいどうしたの?」

そういうモオルダアはやはりいつものモオルダアだった。

「どうしたじゃありませんわよ!さっきから何度もあなたを呼んだのに。あなたは今までどこにいらしてたんですの?」

「どこって、ずっとここにいたよ。それよりもキミの方がボクの部屋にいきなり入ってきたりして。みんなに失礼じゃないか」

これを聞いてまたスケアリーは鳥肌を立てた。

「みんなって、どなたですの?」

そう言われるとモオルダアは辺りを見回した。

「あれ?キミが来たから帰っちゃったのかなあ。どうやらキミは彼らからそうとう恐れられているみたいだな」

スケアリーには何も理解出来なかった。それよりもここにいるモオルダアでさえ彼女がここに入ってきた時に姿が見えなかったのだ。ここはもう一度冷静になって考えてみようとしたが、それよりも前に彼女はこの部屋にいること自体が危険な気がしていた。これ以上モオルダアが理解不能な事を言ったり、不思議な事が起きると彼女までも常軌を逸してしまうような気がしてきたのである。

「あの、あたくしあなたがエフ・ビー・エルに戻ってこないから体調でも悪くしたのかと思って来てみたんですけど、大丈夫そうで良かったですわね。オホホホホ!」

そう言いながら玄関まで後退っていくと、ちゃんと靴も履けないまま外へ出ていった。

「なんか、変な感じだなあ」

そう言うとモオルダアは再びパソコンに向かって座ると次の記事を書き始めた。