26. 依頼人の男と帰ってきた男
その頃「パーティ会場」と彼らが呼んでいる部屋ではいまだに「人生のお悩み相談」が続いていた。依頼人の男は傍らで寝ている他の友人達を恨めしそうに見ていた。
あれからずっと帰ってきた男は自分の身の上話を依頼人の男に聞かせ続けている。依頼人の男にはそれがほとんど聞こえてこない。ただひたすらこの話が早く終わることを願っていたのだ。彼にとってこれほどつまらないものはない。こんな暗い話を聞かされていては、いくら飲んでも楽しくならない。それでも、真面目に話を聞くよりは飲んでいた方がマシだということで、先程からすごいペースで強い酒を飲んでいる。もう依頼人の男は目の前の男が本物かどうか、ということはどうでもよくなっていた。
依頼人の男の持っていたグラスが空になった。彼はまたビンを開けてそこに酒を注いだが、その間もずっと帰ってきた男は暗い話を涙ながらに続けている。依頼人の男は身体的にはそうとう酔っていたのだが、気持ちは沈んだままだ。「こんな時はあとでトイレに駆け込んで汚い音を外に響かせることになるに違いない」と依頼人の男は暗い気持ちで考えた。目の前の帰ってきた男が霞んで見えるほど飲んでいるのに。
帰ってきた男の話はさらに暗くつまらないものへ進展していきそうになっていたのだが、その時に異変が起きた。依頼人の男には帰ってきた男の体が、電波の届きづらい所で見るテレビのように見えてきたのだ。「これはそうとう酔ってしまったなあ」と思っている間に、帰ってきた男の姿はどんどん見えづらくなってくる。そればかりか、時々グニャッと異様な感じに歪んだりしていた。依頼人の男はこれは酒のせいではないかも知れないと少し焦りだしていたが、次の瞬間プツンという音と伴に帰ってきた男は消えてしまった。壊れたテレビがそれを最後に永久に映らなくなる時のように。
依頼人の男は驚いてしばらく帰ってきた男が座っていた辺りを見つめていたが「まあ、いいか」とつぶやいて、その場で横になった。が、すぐに起きあがるとトイレに駆け込み、外に汚い音を響かせていた。
27. ヨシオ君の部屋
「ちょいと!どうしてヨシオ君は戻ってこないんですの?」
スケアリーが涙を浮かべて技術者に詰め寄っていた。ヨシオ君の部屋にあるパソコンにはウィルス駆除のために使った装置とスケアリーがモオルダアの口を使って喋るのに使ったキーボードが接続してある。これらの装置を使って問題は全て解決したと思っていた技術者は少し困惑していた。
「戻ってくるって、こんなに早くは帰ってこないでしょう。ブログがなくなったんだからそのうち帰って来ますよ」
「そんなはずはないんですのよ!ヨシオ君はここで消えたんだから、ブログがなくなった瞬間にこの部屋に戻ってこないといけないんですのよ!あなたは自分のミスに気付いていらっしゃるの?」
技術者は装置が出力したものをチェックして自分の作ったプログラムがちゃんと謎のブログとウィルスを消去するのに成功したのが解っていた。それなのに、スケアリーは涙ぐんで彼を攻めている。
「もしかしてスケアリーさんは本当にヨシオ君がそのパソコンの中にいると思ってたんですか?」
この答えは言いたくなかったが、言うしかなかった。「だってそれ以外考えられないじゃありませんこと」と。しかし言う前にいいタイミングでスケアリーに電話がかかってきた。電話に出るとスケアリーの声のトーンはそれまでとは一段高くなっていた。
「あら、そうですの?それは良かったですわ!きっとあたくしとあなたの努力が実ったって事ですわね。…えっ?あらいやだ、それは冗談ですわよ。オホホホホ!」
電話を終えると、スケアリーは不思議そうに彼女を見ていた技術者に言った。
「ご苦労様、これで事件は解決ですわ!」
それからにっこりと微笑んだ。良く解らないが技術者も嬉しかったので彼女に微笑み返した。
彼女にかかってきた電話は警察からのものだった。しかもたまたま署に居合わせたニコラス刑事(甥)からだった。とあるネットカフェの前をうろついているヨシオ君をパトロール中の警官が見つけたという事だったのだ。モジモジしていたが身体に異常はなく健康そのものということだった。そして彼の希望でそのまま母の入院している病院へ向かったそうだ。
それにしても、せっかくニコラス刑事(甥)を復活させたのに全然出番がなかったのが残念である。いろいろこまかいネタが多すぎて、さらに彼を登場させてしまうと話がどれほど長びくか予想も出来ない、という事なので仕方がない。また今度に期待しよう。
28. エフ・ビー・エル研究室
技術者は時給を稼ぐため家には帰らずエフ・ビー・エルに戻っていた。今は暇つぶしに今回の件で得られたデータの整理をしている所だった。そこへモオルダアから電話がかかってきた。
「もしもし、技術者君?ちょっと助けて欲しいんだけどねえ。これはいったいどういう事なんだろう?」
「どうしたんですか?」
「ボクは自分の家にいたはずなんだけど、気がついたらここはどっかのビルのサーバールームみたいなんだよ。ドアには鍵が掛かってて出られないし、なんとかしてくれないかな?」
技術者は神妙な面もちで頭の中を整理してみた。なんでモオルダアが鍵の掛かったサーバールームに?この問いに技術者は理論的な答えを出したかったが、もしかするとスケアリーのように考えた方が納得出来るかも知れないと思った。彼は近くにあった整理済みのデータを見た。
「モオルダアさん。多分あなたのいるサーバールームは、あなたが謎のブログに接続するために経由していた256のサーバーのうちのどれかです。どれも結構大きな会社ですから、そのうちセキュリティがやって来て警察に連行されるでしょうから、安心してください」
「なんで、安心なんだよ!」
「もしかして、エフ・ビー・エルのIDとか持ってないんですか?」
「家にいたんだから持ってるワケないだろ」
「ああ、そうですか。それじゃあ警察に捕まったらエフ・ビー・エルに連絡するように警察の方に頼んでください。ボクが上の人に事情を説明しておきますから。…あと、それから、モオルダアさんの家の前にある変なポストに関してエフ・ビー・エルに苦情が殺到してるみたいですよ。アパートの前がゴミだらけだって」
技術者は妙に明るい声で話している。彼が電話を置く時に電話の向こうから幽かにモオルダアが警備員に捕まって変な悲鳴をあげているのが聞こえてきたが、技術者にはそんなことは気にならなかった。ニコニコしながら受話器を置いてパソコンの操作をするとエフ・ビー・エル職員のデータベースにアクセスした。画面にはスケアリーの顔写真とプロフィールが映し出された。うわ、技術者が恋をしている…。