「GONE」

7. スケアリーと技術者とヨシオ君の部屋

 二時間後スケアリーがヨシオ君の部屋を再び訪れると、ちょうど技術者は作業を終えたところだった。

「あら?モオルダアは?」

「あれ?一緒じゃないんですか?」

機材の片付けを始めながら技術者はスケアリーの方を見ていた。

「バッチリ保存出来ましたよ。ただし今でもこのコンピューターにはどんどん新しく何かが書き込まれていますけどね。でも、ここまででも文字にしたら相当の量をコピーしましたから捜査に使うには十分でしょう。というか、こんなものを分析して何が解るんですかねえ?」

技術者はこれまでの作業の間にヨシオ君のパソコンの中で何が行われていたのかをだいたい理解していたようだった。スケアリーは技術者のそんな態度が気に入らなかった。

「あなたにはどうでもいいことですわ!そんなことよりも早くエフ・ビー・エルのラボへ行ってそのデータをちゃんとした日本語にしていただけるかしら?」

この人はまったく自分がどんなにすごいことをしたのか解っていない。技術者はそんなふうに思っていたのだが、そんなことには慣れっこである。医者は病気を治して当たり前。医者になるまでにどんな苦労をしていようとそれは関係ないのだ。「たくさん給料をもらっているのだから、それくらいのことはしてくれよ!」と誰もが思っている。同様のことをこの技術者も感じているのだ。コンピューターの技術者なのだから、こんなことは出来て当たり前と、いつでも思われている。こういうことが出来るようになるまで、彼がどれだけのことを犠牲にして知識を身につけたのか、ということは誰も気にしないのだ。ただ、悲しいことにこの技術者はモオルダアと同様にアルバイトなのである。(時給1,050円)


 技術者が機材を抱えて部屋から出ていった後、スケアリーはパソコンのモニターに表示される文字を眺めていた。本当にこれがヨシオ君が書いているものなのかどうかは解らない。それにこのパソコンの中にヨシオ君がいるということすらまったく信じられないのだが、彼女には救急車で病院に運ばれる時のヨシオ君のお母さんの姿が忘れられなかった。愛する息子を何者かに連れ去られて、体の自由が利かなくなるほどのショックを受けたヨシオ君のお母さんを見てスケアリーはなんとしてもヨシオ君を助けたいと思うようになっていたのだ。捜査に私情は禁物と思っていながら常に私情で捜査をしているスケアリーにはなくもない心情ではある。

8. 薄汚い部屋と依頼人とニコラス刑事再び

 この部屋は薄汚いが決してモオルダアの部屋ではない。モオルダアの部屋はもっと湿っぽくて息苦しくて地獄的な汚さの部屋である。ここは明らかにモオルダアの部屋ではない。この部屋の住人は思い悩んだ末にあるところに電話をかけた。

「もしもし、ニコラス刑事さんでしょうか?私はあなたの伯父様のニコラス刑事さんと知り合いのものなのですが、ちょっと相談があって連絡しました」

同じ名前が二度も出てきて解りづらいが「伯父様のニコラス刑事さん」とはこの話の始めの方でスケアリーに協力を依頼してきたニコラス刑事さんのことである。つまり、今この男が話している相手はそのニコラス刑事さんの甥ということだ。そして、このニコラス刑事さんはペケファイルシリーズの初期(#002「猿軍団」)に登場した二枚目のニコラス刑事さんなのである。いろいろあって今では東京で勤務ということになっている。(主にそれは作者の都合ですけど。)

 ニコラス刑事さんは伯父のニコラス刑事さんとは違い、正義感と責任感にあふれ頭脳もそれなりに明晰。電話をした男はニコラス刑事さんのハッキリとして落ち着いた口調に少し安心していた。少なくとも伯父のニコラス刑事さんよりは頼りになりそうだ。

「突然変な話でスイマセンが実は私の友人が失踪しまして、その捜査を伯父様のニコラス刑事さんに依頼したんです。それで、友人は無事に見つかったというか、なんというか…、結局は失踪なんかしていなかった、ということなんです。私達が友人の家にいると彼がなにくわぬ顔をして戻ってきたんです。それで、ニコラス刑事さんも捜査は終了ということにしてしまったんですけど。私は間違いだと思うのです。戻ってきた友人は元の友人とは別人なのです」

ニコラス刑事さんは相づちをうちながらこの話を聞いていたが、最後の方は相づちをうつことも出来なくなって来ていた。それからちょっと間をあけてニコラス刑事さんが話し始めた。

「それは、なんだか不思議な話ですねえ。伯父にはそのことを話したんですか?」

「ええ、もちろん。ただし元々伯父様のニコラス刑事さんもこの失踪事件を事件とは考えていなかったようで、私がいくら頼んでも詳しいことを調べたりはしてくれませんでした」

「それで、あなたは私にどうしろと?」

「もう一度、私の友人を捜索して欲しいんです」

「でも、あなたの友人はもう見つかって家にいるんでしょ?」

「ですから、あれは友人ではないのです。誰も信じてくれないかも知れませんが、この裏ではもっと恐ろしいことが行われているんです。もしかすると、私達全員の存在が消されてしまうのではないかとも思うんです」

ニコラス刑事さんはなんと言葉を返していいのか解らなかったが、相手の男があまりに熱心なためこのまま電話を切るということも出来なかった。

「そういう不思議な事件なら、うってつけの人たちを知っているからその人達に話を聞いてもらいましょう。もしかすると力になってくれるかも知れませんから」

ニコラス刑事さんは男をなだめるように言った。男は少し安心して会話を終わらせた。