18. 少し遠くの方
どの道を通っても同じような風景の住宅街をスケアリーの車がゆっくりと走っていた。スケアリーとしては急ぎたいのだが、初めて来る住宅街の狭い道路をスピードを出して走るわけにもいかない。それでも彼女の車に搭載されているカーナビのおかげで目的地まではスムーズに到着出来るし、そのために焦らずに運転できる。
カーナビが目的地に近づいた事を知らせたので、スケアリーは適当な場所に車を止めて最初の家に向かった。家とはもちろん例のリストに住所が載っていた家である。近くまで来て解ったのだが、そこは家ではなくてアパートだった。よく見ると住所の最後が「201」になっている。アパートと知ってスケアリーは少しイヤな感じがした。彼女が今向かっているのはどうやらワンルームのアパートで、こういうアパートでは頻繁に入居者が変わっていそうだ。
外階段を昇って201号室の前に来たスケアリーはドアのところで表札を確認したが、そこには誰の名前も書かれていなかった。こういうアパートの場合、表札に名前を書かない人も良くいるようなので、誰も住んでいないという事ではないだろう。とりあえずスケアリーは呼び鈴のボタンを押してみた。
中で呼び鈴が鳴っているのが聞こえたが、しばらく誰も出てこなかった。端の方がネズミ色になっている薄暗い蛍光灯に照らされたアパートの通路でスケアリーはなんとなくネトゲの事を思い出していた。彼はゲームにのめり込むあまりに引きこもりになったのだろうか?そして、あのように錯乱状態になって部屋に立て籠もったのもやはりゲームのせいなのだろうか?
そう考えるとスケアリーは自分が今ここに一人でいることに心細さを覚えた。もしも、この部屋の住人がネトゲのようにゲームにのめり込んで次第に精神を病んでいき、そして今まさに錯乱状態になっていたとしたら?
彼女は予定を変更してモオルダアと合流すべきだとも考えたのだが、その時部屋のドアが開いて驚いたスケアリーは思わずハッと悲鳴をあげそうになった。
開いたドアの向こうから不思議そうにスケアリーを見る若い女性の顔が見えた。その女性のいる玄関は明るい照明に照らされていて、それでスケアリーはすぐに落ち着きを取り戻した。
「あたくしF.B.L.のスケアリー特別捜査官ですのよ。おたずねしますけど、ここは上井さんのお宅かしら?」
身分証を見せられて質問された女性は少し不安そうにしていた。
「違いますけど…。何かあったんですか?」
警察手帳のようなものを持った人がやって来てそんな質問をされると誰だって事件があったのだと思うものである。
「いえ、そういうことではございませんのよ。ここに住んでいた上井さんに話が聞きたくてやって来たのですが、それでは今はここに居ないという事ですのね?」
「はい…。私は先月引っ越して来たばかりなので」
「あら、そうでしたの。じゃあ、前に住んでいらした方が上井さんかしら?…あらいやだ。こんな事はあなたに聞いても解るわけありませんでしたわね。オホホホホ…。忙しいところを失礼いたしましたわ」
やはり、こういうアパートに長く住む人はいないようである。最初の家はハズレだったようだが、スケアリーとしては錯乱状態のゲーマーが出てこなくてホッとしていたというところもあった。しかし「そんなことはあり得ませんわね」と心の中でウフッ…!と笑ってから次の家に向かう事にした。
スケアリーが次に向かった家は一軒家だった。だからどうという事もないのだが、スケアリーとしてはこの家から感じられる家庭的な感じに、どこか暖かさや懐かしさに似た心の平和を取り戻したような、落ち着いた気分になっていた。
スケアリーは入り口の横の表札に「曽根井」という文字を確認してから呼び鈴を鳴らした。するとすぐにインターフォン越しに中から返事があった。
「あたくしはF.B.L.のスケアリー特別捜査官ですけれど、こちらに曽根井 コウキさまはおいでじゃないいでしょうか?」
スケアリーが聞くと、少しの間を開けて返事が返ってきた。
「あの、コウキは先月事故で亡くなりまして…」
この返事にスケアリーの落ち着いた気分は一気にどこかへ消えてしまった。
「あら、それは…お気の毒に…」
見ず知らずの人にこういうことを言うべきなのかどうか、とか調子の狂ってしまったスケアリーは変な事を考えながら中途半端にお悔やみの言葉を口にしたのだが、すぐにそんなことを気にしている場合ではないと気づいた。
「あの、あたくしはある事件について調べているのですけれど、少しお話を聞かせてもらえないかしら?このインターフォン越しでも良いですから」
「ええ、まあ良いですけれど」
「コウキさまはあなたの息子さまかしら?」
「はい」
「あたくしが調べている事件ですけれど、それはあるゲームソフトに関係していることが解ったんですの。コウキさまはゲームに夢中になることなどございましたか?」
「ゲームってテレビゲームの事ですか?あの子は何よりもレースが好きでしたよ。車で走るレースです。レースに出場するために稼いだお金は全部そこにつぎ込んでいた見たいですけど。でも感覚を養うために、って車のゲームをやることがあったみたいですよ。部屋に運転席みたいな椅子を置いたりして。あんなに楽しんでいたのに、あまりにも夢中になってレースで命を落とすなんて…」
「そうでしたの…」
話を聞く限りではこのコウキという男は特に例のゲームとは関係がなさそうにも思えた。しかし、確認すべき事は確認しなければいけない。
「もしよろしければコウキさまがやっていたゲームソフトを見せていただきたいのですけれど」
「協力はしたいのですけど、そういうものはあの子には意味がないと思って全部処分してしまって。車に関連するものはとってあるのですけれど、…これもいつか処分しないといけないと思っているのですが…」
話しているとコウキの母親に次から次へと息子の在りし日の記憶が蘇ってくるように思えた。時にこういう状況になると自分が間違った事をしているような気にもなるのだが、スケアリーは先を続けた。
「つまり、ゲームソフトは捨てたということですのね?」
「ええ…」
スケアリーはどことなく後ろめたい気分で次の家に向かった。
次にスケアリーが向かった住所には瀬賀という人の家があるはずだったのだが、そこには家はなく、隅の方に雑草が生い茂った更地になっていた。スケアリーは何なんですの?と思いながらしばらく空き地を眺めてから次の場所へ向かった。
そこに行くと、今度は万代という人の家がある場所がスーパーマーケットになっていた。敷地としては一軒家には広すぎるし、リストにある住所を見るとおそらく以前は大きなアパートがあった場所に違いない。
車の中からスーパーマーケットの建物を眺めて、ここにはどう考えても人の住む場所はありませんわね、思っていたスケアリーだったが、スーパーマーケットの駐車場から出てくる車にクラクションを鳴らされて慌ててその場から移動しなくてはならなくなった。
どっちにしろこの場所には用はないようだったので、スケアリーは次の場所へ向かった。
次が五軒目で最後の場所でもある。目的地まではそう長くはかからなかったが、その間にモオルダアはそろそろ何か見付けたのかしら?と、その辺も気になっていた。特に連絡もないし、彼も自分と同じように無駄足を踏んでいるに違いないとも思っていたのだが、そうこうしているうちに目的地の近くまで来たようだった。
次に行くのは舞黒さんの家である。これまでと同じように住宅街の似たような交差点を曲がって似たような道に入ってくると、スケアリーは少しイヤな気分になった。おそらく舞黒さんの家があると思われる場所に救急車が止まっていて、あの赤い回転灯の明かりが彼女の車の座席まで届いて、視界を一定の間隔で赤くしていた。
スケアリーは車を止められそうな場所を見付けて駐車すると、車を降りて救急車の方へ走っていった。するとちょうど患者を担架に乗せて救急隊員が家から出てくるところだった。家の表札を確認すると「舞黒」と書いてあった。
「ちょいと!あたくしF.B.L.のスケアリーですけれど、いったい何が起きたんですの?」
スケアリーが救急隊員に聞いたが、隊員はそれどころではないという状態なので、スケアリーを危うく突き飛ばしそうな勢いで患者を救急車の中に運び込んだ。
スケアリーもとっさに後ずさったので突き飛ばされずに済んだのだが、一度冷静になって、今度はF.B.L.の身分証を見せながら救急車の方に近づいていった。
「あたくしF.B.L.のスケアリー特別捜査官ですのよ…」
救急隊員はスケアリーの事をほとんど見ないまま救急車の後部のドアを閉めた。そしてそれと同時に救急車が走り始めた。
「ちょいと…!?」
一体何がどうなったのか?と思いながらスケアリーは救急車の走り去った方を見ていたのだが、彼女のすぐ横に人影があるのに気付いた。おそらくそれは救急車で搬送された舞黒の家族だろう。一人の中年手前ぐらいの女性がいきなり現れたスケアリーに驚いているようだった。
「あの、失礼しましたわ。あたくしF.B.L.のスケアリー特別捜査官と申しますけど。あなたは舞黒さんの家族の方でございますか?」
「ええ、私は妻ですけど…」
「いったい舞黒さんになにが起きたんですの?」
夫の急病とスケアリーの登場。それに何よりも、救急隊員があまりにもあっけなく夫を救急車に乗せ、しかも同乗者として自分が乗っていないのに救急車が行ってしまったので妻の方も何が起きたのか解っていないようでもあった。
「あの、あなたはどちら様でしょうか?」
「しっかりなさって!あたくしはF.B.L.のスケアリー特別捜査官ですのよ。これまでここで何が起きていたのか教えてくださるかしら?」
F.B.L.と言われても何のことだか解らない妻であったが、スケアリーの見せる身分証が警察みたいだったり、スケアリーの態度が頼もしい感じだったりしたので、妻は何とか状況を説明することができた。
「突然の出来事で、何が起きたのか私にも解らないのですが。あの人がいつものようにゲームをやっているといきなりワケの解らないことをわめきだして…。そうしたら急に意識を失って痙攣が始まって…。それで救急車を呼んだのですけれど…」
妻は上手く説明しようと努力しているのだが、それが上手くいっていないと自覚しているようで、話の間に変な間が空いた。しかし、これまでのことを考えるとスケアリーには妻が何を言おうとしているのかほぼ解った。
「救急車は同乗者を乗せずに行ってしまったんですの?」
「ええ…」
それはどう考えても何かがおかしい。もちろんモオルダアが言うような謎の組織や陰謀や、そういうところを抜きにしても、こういう状況はあり得ないのだ。スケアリーは言いしれぬ恐怖を感じながらさらに妻に聞いた。
「もしかして、そのゲームって…。そのゲームというのを見せてもらえませんかしら?これはとっても重要な事ですのよ!」
妻は頷くとスケアリーを家の中へ案内した。
部屋に入ると、食卓を兼ねた居間にはまだ片付けられていない夕食の食器が机に置いてあったりして、平和な夫婦の時間の名残が感じられた。そして大きなテレビの下にはゲーム機が置いてあった。舞黒はここで謎の発作に襲われたのだろう。
妻はゲーム機を指さして「これです」と言った。それはスケアリーにもなんとなく解るので彼女はその中に入っているゲームソフトを見せるように頼んだ。
妻がソフトを取り出す操作をすると、ゲーム機のディスクを入れるトレイがせり出してきた。本来ならばそこにこれまで遊んでいたゲームソフトが入っているはずなのだが、トレイはカラだった。
スケアリーは言いしれぬ恐怖が何か明確な形を表してきたような感じがした。そしてすぐに携帯電話を取り出すと警察に通報した。そして妻には警察が来るまで誰もこの家に入れないように指示してから家を出て車に向かった。