09. 警察署
先ほど捕まった男は警察署に半ば無理矢理連行され取り調べを受けていた。連行と言ってもなんの罪で連行なのかいまいち解らないのだが、F.B.L.の捜査官に銃を付きつきられて「同行して欲しい」と言われたら従わないわけにはいかない。
しかし警察に連れてきたものの、彼が立てこもりとその人質らしき人物の失踪事件と関わっているのかどうか、刑事達も何をどう聞き出せば良いのか解らないようだった。そして男も余計なことは決してしゃべらない、といった感じで何を聞かれても最低限のことしか話さなかったし、事件とはなんの関係もないと主張していた。
男は怪しいゲームソフトを作ったり、コンピューターのネットワークに詳しかったり、そういう人物のイメージとはかけ離れていた。長い距離を走っても息を切らすこともなかったし、顔色も健康的でジムに通っていそうな人、あるいはジムのポスターに写っている人のようでもあった。
刑事達と男のやりとりを聞きながらモオルダアはこんな風にどうでも良いことを考えていたが、そろそろ取り調べが先に進まなくなって来たようなので、男は一安心したように見えた。そこにモオルダアは何か妙な違和感を感じずにはいられなかった。それがなんなのかは解らなかったが、彼も思いもしなかったところで少女的第六感が働いたような気がした。そして、このまま男を帰らせる前に何か聞き出さないといけないとも思った。
「キミが我々を誰と勘違いしたかは知らないが、いきなり窓から逃げ出したのにはそれなりの理由があったと思うんだけど、でも今は逃げたことを少し後悔しているよね?」
モオルダアが話し始めたのでスケアリーが身構えてしまったが、やはり彼女の想像したとおりおかしなことを話し始めた。彼女は慌てて話に割って入ろうかと思ったのだが、男が一瞬顔色を変えてモオルダアの方を見たので彼女も思いとどまったようだ。男の一瞬だけ見せた表情を見ると、なぜかは知らないがモオルダアは何かに気づいているようだった。
男は一度モオルダアの方を見て何かを言おうとしたようだったが、すぐに考えが変わったのか、黙り込んでしまった。
「何も言いたくないのなら、それでも良いんだが。キミが配っていた、というか無理矢理送りつけていたあのゲームだけど、既にコピーがこちらにあるんだし、キミが何をしようとしていたのかはいずれ解ると思うんだよね。ただ、それを調べている間にキミも危険な目に遭わないとも限らないし」
スケアリーも周りの刑事達もモオルダアが何を言っているのか良く解らなかったが、男だけはモオルダアの言うことに反応して、下を向いていた視線を上げてモオルダアの方を見ていた。
「出来れば警察の方は抜きにして話がしたいのですが」
男は静かにそう言った。
刑事達は男の言い分を聞き入れて取調室から出て行った。それよりも警察としてはこの男のことを調べるよりは他にやることがあると思っていたので、あまりこの件には関わりたくないようだった。部屋にはF.B.L.の二人と男が残された。
「それじゃあ、話してももらえるかな?」
「それより先に条件があります」
男は何かに怯えているようではあったが、落ち着いてこういうことを言う態度には狡猾ささえ感じられた。
「まず始めに私の身の安全を保障して欲しいんです。あなた方はF.B.L.でしょ?それならセーフハウスがあるはずです。もしもボクを安全な場所にかくまってくれるのならボクの知っていることは全て話しますよ」
男が言うと、モオルダアはセーフハウスってなんだ?と思ってスケアリーの方を見た。F.B.L.がどんな機関なのかいまいち解らないのだが、捜査官が銃を持っていたりこうやって怪しい人物を逮捕出来たりするのだからセーフハウスのようなものもあるに違いないのだが、スケアリーとしてはそう簡単に男の要求を受け入れることは出来ないと思っていたようだ。
「まずはあなたの知っていることを話すべきですわ。あなたの身を守るかどうかはそれから決めますわ」
モオルダアはまだセーフハウスってなんだろう?と思っていたのだが、あんまりもったいぶっていると面白い話が聞けなくなりそうなので、適当な返事をした。
「キミの身の安全はボクらが保障するよ」
スケアリーはモオルダアが言うのを聞いて思わず「ちょいと!」と言いそうになったのだが、何かがあったらモオルダアに責任をとらせれば良いと思って黙っていた。
男はモオルダアの言ったことを信じて話を始めた。
「あなた方は私があの事件に関係していると思っていますね?確かに私は関係しているかも知れませんが、それはあなた方の思っているのとは違う部分で関係しているのです」
身の安全が保障されると解ったからか、男は自信を持った口調で話し始めた。これを聞いてスケアリーは「やっぱりさっきモオルダアを止めておけば良かったですわ」と思っていた。
「ちょいと、モオルダア。あたくし、ちょっと調べたいことが出来ましたから、あとは二人で続けてくださいな」
スケアリーはそう言うと部屋から出て行ってしまった。モオルダアは「あれ?」っと思ったのだが、男から話を聞くぐらい一人でも出来るのだし、こういう時は彼女がいない方が話がスムーズに進むので彼女が出て行くことはそれほど気にすることでもなかった。
「それで、キミは事件とどう関わっているんだ?」
「厳密にはあの立てこもり事件と私に関わりはありません。ただ私は知っているのです。そして、それを止めなければいけなかった」
なんとなく遠回しな話し方だが、こういう謎めいた話し方をされるとモオルダアも思わず話にのめり込んでしまう。
「幻覚兵器って知ってますか?」
冷静に話している男からいきなり怪しい単語が飛び出してきた。モオルダアはニヤっとしそうになるのを抑えながら返事をした。
「化学兵器の一種かな。幻覚作用のあるガスなんかで敵を錯乱状態にさせたり、そういうものなら聞いたことがあるけど」
「そんな感じですかね。そういうそういうものが私の住んでいるあの平凡な住宅街で使われた場合どうなるのか?というと、つまりあの立て籠もり事件ですが」
「それはどうかな?誰かがあの家に行ってスプレーでガスでもまいたとか?」
「ガスとは言っていません。ガスを使わなくても人間を錯乱状態にする事はできます。私はそれを止めるためにあのゲームを作ったんです。中身はどうってことないゲームですが無料となるとみんなダウンロードするから、それで私は子供達を幻覚兵器から守っていたんです」
「何を言っているのか良く解らないが」
確かに。
「ああ、失礼。少し興奮してしまいました。もう少し詳しく説明する必要がありますね。近所にゲームソフトを売っている店があるのですが、マニアの間ではちょっと有名でして。ソフトの数も充実していましたし、何よりも日本で未発売の輸入ソフトが売っているのも魅力でした。しかもこんな住宅街の近くにあるゲームソフト屋さんで。だからわざわざこの街に引っ越してくるゲーマーもいるっていうウワサですけど。それはあくまでウワサですが。私もゲームには熱中するタイプで、その店にもしょっちゅう足を運んでいたのですが、ある日その店からハガキが届いたんです。ちょうど一年ぐらい前ですかね。ポイントカードの登録などをしていたのでハガキが届くことはおかしな事ではないですが、そのハガキにはヘビーユーザーの方だけに無料で未発売最新ゲームソフトをプレゼントと書いてあったんです。ハガキを持って行けば交換してくれるということだったので、私はもちろん交換しに行きました。しかし、そのゲームが問題だったんです」
モオルダアは男の話を聞きながら、この男は見かけによらずゲーマーでもあるのかと思っていたが、それなりに面白い話をしているようなので黙って話を聞いていた。
「ゲームの内容は一般的なアクションゲームという感じでしたね。敵を倒しながら街の中を探索して目的を達成するという感じで。かなり暴力的な内容でしたが、ゲーム内に登場する魅力的な女性キャラにつられて没頭する人もいたかも知れませんね。その点では良くできていましたがね。そうです。魅力的な異性が登場することは良いゲームの条件ですよ。それよりも、問題というのはですね。そのゲームをやっていると、なぜかないはずのものが見えて来るんです。つまり幻覚ということですが」
黙って聞いていたモオルダアだったが、ここでいきなり幻覚とは無理があるようにも思えた。
「それは幻覚ではなくて、錯覚というんじゃないか?長時間似たような画面を見続けていたら意識が曖昧になってそういう現象が起きないとも限らない」
「それはボクも考えました。でも実際に起きている現象は少し違うのです。幻覚が始まるのは長時間プレイしたから始まるのではなくて、トータルでのプレイ時間が関係しているようにも思えたのです。ゲームの始めの方というのは簡単に進めたり、あるいは操作に慣れてないから上手くできなかったりで、プレイ時間は長くなることが多いのですが、始めの方は幻覚症状はなかったのです。でも、ある時期を超えたところから、その幻覚を見るようになって」
「幻覚というのは、一体どんなものなんだ?」
「ゲームの登場人物が実際の世界に居る感じですね。さっき言った魅力的な女性キャラとか。彼女が私の隣に座ってあれこれ指示を出してきているような感じがしたり。そんなことを言ったら、それは願望や妄想と思うかも知れませんし、私も最初はそんなことだとも思っていましたけど。しかし、時々あまりにもリアルな感じで部屋にキャラが登場するので、すこし恐くなって来ました。そこで私はゲームを徹底的に調べることにしたのです。調べるのは意外と簡単でした。ゲームをやって幻覚を見るのはなぜか?と考えたら原因は網膜への光の刺激ぐらいだと思ったからです。そして調べてみたら、やっぱりそのゲームは一定の間隔である波長の光を決まった順序で画面に表示していたことが解ったのです、もちろん一瞬の事ですから普通に見たらそこで何が起きているのかは解らないのですが」
モオルダアは話を聞いて盛り上がってはいたのだが、あまりにも理想的すぎる展開でもあるので少し胡散臭いとも思っていた。
「それだけの事が解ってなぜ黙っていたんだ?」
確かに。
「恐くなったからです。もしもこれが極秘の人体実験のようなものだったら?と考えたらうかつに情報は漏らせませんよ。それに…」
「それに?」
「いや、それよりも、私はこういうものから住民を守る方法を考える必要があると思って、あのゲームを作ったのです。あなたがダウンロードしたあのゲームです。あれを調べれば私が何をしようとしていたのかが解るはずですよ」
それはそれで面白い話なのだが、モオルダアとしては男がその前に口ごもったのが気になっていた。
「そんなことをするよりも、そのゲームの危険性を誰かに伝える方が妥当だと思うけど。F.B.L.を知っているなら『相談窓口』だってあるんだし」
「それは私も知ってますよ。ずっと考えてました。しかし私が何を言おうと誰も信じないんですよ」
「どうして?」
男はここで一度躊躇したようだったが、意を決したように頷くような仕草をしてから話し始めた。
「それは、私の病気のせいです。解りやすい言葉で言うと私はノイローゼなんですよ。何度も入退院を繰り返してきましたが。そんな人間が人体実験だとか陰謀だとか騒いだって誰も信じないですよ」
モオルダアはこれまでこの男に関してなんとなく違和感を感じていたのはそのためか、と納得したのだが、なんとなく同情したい感じもした。それはともかく、この男の言っていることはどこまでが本当なのだろうか?というところも気になってしまった。
「心の病気とか言われますが、厳密には脳の病気であって、それは広い意味では腰痛なんかと変わらないんですけどね。でも腰痛の人が少しおかしな事を言っても信じてもらえますけど、私が何を言ってもみんなウソだと言うんですよ。酷い話です」
そんなことはどうでも良いとモオルダアは少し思ってしまった。
「それで、そのゲームだけど、キミはまだ持っているの?」
「ありますよ。私の家の二階の奥の部屋です。書斎の机にある鍵のかかった引き出しに入っていますが…」
ここまで言って男は辺りを気にしたようにしながら黙ってしまった。誰かに話を聞かれるとまずいとでも思ったのだろう。そこでモオルダアはポケットから紙切れペンを取り出して男に渡した。
すると男は紙に何かを書いてそれをモオルダアに渡した。「机の天板のすぐ下の引き出しを開けると天板の下に箱がテープで留めてあって、その中に鍵が入っている」という長めのメモが紙に書かれていた。
この隠し方は自分と一緒だ!と思いながらモオルダアがそれを見て頷くと、同時に部屋の扉が開いてスケアリーが入って来た。
「モオルダア!ちょっと良いかしら?」
普段ならモオルダアがビビってしまいそうな機嫌の悪いスケアリーの表情だったが、彼女が何を言いに来たのかだいたい解っているモオルダアは涼しい顔をして彼女と部屋を出た。
モオルダアが部屋の外に出て扉を閉めると同時に手に何かの書類も持ったスケアリーが話し始めた。
「モオルダア。あの方の言うことを鵜呑みにしてはいけませんわよ。あたくしなんとなく気になったので調べてみたんですけれど、あの方はこれまでに何度も精神科に入退院を繰り返しているんですのよ」
モオルダアはやっぱりか、と思って聞いていた。
「そうだよね。外科に通院は信じられても精神科に通院は信じられないからね」
モオルダアは先ほどの男の話を省略しすぎな感じで言ったのでスケアリーには何のことだか解らなかった。
「何を言っているのか解りませんけれど、あの方の言っていることを聞いていたら時間の無駄にしかなりませんわよ」
「それはどうかな。まずは証拠を集めないと無駄かどうかは解らないし。時に明晰すぎる脳がやっかいな病気と隣り合わせという事もあるからね」
「それはどういうことですの?」
「とにかく、まずは彼の身の安全を確保するべきだと思うけど。それから急いで彼の家に行かないと」
スケアリーにはまだモオルダアの言うことが良く解らなかったが、とりあえずF.B.L.に連絡してセーフハウスを手配すると、先に警察署の外に出ていたモオルダアを追いかけた。