19. 近くの方
モオルダアは暗い路地を歩いていた。地図も持たずに良くこの住宅街の入り組んだ道を歩けると感心したいところだが、そういうことでもなかったらしい。ここは事件の最初から良く通っていた道なのだ。ここをずっと進むとネトゲの家があり、そこからさらに進むとあの児童公園がある。
モオルダアもまたここに来るとは思っていなかったが、きっとこの辺にはゲーム好きが集まる何かがあるに違いない、と怪しい仮説を立て始めそうになっていた。しかし彼が余計な事を考える前に電話がかかって来たようだ。電話はスケアリーからだった。
「ちょいとモオルダア、大丈夫なんですの?」
「大丈夫、って何が?」
「何か気がかりな事とか、そういうことは起きていないんですの?」
モオルダアが特に何かに気付いた様子もないのでスケアリーは多少拍子抜けした感じがした。彼女にとってはこれまで調べた家の中に死亡した者が一人いた事が気になっていたし、最後に救急車で運ばれた舞黒の事が何よりも異常な事に思えたのだ。
「うん、なんて言うか、全然…」
スケアリーに反してモオルダアの返事は気のない感じだった。
「これまで四軒回ってみたけど、引っ越してたり、まだ住んでいる人もいたけど、特に常連向けのサービスには興味がないとかで、例のゲームのことは何も知らないみたいだったね」
「そうなんですの…」
モオルダアの話を聞いてスケアリーは自分が考えすぎているのではないかとも思えてきた。彼女にとってはむしろその方が理想的なのだ。人の精神を狂わせるゲームとか、ゲームの中のキャラクターが現実世界に現れるとか、そういう事を本気に心配するというのは本来スケアリーの役目ではない。それに、そういうところに執着するはずのモオルダアも冷めた感じである。
「それじゃあ、あと一軒ですのね、あたくしもこれから向かいますわ」
「そうだね。キミもよく知ってる場所だからすぐに見つかると思うよ。倉井さんの家。実は例の公園のすぐ近くなんだよね。あの男の家とは公園を挟んで反対側なんだけど。それじゃあ、もうすぐ着くからこの辺で」
そう言うとモオルダアは電話を切った。
スケアリーも携帯電話をしまうと車を発進させた。あの公園と聞くとどことなくイヤな感じもしたが、これも考えすぎだと自分に言い聞かせるように静かに運転していた。
モオルダアはすぐに公園の脇にある倉井の家に着いた。住所と表札を確認すると入り口のところには表札があってかすれた文字で「倉井」と書いてある。名前のとおりに入り口は暗かった。明かりが点いていないだけ、と言えばそれまでだが。モオルダアは一歩下がって上の方を見上げてみた。
家は二階建ての一軒家だった。都会に良くある感じで敷地は広くなく、細長いというイメージの家だ。モオルダアが見上げた先にある窓からはかすかな明かりが漏れている。おそらく留守ということではないのだろう。中では人が歩き回っているのか人影に部屋の明るさが変化しているようにも見えた。
誰かがいるなら話は聞けそうだとモオルダアは呼び鈴を押してみた。しばらく待っても誰も応対しない。もう一度押して誰も出てこなければ、いつものモオルダアなら呼び鈴連打をしてしまうところだが、今回は誰かがいそうな気配があるのでモオルダアは辛抱強く待つことにして、ただもう一度だけボタンを押した。
またしばらく待つとインターフォンの丸いスピーカーのところからガチャッという音が聞こえて、続いて「はい」という返事が聞こえて来た。返事まで暗いな、とモオルダアは思ったがそれはどうでも良い。
「F.B.L.のモオルダア特別捜査官だが、倉井 相太さんはご在宅ですか?」
「私ですが…」
暗いと言うよりも、弱々しい声にも聞こえた。もしかするとやっとモオルダアの思い描いていたようなゲーマーらしいゲーマーが登場したのか、と思ってモオルダアは変なところに興味を持ち始めていた。おそらく部屋の中は洗ってない衣類とかがゴチャゴチャしていて、その中にゲームとテレビと住人が埋もれるようになっているに違いない。そんな想像をしながらモオルダアは話を続けた。
「この近所で起きた事件のことで少し話が聞きたいのですが」
モオルダアが聞くとちょっとの間を開けてまた倉井のか細い声が聞こえて来た。
「それなら中に入ってください。私、実は足が悪いもので、このインターフォンで話すのにも立っているのが辛いんですよ。ドアは開いていますからどうぞ入って来てください」
倉井が言うとまたガチャッと言う音がしてインターフォン越しの会話は終わったようだった。モオルダアとしては気になる部屋の中が見られるので、これは特に問題という事ではなかったが。
モオルダアが家に入ろうとドアノブに手をかけると、それとほぼ同時にドアが開いたような気がした。あるいは本当に勝手に開いたのか?なんだか変な気分でモオルダアがドアを眺めていると、中から声が聞こえてきた。
「どうぞ入ってください」
外よりもさらに薄暗い家の中から倉井の声がする。モオルダアは少しだけ開いていたドアに手をかけて中の様子をうかがってみた。暗かったが、そこは普通の家だった。
「お邪魔します」
捜査に来たF.B.L.の捜査官らしい挨拶ではないが、人の家に入る時にはこう言わないとどこか落ち着かない。
「二階にいます上がってきてください」
声に反応してモオルダアは二階の方を見上げた。この家は玄関からすぐのところに階段があった。ここはそれほどゴチャゴチャしてないな、とモオルダアが思っていると背後でドアが閉まってカチャッという音がした。ドアを開けっ放しにしないようにするあの装置がドアをゆっくりと閉めたのだが、それまでほぼ無音だったので、このカチャッという音にモオルダアは少しビクッとなっていた。
「暗くてすいませんね。ボク一人だけなんで、無駄な電気は使わないようにしているんですよ」
また倉井の声がした。これはつまり早く上がってこい、という合図でもあるようだったので、モオルダアは靴を脱いで家に上がると階段を昇っていった。
他人の家の階段は感覚がわからずに昇りにくいのだが、暗いとさらに昇りづらい。モオルダアは手すりに手を乗せてゆっくりと少し急な階段を昇っていった。階段を昇りきるとドアを手前に引くためのスペースがあって、そこにドアが一つあるだけだった。このちょっとしたスペースが二階の廊下って事かな?ということをモオルダアはたまに思ったりするのだが、今回はそういう余裕はなかったようだ。何よりも中がどうなっているのか気になる。
「失礼します」
モオルダアがドアノブに手をかけてドアを開けた。
モオルダアのようにこの部屋に何かを期待していなくても、何も知らない人がこの部屋を見れば普通の家の部屋とは思えないだろう。暗い部屋の中にパソコンのモニタがいくつもあって部屋を照らす照明代わりになっている。そしてそこから視線を移すと大きなテレビ、そしてゲーム機が何台もある。部屋の真ん中で倉井が椅子に座っていたが、今はそれよりもこの部屋の方が気になる。
モオルダアがさらに視線を別の方へ移すと先ほどとは違う小さめのテレビがあって、さらに大小いくつものスピーカーとそれらをつなぐケーブル。そして、そのケーブルが行き着く先にあるのは、スピーカーからの音を制御する機械だろうか?オーディオマニアなら解るのかも知れないが、そこにあったのは…
ここでいきなりモオルダアの思考が妨げられた。一体何が起きたのか、部屋の様子に気をとられていたためにモオルダアにはさっぱり解らなかった。最後に覚えている光景は椅子に座っていたはずの倉井が目の前にいたというところだ。