07. また薄暗い部屋
この薄暗い部屋には照明が灯されていない。それでも部屋にあるテレビやコンピューターのモニタの灯りで部屋に何があるか見渡せるぐらいの明るさにはなっている。
この部屋にいた男はテレビで放送されていた立て籠もり騒動に夢中だったのだが、先程モオルダアとスケアリーが公園にやって来ると、そこからはそのことが気になって仕方がなかったようだ。ここは公園のすぐ隣にある家の一室である。窓は閉め切られてカーテンが開けられることも滅多にないのだが、カーテンの向こうの窓と公園との間に設置された小さなカメラは、部屋にあるたくさんのモニターの一つに外の様子を絶えず映し続けている。男はそのモニタ近づくと、その近くにあるスピーカーの音量を上げた。すると、モオルダアとスケアリーの話し声が聴き取れるようになった。
「調べるって、何を調べるんですの?」
「それは作った人に直接聞いてみないと」
「作るって、何をですの?」
「ここだけでダウンロード出来る謎のゲームだよ。さっきのゲーム機はここに持ってくると勝手にゲームソフトがダウンロードされるようになってたんだけどね。おそらく子供達もそのゲームが目的でここにやって来たんだと思うけど」
「それで、どこにその人が住んでいるって言うんですの?この近くということは解りますけれど、無線LANの電波というのは結構遠くまで届きますのよ」
「だから間違いがないように、端末では正確なアクセスポイントの情報を取得する必要があるんだけどね。そして、アクセスポイントの場所も結構正確にわかってしまうんだよね」
これもヌリカベ君から教わった知識だったが、モオルダアはまた得意げに自分のスマートフォンをスケアリーに見せた。
画面を見ると、今彼らのいる周辺の地図に無線LANのアクセスポイントの場所を示す印がいくつか表示されていた。
「この周辺に無線LANのアクセスポイントはこれだけあるんだけど、この中でパスワードでロックされていないのは…」
「つまり、その家が怪しいということですわね」
スケアリーはなぜかモオルダアが色々と知っていることが気に入らなかったが、確かに怪しいことが起きているのだし、モオルダアの言うことに険しい表情でうなずくしかなかった。
薄暗い部屋で、このやりとりをこっそり聞いていた男はパソコンを操作してスケアリーの顔にカメラをズームさせると、ソワソワし始めた。それからすぐにスケアリーはカメラで見える範囲から出て行ってしまった。おそらく怪しい家の方へと向かったのだろう。
08. さっきの公園の辺り
モオルダアはスマートフォンのアプリに表示されている地図を見ながら公園を出てすぐ脇にある路地に入っていった。その後をスケアリーが心配そうな表情でついて行く。怪しいとされている家の前にモオルダアがつくとスケアリーが心配していたとおりに、彼は何も考えずにその家の呼び鈴のボタンを押そうとしていた。
「ちょいとモオルダア!」
スケアリーからいきなり呼び止められて驚いて手を止めたモオルダアだったが、どうして止められたのかは理解できていないようだった。
「必要な手続きは出来ているんですの?」
スケアリーが聞いた。
「手続きって?」
モオルダアの答えを聞いてスケアリーはやはり止めて良かったと思ったようだ。
「これだけ怪しいことを公然としている人なんですのよ。向こうだってそれなりの逃げ道を用意していると思いませんこと?あたくし達の手にしている証拠といったら、その怪しいゲームソフトと、無線LANが解放されている事ぐらいですし。これでは話を聞くためにF.B.L.や警察に同行してもらうにも説得力がありませんでしょ…?ちょいとモオルダア!」
スケアリーのいうことを理解していたのかどうか解らないが、モオルダアは目の前の呼び鈴のボタンを押してしまった。(呼び鈴というのは古風な呼び方だが、今風にいうとインターフォンのボタンを押したのだ。)
「ここで話を聞くだけなら問題ないし。それにあの人質のような人を探さなきゃいけないんだし、そんなに時間はかけていられないと思うけどね」
モオルダアの言い分も解るのでスケアリーとしても無理に彼を止めることは出来なかったのだが、どうにも納得のいかない状況ではある。それはともかくモオルダアが呼び鈴のボタンを押してしまったので、あとは中から誰かが出てくるのを待つしかないのだ。
しばらく待っても中からはなんの反応もなかった。
「留守なのかしら?」
スケアリーが言ったが、モオルダアはそれとは関係なく、中に誰もいないと思ったら呼び鈴のボタンを連打したい衝動に駆られていた。そして、モオルダアが口元が緩むのをこらえながらボタンを連打する準備をしていると、家の奥の方からガタガタと何かが倒れる大きな音が聞こえてきた。それがボタンを連打しようとしていたタイミングとちょうど一緒だったためにモオルダアは慌てて指を引っ込めたのだが、そんなことよりも奥の方でした音がなんなのかを突き止めなければいけなかった。
モオルダアよりも冷静だったスケアリーは早くも家の裏が見える場所まで移動して、その物音がした場所で何が起きているのかを確認していた。
「モオルダア、急いで!逃げますわよ!」
そう言われたモオルダアは、一体誰が逃げるのか?自分たちが逃げるのか?と、思ったのだがスケアリーの様子を見るとそうではなさそうだった。
モオルダアも慌ててスケアリーのいる方へ行って彼女の見ている方と見ると、そこに家の窓から外に出たと思われる男が家の奥の方にある塀を上って逃げて行こうとしていた。
「おい、待て!」
しつけの出来ていない犬のようなモオルダアは逃げる人間を見ると無性に追いかけてしまいたくなるのだが、今回も何も考えずにその男の後を追いかけて行った。
窓から逃げ出すのに大きな音を立てるような男はそれほど俊敏ではないはずだが、モオルダアが追いかけ始めた時にはすでに二人の間に大きな差が出来ていた。モオルダアが塀にたどりついてその上に足をかけた時に、男の姿を発見するのは困難でもあった。モオルダアは上半身を塀の上に乗り出した状態で辺りを見回して、やっと男が逃げていけそうな場所を探すことが出来た。
塀の向こうは別の家の庭だったのだが、その庭の一カ所に外の道に通じる扉があったのだ。そして、モオルダアはその扉が閉まる直前にそこにいた男の姿を確認することが出来た。モオルダアは塀に乗せていない方の片足を大きく振り上げてそのまま塀を乗り越えて隣の家な庭に飛び降りると、その扉へと向かった。
扉の向こうにはまた路地が続いていて、その先の方に男の姿があった。男とモオルダアの間には、これは果たして追いつくことが出来るのか?という距離があったのだが、F.B.L.がやって来ていきなり逃げ出すようなヤツは怪しいに決まっているのだし、これを逃がしたら解決する事件も解決出来ないに違いないと思っているモオルダアは必死になって後を追いかけた。
「おい待て!」
と言って逃げている人間が止まるわけはない。モオルダアはこの台詞を言うたびにそう思って虚しくなるのだが、それでも諦めずに、待てと言っても止まらない男の後を追い続けた。部屋から逃げ出す時には大きな音を立てて、運動神経が鈍そうな感じだったのだが、それがそのまま逃げ足の速さに関係しているのではないようで、モオルダアがいくら走っても男との距離は縮まなかった。それどころか、彼の追いかけている男は走るのが得意なのかそろそろモオルダアが息切れしそうな時になってもまだ最初と変わらない速さで逃げているようだった。
ただ彼らの走っている路地は他に交差する道がなく、大きな通りに出るまでになんとか追いつければ男を捕まえる事ができるのだ。モオルダアはさらに追いかけたが、やはりいっこうに差が縮まらない。「ハイテクを駆使して謎のゲームをダウンロードさせるような男にこんな体力があるはずない!」と思っていたモオルダアだが、それはある意味偏見でもあるな、とも思えたりもした。そんな事を考え始めたということはそろそろ酸欠で意識が朦朧としてきた証拠でもある。モオルダアはもうダメだ、と思って走る速度を緩め始めた。前を走る男はもう少しで路地を抜けて大通りに出るところだし、そうなったら逃げる道はたくさんあるから余程の運がないと追いかけるのは困難だろう。
しかし男が大通りに出る前に救いの神が現れたようだ。路地の出口にスケアリーが立ちはだかって、銃を男に突きつけると、男は慌ててその場に静止した。
「F.B.L.ですのよ!いくつか聞きたい事がありますから同行していただけるかしら?」
男は両手を挙げて黙って頷いていた。そこへモオルダアがハアハア言いながらやって来た。壁に手をついてハアハア言いながら休みたいような状態だったが、この状況でそんなことをしているのはおかしすぎる。モオルダアはよろめきながらも男の背後から男に手錠をかけた。ハアハア言いながら。
モオルダアはどうしてスケアリーがここに先回り出来たのか不思議だった。スケアリーも走ってきたようで多少息が荒くなっていたが、全力で走っていたモオルダアに比べたら落ち着いている。
「どうしてここが解ったんだ?」
モオルダアが聞くとスケアリーはこれまでのお返しと言わんばかりに得意げに答えた。
「スマートフォンはスマートに使ってこそスマートフォンじゃなくって?」
そう言うとスケアリーは彼女のiPhoneをモオルダアに見せた。画面にはこの周辺の地図が表示されていた。
「ああ…」
モオルダアは納得したような、しないようなミョーな気分になっていた。