「マキシマム・ビューティー」

1. エフ・ビー・エル・ビルディングのとあるフロア

 こんなはずじゃない。こんなはずじゃないのに…。モオルダアの頭の中で繰り返される落胆の言葉。その言葉は他のエフ・ビー・エル職員が彼の目の前にどさりと置いた書類の山に遮られた。

「モオルダア君。これお願いね」

考えを中断されたモオルダアは一瞬戸惑ってその職員の方を見た。

「コピー」

「ああ、コピーですか。お安いご用で!」

モオルダアが言うのを最後まで聞かずにその職員はどこかへ行ってしまった。モオルダアは気にせずに目の前に置かれた書類の山を整理し始めた。

 こんなはずじゃない。こんなはずじゃないのに…。モオルダアの頭の中でまたこの言葉が繰り返され始めた。そしてそれはまた遮られる。

「モオルダア君!」

さっきとは違う職員がモオルダアの机のところにやって来て声をかけた。

「この前頼んでおいた、犯人移送の手続き。まだやってないんじゃない?すぐやってくんないかなあ」

「へい。お安いご用で!」

絶対に「お安いご用」なんて思っていないのだが、自然とこういう言葉が出てくる。人間は召使いとして扱われることになれてしまうと、自然と召使いとして振る舞うように出来ているのだろうか?

 ペケファイルが閉鎖された現在、モオルダアはエフ・ビー・エルにおいてはただのバイト。UFOも地底人も美人女スパイも遠い存在になってしまったのだ。こんなはずじゃないのに…。モオルダアは一度目の前の書類から目を離して天井を見上げるとそのまま椅子の背もたれに深く沈んでいった。こんなはずじゃないのに…。

 こうしているとまたすぐに誰かがやって来て彼に雑用を押しつけるのはモオルダアにも解っていた。見なくてもすぐに解る。ヒマそうにしているモオルダアを見つけて誰かがこっちに向かってくる気配を感じる。今度はなんだ?コンビニに弁当でも買いに行かされるのか?それとも…

 モオルダアが感じていたとおり、先程から彼のことをじっと睨めつける人影があるのだが、しばらく立ち止まったまま動かなかった。モオルダアもいつもと様子が違うと思って彼に向けられた視線を感じる方を見た。

 モオルダアを睨んでいた人物はモオルダアと目が合うと、何を言っているのかほとんど聞き取れないうめき声のような叫び声をあげてモオルダア目がけて突進してきた。

「ン〜モ〜オルダ〜ァァァァ!!」

この一瞬の出来事にモオルダアはなすすべもなかった。ただ彼を椅子ごと突き倒してそのまま彼に馬乗りになっているのがスケアリーだということは解った。

「ご、ごめんなさい」

とりあえず謝ってみたモオルダアだったが、何にたいして謝っているのか彼自身も理解できなかった。モオルダアの言葉にはまったく反応しないスケアリーは両手でモオルダアのクビを締め上げた。

「あなたが生きている限り、あたくしは絶対に幸せになれないんですのよ!おわかり!」

そういいながらスケアリーはさらに両手に力を入れた。そんなことを言われてもモオルダアには何のことだか解らない。

 これは夢なのか?そうだこのワケの解らない展開は夢に違いないのだ。ただ、おかしいことに夢にしては苦しすぎるのだ。そしてクビを締めているスケアリーの手が小刻み震えているところがあまりにも現実的なのだ。しかし、この状態を夢とする理由が一つある。スケアリーが美人なのだ。次第に薄れていくモオルダアの視界には、前に見た時と明らかに違う美人になったスケアリーがあるのだ。

「スケアリー。なんかキミ、きれいになったんじゃ…」

こう言うとモオルダアは気絶した。

2. 総合病院の一室

 病院のベッドで意識を取り戻したモオルダアは横たわったまま古びて薄暗い天井を眺めていた。視線は天井に向けられていてもその目に映るのはエフ・ビー・エル・ビルディングで見た美人になったスケアリーの顔だった。「いったい彼女に何が起きたんだ。それからボクはなんでこんなところで寝ているんだ?」モオルダアの頭の中にボンヤリとした疑問がわいて出てくる。

 しばらくすると、病室の扉が開いてスキヤナー副長官が入ってきた。始めから心配そうな顔をしていたスキヤナーだったが、虚ろに天井を見つめているモオルダアを見てさらにその顔を曇らせた。

「おい、モオルダア。何をやっているんだ」

心配だったが、いつもの癖でいつもの台詞を言ってしまった。モオルダアはゆっくりと顔をスキヤナーの方へ向けた。

「何をって言われても、見れば解るでしょ。ベッドで横になってるんですよ」

まあ、それはそうだ。しかしスキヤナーの聞きたかったのはそういうことではない。

「いったい、何が起きたというんだ?あれはスケアリーだったのか?あの事件を目撃した職員の何人かはあれがスケアリーではなかったと言っているんだが。キミはどう思う?」

モオルダアはこの質問にすぐには答えなかった。そのかわりにスキヤナーに聞いた。

「これって夢ですか?それとも現実ですか?」

これを聞いてさらにスキヤナーは心配になった。モオルダアに近づいて彼の目の中を見つめている。

「おい、大丈夫か?もしかしてあの騒動のおかげでキミの脳に酸素が足りなくなって…」

スキヤナーの顔があまりにも近くに接近してきたのでモオルダアは驚いて我に返った。

「うわあ!なんですかいきなり」

驚くモオルダアにスキヤナーも驚いている。

「いったい何がどうなったんだ?」

モオルダアが正気を取り戻したようなので、スキヤナーがもう一度聞いた。

「それはボクが聞きたいぐらいですよ。あれはスケアリーですよ。もの凄く美人になってたけど、間違いありませんよ。ボクにあんなことをするのはスケアリー以外にいませんからね」

これを聞いたスキヤナーは言葉を返すのに少し時間が必要だった。どうしてスケアリーはモオルダアを襲ったのか。そしてどうしてスケアリーが美人になってるのか。

「なんでスケアリーがキミを襲うんだ?まわりにいた職員が彼女を止めなかったら、もう少しでキミは本当に殺されるところだったんだぞ」

「そうなんですか。あんな偉そうにしてる職員たちでも少しは人間らしいところはあるってことですか」

「そういうことを聞いてるんじゃないよ。どうしてスケアリーはキミを襲うんだ?」

そんなことを言われてもモオルダアにも良く解らない。ただ一つ心当たりがあるとすれば、スケアリーがペケファイルの再開を望んでいたということだ。

「原因はペケファイルの閉鎖じゃないですかねえ。それ以外に考えられませんよ。だいたいどうしてペケファイルが閉鎖されるとボクが雑用係にならないといけないんですか?」

「キミは雑用係じゃなくてアシスタントだぞ」

「それは雑用係のカッコイイ呼び方ですよ。それより、そんなことはスケアリーに聞けば良いじゃないですか」

「私もそうしたいんだがね、あの騒動のあと職員達の制止を振り切ってどこかへ消えてしまったということだ」

「そうなんですか?もしかすると次のターゲットはあなたかも知れませんよ。これは早いことペケファイルを再開させないと大変なことになりますよ」

こう言うとモオルダアはスキヤナーの顔色をうかがっていた。本当はモオルダアだって、いや彼こそが心の底からペケファイルの再開を望んでいるのである。この騒動に乗じてペケファイルが再開されればそれはそれで都合のいい話である。少なくともアシスタントという名の雑用係からは解放されるのである。

「その件についてはまだなんとも言えないけどな。それよりもスケアリーの行方をつきとめる方が先だ」

スキヤナーもモオルダアに対してすまなそうな顔をしていたが、ここはあくまでも慎重にことを進めたいという感じだった。スキヤナーはそのままモオルダアを残して病室を去っていった。

 心配していたくせに、去り際は冷たい感じのスキヤナー。ここで一気にペケファイルを再開させたかったモオルダアはスキヤナーを追いかけて、今度は真剣に説得してみようと体を起こしたが、その瞬間後頭部にうっすら鈍い痛みを感じた。彼は体を半分起こした状態のままその場所を触ってみた。後頭部には大きなこぶが出来ていた。多分あの事件で倒された時に後頭部を床に打ち付けたに違いない。それに体を動かしてみて解ったのだが、彼は今自由に動き回れるほどの状態までは回復していないようだった。全ての感覚が深い水の底に沈んでいるようなけだるさが彼の体を押さえつけているようだった。

 絶対にペケファイルは再開されるべきなんだ。そしてボクが新しい美女のパートナーとスケアリーを探せばすぐにこの事件は解決するんだ。ペケファイルさえ再開されれば全ては本来あるべき状態に戻るんだ。だけど今のモオルダアにはそれが出来そうにない。こんなはずではないのに。モオルダアは諦めてもう一眠りすることにした。。