31. 車内
モオルダアは助手席からリアウィンドウ越しに後方を確認した。スケアリーの姉の車とヌリカベ君のバイク以外には何も彼らを追いかけてくるものは見えない。これで一息つけるはずなのだが、モオルダアにはいろいろ納得のいかないことだらけである。モオルダアはスケアリーに襲われてから、こうしてスケアリーの車で別荘へやって来た謎の車から逃げている今までの出来事を何度も思い返してみた。全ては関連しているようにも思えるのだが、そう考えても個々の出来事が一つの線で上手くつながらない。こう言う時には、必ず裏で糸を引く人物がいるものなのだ。これは全てが偶然とそこから発生する必然のつながりで起こる事件とは思えない。
モオルダアはここで引き返して、別荘に来たのが誰なのか確認すべきかとも思った。しかし、今さらそんなことを言ったらスケアリーの機嫌が悪くなるに決まっている。しかも、もしスケアリーが怒ってモオルダアを車から放り出すようなことがあったら、彼のこれまでの苦労が水の泡。彼がまず始めにすべきことはスケアリーを連れて帰ることだ。ペケファイルを再開させること。それでまた全てが動き出す。闇に葬り去られた数々の陰謀を暴くにはペケファイルが必要なのだ。そうでなければ彼はバイトの雑用係だから。
モオルダアは落ち着かない感じであれこれ考えていた。車はもうすでに山あいを抜けて平地の真っ直ぐ伸びる高速道路をひた走っていた。道の両脇にはビルの明かりも見え始めている。このまま夜の交通量の少ない道路を走っていれば一時間ほどで東京に着きそうだ。
「ちょいと、モオルダア。さっきからそわそわして、気味が悪いですわ!もしかして久々に美人の隣に座って緊張しているんですの?」
モオルダアの頭の中はそれどころではないのだ。しかし、ここでモオルダアが思ったままをスケアリーに言ったら、スケアリーの機嫌を損ねることになるかも知れない。モオルダアは出かけた言葉を飲み込むと「ヘヘッ」と笑っただけだった。それがスケアリーには余計に気味が悪かった。スケアリーは前方から目を離して一度モオルダアを見た。スケアリーの苛立ちに満ちた視線を感じながら、モオルダアは車から放り出されないように祈っていた。
モオルダアは、何があっても大丈夫なようにスキヤナー副長官にスケアリーを無事発見したことを連絡しようと思った。上手くいけばこの場でペケファイル再開ということになるかも知れない。モオルダアは携帯電話を取り出してスキヤナーに電話をかけた。
スキヤナーは低く、くぐもった声で電話に応対した。
「モオルダアか。どうした?」
「副長官。スケアリーを見つけましたよ。約束どおりペケファイルは再開ですね?」
「そうか、それは良かったな」
そういいながらスキヤナーは最初に電話を受けた場所から移動したらしく、電話の向こうでガタガタという音が聞こえたあと、さっきよりは明瞭な声で話し始めた。
「それじゃあ、ここで私の幽体離脱の体験談でも聞いてもらいたいところだが、そうもいかなくなったんだよねえ」
モオルダアの表情が曇った。「少女的第六感」はいつでも正しい。なにか悪いことが起こったに違いない。
「何か問題でも?」
「それがねえ、例の双江さんっていただろう?私はてっきり死んでしまったと思ったんだが、奇跡的に弾丸が急所をはずれていたんだよ。意識は無かったけど命に別状は無いということで。それで病院に入院してたんだけどな」
「それが問題なんですか?」
「いや、そうじゃないよ。ついさっき双江さんが病院から脱走したという連絡が入ったんだ」
モオルダアはこれを聞いて、言い知れぬ恐怖を感じると伴に、そんなことが本当に可能なのかということを考えていた。銃で撃たれて意識不明だった女性が、意識が回復するなり立ち上がって病院から逃げたというのか?しかし、双江さんはいまだにエッフェッフェドリンの影響下にあるのかも知れない。元々エッフェッフェドリンは兵士の身体能力を高めるために開発されたものなのだ。そういう薬品を使えばそれぐらいは可能なのかも知れない。しかし、問題は病院の警備だ。いくら相手が女性で意識不明といっても、彼女は婚約者を斧で襲って足をちょん切ったのだ。そんな患者には警備がつくの普通だ。
「双江さんには警備が付いてなかったんですか?」
「それがおかしいんだ。私の指示で双江さんの病室では警察が交代で警備をするはずだったんだよ。それが病院に確認すると私のいない間に誰かが来て警察を引き取らせたというんだよ」
聞いているうちにモオルダアはこれまで一つの線でつながらなかった出来事が、少しずつ整然とした形で並んでいくような感じがしていた。しかし、それは依然として複雑で入り組んだものである。
「中場さんはどうなんです?双江さんが狙っているのはフィアンセの中場さんですよ」
「それなら大丈夫だ。私がいるのは中場さんの入院している病院なんだ。双江さんの脱走を知って私が病院内と周辺に警察を配備しておいたから、ここは安全なはずだ。しかしねえ、双江さんのいた病院とこの病院はそれほど離れていないんだけどね、いまだに彼女が現れないんだよ。キミには何か思い当たるところがあるのか?」
モオルダアにはビューティー・アップ社の他に思い浮かぶ場所はなかった。
「副長官。ここはボクにまかせてください」
「まかせてください、って言われてもキミは何か知ってるのか?」
モオルダアはスキヤナーに彼の知っていることを話す気はなかった。彼に知らせれば警察やエフ・ビー・エルが動き出す。そうなれば今度はホントに双江さんが射殺されるかも知れない。或いは双江さんと一芽実田社長の二人ともそうなるかも知れない。とにかくことを大きくしては裏で動いている誰かがやりやすくなるだけなのだ。このエッフェッフェドリン事件の真相を暴くには双江さんも一芽実田社長も重要な証人になるに違いないのだ。
「優秀な捜査官の第六感ってやつですよ!」
そう言うとモオルダアは電話を切って無理矢理会話を終わらせてしまった。こんなことをしたらペケファイルの再開はおあずけになってしまうかも知れないのだが、盛り上がってきたモオルダアにはそこまで考えることは出来ない。
「スケアリー、緊急事態だ!もっととばしてくれ!行き先はビューティー・アップ社のビルだ!今からならまだ間に合う!」
モオルダアがビックリマークだらけでスケアリーに言った。
「何なんですの、もう」
スケアリーは迷惑そうにモオルダアを見た。一瞬これにひるんでしまったモオルダアだが、両手をあわせて顔の前に持ってくると「お願いだから…」と弱々しく言った。スケアリーは渋々アクセルを踏み込んで車を加速させた。スケアリーの高級セダンは一気に加速して後続の車を引き離していった。
32. 怪しい部屋
薄暗い部屋に電話の音が響き渡る。男が受話器を取ると黙ってそれを耳に当てて電話の向こうの声を聞いていた。話が終わると男は一言「よろしい」とだけ言って受話器を置いた。それから傍らにあったウィスキーのビンを握ってそのまま一口流し込むと、彼は再び受話器を持ち上げて別のところへ電話をかけた。
「スケアリーは失敗した。そっちの方をよろしく頼む」
そう言って、静かに受話器を置くと、また一口ウィスキーを飲んだ。