「マキシマム・ビューティー」

35. 翌日、エフ・ビー・エル・ペケファイルの部屋

 モオルダアは一人この薄暗い部屋におかれた椅子に座って何かを読んでいる。スキヤナーが約束どおりペケファイルを再開させて、エフ・ビー・エルには再びモオルダアの居場所ができたのだ。しかし、モオルダアの顔色はすぐれない。読んでいた書類を机の上になかば投げ出すようにして置くと「こんなはずじゃないのに」とつぶやいた。このあいだのビューティー・アップ・サプリに関する後味の悪い事件からずっとモオルダアは浮かない表情だったのだが、彼の読んでいたその書類が追い打ちをかけたようだった。

 その時、ペケファイルの部屋の扉が開いてスケアリーが入ってきた。彼女は入って来るなり「もう、イヤになっちゃいますわ!」と言ったが、その言葉とは対照的に彼女の動きは活力に満ちている。スケアリーは別にイヤになることがなくてもイヤになっちゃうタイプの人間なのだ。つまり「イヤになっちゃいますわ」は彼女の口癖。モオルダアもそれには気付いていたから、何も言わずに薄暗い表情のままスケアリーを見ただけだった。

「あら、どういたしましたの。そんな死人のような顔をして?」

そう言うスケアリーの顔を見ていたモオルダアは彼女の変化に気付いてギョッとしていた。彼女の顔つきが昨日とは少し変わっているのだ。まさかまたスケアリーに襲われるのでは、とモオルダアは心配になってきた。

「なんだかキミ…」

その後の言葉が出てこない。

「ちょいとモオルダア、言いたいことがあるならハッキリ言えば良いんですわ。でもあたくしがどんどん美しくなるのに驚いているのも解りますけども」

どうやらスケアリーも自分の顔つきの変化に気付いているようだ。

「これどう思います?検査の結果が出るまでヒマでしたから、雑誌に載っていたメイク方法を試してみたんですの。まああたくしは元が良いからどんなメイクでもバッチリきまってしまうのですけど」

それを聞いてモオルダアは安心した。もうスケアリーが怪しい薬物入りのサプリメントを飲んでいるということはないようだ。

「良いんじゃない」

モオルダアは適当な感想を言った。本当に思っていることを言ったらスケアリーの機嫌が悪くなるだけだ。

「ところで検査の結果は?」

「ダメでしたわ。私の体内にはもうエッフェッフェドリンなんてものは残っていませんでしたわ」

モオルダアはこの報告を聞いてまたさらに表情をくもらせた。凶暴化していた双江さんの遺体があれば彼女がエッフェッフェドリンの影響下にあったことが証明できるのだが、彼女の遺体は何者かに持ち去られてしまったのだ。最後の望みはスケアリーだけだったのだが、彼女の体内にエッフェッフェドリンが残っていないことは始めから解っていた。それでもモオルダアがどうしてもというのでスケアリーはしぶしぶ検査を受けたのである。

「そんなに落ち込むこともありませんわ。ビューティー・アップ・サプリに変な薬物を入れた一芽実田社長には天罰が下ったということですわ」

「それなら良いんだけどねえ。キミはホントに一芽実田社長が自分の会社の製品に薬物を入れると思うのか?あの事件は誰かに仕組まれたものなんだよ。ボクらはまんまと彼らの書いた筋書きどおりに行動してしまったんだ。それで、もしかすると助けられたかも知れない二人を犠牲にしたんだ」

そう言ってモオルダアは机の上に置かれた、さっき彼の読んでいた書類をスケアリーに渡した。スケアリーがそれを見ると、手書きの細かい文字が一面にビッチリ書かれていた。書き出しの部分を読んでみると、それはモオルダアに宛てられた手紙のようだった。

「何なんですの?これは」

スケアリーはこの几帳面で細かい文字を何枚も読む気にはなれなかったのでモオルダアに聞いた。スケアリーの期待どおりモオルダアは内容を説明し始めた。

「この手紙には書いた人の名前がないけど、これを書いたのは元ビューティー・アップ社の警備員であり、一芽実田社長の熱烈なファンでもある男が書いたものなんだ。今朝その男が直接ボクに渡しに来たからそれは確かだよ。一芽実田社長への熱い思いからだと思うけど、所々に脚色されたような感じはあるけどねえ。でもここに書かれたことが真実であるならば今回の事件は決してこれで解決とはいきそうにないんだ」

「それで、そこにはなんて書いてあるんですの?要点をまとめて話してくださるかしら?」

もったいぶって話し始めたモオルダアをスケアリーが急かしている。要点をまとめる、といってもこれだけ長い手紙の要点をまとめるのは少し苦労しそうだ。モオルダアは少し考える間をおいてから再び話し始めた。


「まず始めに驚くべき真実が書かれているんだ。一芽実田社長は美田時子として芸能活動をしている時代に殺人を犯している。でも美田時子は何の嫌疑をかけられることもなく、その後芸能界を引退してビューティー・アップ社の社長になったんだ。殺されたのは美田時子が当時交際していた映画プロデューサー。彼女はそれまで売れないアイドルだったんだけど、女優に路線変更してからはそこそこ仕事も来るようになっていたみたいなんだ。でも問題は彼女の変化なんだ。女優に転向してから彼女の顔つきは少しずつ変わっていった。それはもしかすると年齢と関係しているのかも知れない。二十歳をこえたぐらいから顔つきががらりと変わる女性って多いから。でも彼女の場合それだけじゃなくて性格まで変わっていったということなんだ。女性としての美しさに磨きがかかる一方で、撮影現場では終始イライラしてスタッフに暴力をふるうことさえあったということなんだよ」

モオルダアはここまで話して一度スケアリーの顔色をうかがった。

「つまり、一芽実田社長はエッフェッフェドリンを使っていたということですの?」

いつものように怪しい話を始めたモオルダアに向かってスケアリーは疑念の表情を向けていた。

「その可能性は大いにあるねえ。問題は誰が美田時子にエッフェッフェドリンを与えたか、ということだけどね。この手紙を書いた男は美田時子ひとすじという感じで、彼女の関わる仕事のスタッフのことやら事務所の人間のことまで知っているのだけど、それでもいわゆる『追っかけ』にそれ以上のことは解らないよねえ。彼にも美田時子のプライベートまでは解らなかった。でも後で映画プロデューサー殺害のことを一芽実田社長から聞かされて、彼女の背後に謎の男がいることも解ったんだ」

モオルダアはまだスケアリーが話に着いてきているかを確認するためにここで間をあけた。スケアリーが「それで?」と言うのを確認して先を続けた。

「この手紙を書いた男は美田時子が芸能界を引退して一芽実田塗黄子としてビューティー・アップ社の社長になっても『追っかけ』は辞めなかった。一芽実田社長もビューティー・アップ社の警備員の面接に訪れた彼を覚えていたみたいなんだ。何しろ彼は美田時子が売れないアイドルだった時からどんな小さなイベントにも顔を出していたから。どうやら彼女も彼のことを頼りにしている部分があったらしいんだ。地方の小さなイベントでタチの悪い客が来ていたりすると、その男がファンを代表して客席のごたごたを解決していたということだからね。そんな感じで彼はビューティー・アップ社の警備員として採用されたんだ。それだけではなくて、時には一芽実田社長の相談相手として社長室に呼び出されることもあったそうなんだ。もちろん会社の経営とかに関する相談ではなくて、一芽実田社長の精神的な支えという感じだよね。まあ二人の関係はそれ以上にはならなかったみたいだけど、手紙の中の表現をかりるなら『二人は心のそこでは通じ合っていた』ということらしいよ。まあ、そんなことはどうでもいいけどね。そうやって一芽実田社長の話を聞いているうちに彼女が犯した殺人のことを聞いたらしい」

要点をまとめろと言ったのに、全然そうなっていない話にスケアリーは飽き飽きしていたが、ここで殺人の話がやっと出てきて興味を取り戻すことが出来た。

「いくら頑張っても売れそうにない美田時子は引退を考えていたらしい。でもそんな時に魔法の薬を持った謎の男が現れて彼女に映画のオーディションを受けるように進めたらしいんだ。男の言うことを信じて薬を飲み続けていると不思議と自分が以前よりも美人になってくる。女優としてもそこそこ知られるようになってきて、とうとう主演女優として撮影が始まった頃には売れないアイドル時代とはまったく別人と思えるくらいの美人になっていたそうだよ。主演女優と言っても誰が見るかも解らないVシネマだけどね。でも撮影が終わる前にその映画はお蔵入りになってる。プロデューサーが殺されてしまったからね。一芽実田社長はこの時の記憶が全くないにもかかわらず、殺したのは自分だと言っているんだ。それも無理はないよね。ホテルの一室でふと我に返ると辺りは血だらけ。しかも手には彼を刺し殺す時に使ったであろうペーパーナイフが握られていたんだから。そこへまた謎の男が現れた。その男の手によって事件は闇に葬り去られると同時に一芽実田社長はどうにも出来ない弱みをその男に握られてしまったと言うことなんだ」

「ちょいと待ってくれません?それって本当にその手紙に書かれていたことなんですの?なんだかあなたの作り話を聞いているような感じになってまいりましたわ」

スケアリーはたまらず話を遮った。モオルダアはこうなることを半分ぐらいは予想していたから慌てずに先を続けた。

「まあ、キミが疑うのも無理はないけど。でもこれはちゃんとここに書いてあることだから。それでねえ、その謎の男によって殺人犯は別の男にされてしまって、その犯人にされた男は拘留中に自殺したことになっているんだよ。これは後で調べてみればホントかどうか解るはずだけど。それから一芽実田社長は謎の男に言われるままビューティー・アップ社の社長になったということなんだ。どうしてその謎の男がそんなことをさせるのか一芽実田社長には良く解らなかったみたいで、この手紙を書いた警備員はよくその話を一芽実田社長から聞いていたみたいなんだ。殺人事件をもみ消してしまうような男がどうして一芽実田社長を使って美容のためのサプリメントなんかを売るのか。確かにおかしな話だよね。でもボクの考えでは、これはある種の実験だと思うんだよ。人体に何らかの影響を与える薬物を多くの人間に密かに投与するためにはどうすれば良いのか。それを調べるための実験だったんだと思うんだよ。そしてそれはほぼ成功したといえるんじゃないかなあ。キミでさえ気付かずにエッフェッフェドリンをサプリメントとして飲んでいたんだから。普通の食べ物が変な味だったら食べないけど、錠剤っていうのは変な味がして当然だしね」

「それはそれでつじつまが合うかも知れませんが、だいたいその警備員の書いたことが真実である証拠がどこにもありませんわ」

「そうだよねえ」

モオルダアにしてはめずらしく彼女の反論を否定しなかった。

「ホントにこの警備員が言っているような謎の男がいるのなら、それを知っている警備員だって一芽実田社長と一緒に消されているかも知れないしねえ」

モオルダアは自信がなさそうに小さくなっていく。スケアリーはなんだかモオルダアが気の毒になってきた。

「それで、どうなさいますの?その謎の男を捜すんですの?」

「さあねえ。警備員はボクに真実を暴いて欲しいなんて言ってたけどね」

「それなら、そうすればいいじゃない」

「でも、この手紙を手掛かりにしたところでビューティー・アップ社に関して新しい情報は得られないよ。今では今回の事件に関する証拠は全て消えているはずだよ。もし謎の男がいるのならね。でもボクらがペケファイルで捜査を続けていればいつか必ず謎の男につながるはずなんだ。ボクはそんな気がするんだよねえ」

スケアリーは理解しているのかどうか解らなかったが「そう」と一言だけ答えた。それからモオルダアにはもう言うことがないようだと解ると、彼女が話し出した。

「あたくし、そろそろお腹が空いてきましたからお昼を食べにいきますわ」

この薄暗い地下の部屋で沈みに沈んでいるモオルダアとは対照的にスケアリーは明るく見える。もちろんモオルダアの変な話を聞いている時は別だが。もしかするとペケファイルが再開されて一番喜んでいるのは彼女なのかも知れない。

「キミなんだか…」

モオルダアはスケアリーを見ながら言いかけたがそこで口を閉じた。生き生きとした彼女を見ているとなんだかいつもよりも輝いて見えた。いやもしかすると雑誌に載っていたメイク方法のためかも知れない。

 スケアリーはドアのところまで行くと一度振り返った。

「あなたもこんな薄暗いところでクヨクヨしていないで、外に出たらどうなんですの。なんだか最近のあなたは老け込んで見えますわよ。よろしかったらあたくしがお昼を御馳走してあげますわ。あたくしを探し回ってくれたお礼に」

自分に向かって笑みを浮かべ、思ってもいなかった言葉を口にしたスケアリーにモオルダアは一瞬たじろいだ。

「ああ、そうなの?でもボクはもう昼食を用意してあるから」

そう言ってモオルダアはぎこちない感じで引き出しの中から今朝買ってきたビニール袋に入ったカレーパンをスケアリーに見せた。

「あらそうですの。人の好意を素直に受け取れないあなたは、そのカレーパンみたいに袋の中でギトギトしてればいいんですわ。それじゃああたくしは一人でフレンチのランチをおいしくいただいきますから」

こう言ってモオルダアを睨みつけたスケアリーはやはりいつものスケアリーだった。

 モオルダアはそれからしばらく机の上の手紙を眺めていたが、一度そこから目をそらしカレーパンの入った袋を見た。そのあと彼は手紙をまとめると封筒に入れて書類をまとめてある引き出しへと持っていった。彼は再び元の椅子に座るとカレーパンを手に取った。

「これでいいのかなあ」

そうつぶやいたモオルダアの瞳には何か吹っ切れたような輝きが感じられた。彼がカレーパンの袋を破くと、中からカレーと古びた油の混ざったとても食欲をそそるとは思えないニオイが漏れてきた。

「これでいいんだな」

手にしたカレーパンを見ながらまたつぶやくと、モオルダアはまずそうにそれをほおばった。

2006-12-08
the Peke Files #014
「マキシマム・ビューティー」