「マキシマム・ビューティー」

24. ビューティー・アップ社(社長室)

 社長室の外が一瞬騒がしくなって、その後すぐに社長室のドアが開いた。ドアを開けたモオルダアの後ろで秘書が慌てた様子で彼を止めようとしていた。

「許可は取ってあるんだ!」

そう言うとモオルダアは勢いよく社長室のドアを閉めた。

 一芽実田社長は一瞬戸惑った様子を見せたが、モオルダアが彼女に視線を向ける頃にはいたって平然とした態度を取り戻していた。これが急成長する会社を取り仕切る女社長の度量なのか、或いはこんなことにはもう慣れてしまっているのか。彼女は突然現れた不審者の顔をじっと見つめていた。

「どうぞ、お掛けになってください」

一芽実田はモオルダアにこう言ったが、モオルダアは椅子を通り越して一芽実田の目の前まで来ると、腰をかがめたり、背伸びしたりして、あらゆる方向から一芽実田を眺めていた。

「あの、何をなさっているのか知りませんが、とにかくお掛けになってください」

こう言われてもモオルダアはしばらく怪しい行動を続けていた。

「いや、ちょっと待ってください。今ボクはあなたのマキシマム・ビューティー点とミニマム・ビューティー点を探してるんです。…でもそんなものは無いのかなあ?」

モオルダアはやっといわれた通り椅子に腰掛けた。

 モオルダアの言っているマキシマム・ビューティー点とかミニマム・ビューティー点というのは、きっとこういうことである。昨日彼と会った双江さんにはその角度から写真を撮ると美人に写る角度があった。そのことがあまりにも衝撃的だと思ったモオルダアはいろいろと考えたあげく、逆に不細工に写る角度があるのではという仮説を立てていたのだ。もしそうなら、一番美人に見える角度がマキシマム・ビューティー点で、逆に一番不細工に見える角度がミニマム・ビューティー点だ、と言う感じでモオルダアは勝手にその現象に名前を付けていたのである。

 モオルダアは一芽実田社長が美田時子だった時のグラビア写真がビミョー過ぎるのは、もしかするとミニマム・ビューティー点で撮影された写真だったからではないかという疑問を抱いていたのだ。もしそれが原因で現在と過去の一芽実田社長の顔が違うのなら、モオルダアがここに来た意味がなくなってしまう。しかしモオルダアは一芽実田社長が何かいけないものの力で現在の美貌を手に入れたと思っていたのだ。

 一芽実田社長はどこから見ても美人社長だった。完璧ではないし、所々に年相応の欠陥が見え隠れしてはいるのだが、どの角度から見てもミニマム・ビューティー点は見つからなかった。それを確認してモオルダアは椅子に掛けようとしたのだが、彼女から離れる瞬間、彼女の顔に厚く塗られたファンデーションの下に青黒いアザのようなものを発見した。それは窓から差し込む光をの加減によって見えたり見えなかったりしていたのだが、こめかみからほお骨のあたりまで広がっている。誰かに殴られでもしない限りそんなアザは出来そうもないのだが。モオルダアは変なものを見てしまった影響で自分が何をしに来たのか解らなくなったまま、椅子に腰掛けた。

 何も言い出さない不審者モオルダアをしばらく眺めていた一芽実田社長は、この不審者が何も言い出さないようなので自分から話すことにした。

「それで、どんなご用件でしょうか?もし私どもの製品に不備などがございますようでしたら何なりと御申しつけくだされば…」

一芽実田社長のアザに考え込んでしまったモオルダアはここでハッと我に返って一芽実田社長を遮った。

「そういうことじゃありません」

と言ったものの、モオルダアは特に聞くことなど考えていなかった。これまでの経過から明らかにビューティー・アップ社のビューティー・アップ・サプリが大きな犯罪に関わっている。さらに謎の男から渡されたエロ本には、今目の前にいる一芽実田社長のアイドル時代の写真が掲載されていた。それだけでモオルダアはこの社長室に乗り込んできたのだが、何を聞こうかなど全然考えてもいなかったのである。でもそれはちょっと優秀な捜査官ではない。とりあえずモオルダアはポケットの中のエロ本を取りだした。

「一芽実田さん。ここに写っているのは若い頃のあなたですね?」

モオルダアが雑誌を拡げてそういうと、一芽実田社長は笑いそうになるのをこらえて口に手を当てた。そしてそれが治まるとモオルダアに言った。

「ああ、そのことですか。最近多いんですよねえ。あなたもその雑誌をネタに私をゆすろうとか、そういうことを考えているんでしょう?それだったら時間の無駄ですよ。これまで何度もそういう人が来ましたけど、これだけビューティー・アップ・サプリが売れているのはその写真のおかげなんですから。世間的にその写真は封印されているように見えますが、実はそれも計算されていることなんですよ。隠したがっている過去こそ世間の人は気にしますから。それを逆に利用してるんです。裏でその写真が出回れば出回るほど、現在の私の容姿が引き立つ。そこで私がビューティー・アップ・サプリのおかげで人生が変わった!と言えば、それだけで効果は絶大ですからねえ。ですから、そんなもので私をゆすろうたってそうはいきません」

モオルダアは話が面白そうだったので「そういうことじゃないよ!」というのも忘れて一芽実田社長の言うことを聞いていた。それからやっと「そういうことじゃないです」と控えめに言った。

 机の上にはまだ雑誌が拡げられたまま。あまり可愛くない若き日の一芽実田社長が満面の笑みでこちらを見つめている。これに比べると美人女社長として成功した一芽実田社長はまるで別人だ。見た目だけではない。現在の一芽実田社長からは冷たくて近寄りがたい雰囲気が漂ってくる。それは、もしかすると売れないアイドル時代も、カメラのないところではそうだったのかも知れないが、モオルダアにはこのギャップが信じがたかった。

「何か、昔の一芽実田社長は楽しそうですねえ」

モオルダアは思わず独り言のようにつぶやいたが、すぐにどうでもいいことを言ってしまったことに気付いて、すまなそうに一芽実田社長に目線を移した。

 モオルダアは一芽実田社長の表情が一瞬だけゆるんだように感じた。彼女はまたすぐに元どおりの毅然とした表情を取り戻したが、声色が多少穏やかになっている感じもした。

「そりゃ、その時は若いだけで何でも出来るような気がしていた頃ですからねえ。怖いもの知らずですから、楽しくないわけありませんよ」

モオルダアのどうでもいい一言に一芽実田社長が反応している。

「それじゃあ、今は怖いものがたくさんあるということ?」

何を言っているのか知らないが、モオルダアがこういうと、一芽実田社長は一瞬口をつぐんでしまった。

「誰かに殴られたりするんじゃないかって、怯えてたりしませんか?」

「なんのことだか知りませんが、本題に戻りませんか?いったいあなたはここへ何しに来たんですか?」

人を苛立たせるのは得意なモオルダアは例によって一芽実田社長もイライラさせている。モオルダアは彼女の顔のファンデーションの下に隠されているアザのことが知りたかったようだ。それが何になるのかは知らないが、彼にはちょっと興味があったのだ。しかし、一芽実田社長が苛立ってしまったので、それ以上は詮索できそうにない。

「用がないのならお引き取り願います。私にはやることが沢山ありますので」

一芽実田社長が社長室のドアを開けるために立ち上がろうとしたが、モオルダアはここで引き下がるわけにはいかない。

「いや、失礼いたしました。優秀な捜査官というのは、時に本来の目的とは違うことに興味が行ってしまうんですよ。それも優秀な捜査官のさがというやつですから、そこは目をつむっていただきたい」

良く解らない言い訳だが、一芽実田社長はまた椅子に腰を落ち着けた。

「私がここへやって来たのは、ある事件に関して何ですけど。ある女性がどういうワケだか、どんどん不細工になっていくという事件です。それに関して調べていくとその女性が『ビューティー・アップ・サプリ』を愛飲していたことが解ったんです」

モオルダアが言うのを聞いて、一芽実田社長は何を言われているのか理解するまでの多少の時間を要した。それからこう言い返した。

「それだったら私どものところへこられるのは間違っています。私どもの『ビューティー・アップ・サプリ』は必ずしも美人になるという保証はしていませんが、飲んだから顔がおかしくなるなんてことはあり得ませんから。あれは基本的にはビタミン剤だということはあなたも解っていますよね?」

それはモオルダアも知っていたが、そこで話をやめてしまうとこれ以上一芽実田社長から話を聞けなくなりそうだ。

「それはボクも知っていますよ。顔の変化の理由は別にあったんです。というより、元から少しも顔は変わっていなかったんです。ところが、ある日その女性が誰の目にも美しい女性に変わっていたんです。しかし、変わったのは容姿だけではなくて性格も変わってしまったんです。手も付けられないくらいの凶暴な性格になってしまったんです」

「それが『ビューティー・アップ・サプリ』のせいだとでも言いたいんですか?」

一芽実田社長はこのモオルダアの作り話のような説明に真面目に答えた。

「さあ、それはどうだか解りません。あなたがこの事件に関わっているのかどうかは知りませんが、放っておけばあなたも凶暴化した女性に狙われる可能性がありますよ。というより、もうすでにあなたはエフ・ビー・エルの女性捜査官に襲われていますね?」

一芽実田社長は口元を引きつらせながら、何とか笑顔を作るとこう言った。

「なんだかあなたは見当違いなことをしていらっしゃるようです。どうかお引き取りください。もうこれ以上あなたの空想に付き合っていられませんから」

そういわれてもモオルダアは席を立とうとしない。というか、ここまで適当な感じで確証のない話をしてしまったら引くに引けない。それに入り口で見た「エフ・ビー・エル立ち入り禁止」と一芽実田社長の顔のアザを結びつけるとここにスケアリーが来ていたことがうかがえるのだ。一芽実田社長の反応からするとその可能性は大いにありそうだ。

「そうはいきませんよ。今頃はテレビでも大騒ぎになっているはずです。女性が婚約者を斧で襲った事件のことが。もしかすると似たような事件が別のところでも起きているかも知れない。でもボクはあなたがその事件の黒幕だとは思っていません。もしかするとあなたは被害者なんです」

「もし、あなたが『ビューティー・アップ・サプリ』が原因でそういう事件が起こったなんていいだしたら、私は被害者ということになりますけど。そろそろ帰っていただかないと警備員を呼びますから」

「あのスケベな警備員なら多分来ませんよ。あの人はあなたのギリギリビキニが見たくて仕方がないみたいですから。それより、これだけは教えてください。あなたの顔に出来たそのアザは何が原因なんですか?」

一芽実田社長は立ち上がって電話のところまで行くと受話器を取って警備員を呼んだ。そして受話器を置くと、モオルダアに向かってこういった。

「あなたの思っているとおり、そのエフ・ビー・エルの女性捜査官はここへ来ましたよ。スケアリーとかいう人。それが解れば充分でしょ?」

社長室の外には警備員が近づいてきていた。

「あなたがもう少し器用だったらよかったのに」

一芽実田社長が最後に言った言葉をモオルダアはよく理解できなかったが、それを確かめる間もなく警備員が社長室へ入ってきた。入り口にいた警備員とは違って、ここへやって来たのは、こわもてで体格の良い「本格的な」警備員だった。その警備員によってモオルダアは軽々と抱えられて社長室から連れ出された。それから一階まで降りてくると、入り口にいた警備員が近寄ってきて、モオルダアのポケットから「熱血投稿」を取り出した。モオルダアはそのままビルの外に放り出された。

 情けない悲鳴をあげる間もなくテキパキとビルから放り出されてしまったモオルダア。しかもあのスケベな警備員に「熱血投稿」までとられてしまった。まあ、これは約束だから仕方ない。しかし、このまま引き下がれるのか?モオルダアの半分思いつきの推理は見事当たってスケアリーがここへ来たことは解ったのだ。もう少し一芽実田社長に話を聞けばもっとすごいことが解るかも知れないのだ。もう一度美人女社長に会いたいのだが、ビルの入り口では「本格的」な警備員がモオルダアを睨みつけている。悔しいがここは帰るしかないようだ。そう思ってモオルダアはトボトボと歩き出した。


「モオルダアさん!いったいこんなところで何をやっているんですか?」

モオルダアがその声に驚いて顔を上げると、クライチ君が不思議そうにして彼を見ていた。

「キミこそこんなところで何をしてるんだ?」

「捜査ですよ。もしかしてモオルダアさんは知らないんですか?双江さんの事件のこと」

危うく殺されかけたモオルダアが知らないはずはない。それでもなるべく平静を装って「知ってる」とだけ答えた。

「じゃあ、もしかしてビューティー・アップ社の社長のことはもう調べたんですか?私はあなたが今日エフ・ビー・エルに出勤してこないから自分で判断してこうやって来たんですけど。双江さんはビューティー・アップ・サプリを飲んでいたんだから、あの行動にもビューティー・アップ・サプリが関わっていてもおかしくないと思ったんです。それにしても、私に黙って勝手に捜査なんかしてずるいなあ。あの事件に関しては私達はまだパートナーなんですからね」

クライチ君を見ていたモオルダアは、えこひいきをされてすねている子供を想像してしまった。

「残念だけど今あのビルはエフ・ビー・エル立ち入り禁止だよ。ボクも何も聞けなかった」

モオルダアは早くスケアリー探しの続きをしたいので、ホントのことは言わないようだ。

「エフ・ビー・エル立ち入り禁止っていっても、事件の捜査なんだからそんなことも言ってられないでしょう?」

「でもあの警備員を見てみろよ」

モオルダアはビルの前でモオルダア達を睨んでいる「本格的な」警備員を指した。

「それよりキミに面白いことを教えてあげよう」

「何ですか急に怪しい感じで?」

クライチ君の言うとおり、いいことを思いついたモオルダアは怪しい感じだった。

「キミはどうして双江さんが婚約者の中場を襲ったのか知ってる?」

「さあ?近くにいれば誰でもよかったんじゃないですか?」

「それは違うんだよ。双江さんはわざわざ電車で中場を追いかけてきて彼を襲ったんだ。周りには人が沢山いるにもかかわらずにね。ビューティー・アップ・サプリを飲んで常軌を逸した者は『絶対嫌い度』が多い順に人を襲うんだよ」

「何ですかそれは?」

モオルダアの変な推理にはスケアリーに限らず、正常な人間なら誰だって困惑してしまう。そんなことはおかまいなしにモオルダアは先を続けた。

「一緒にいる時間が長ければ長いほど、相手の良いところが解ってくる。それと同時に同じくらいの悪いところも解るよねえ。それでも一緒にいられるのは良いところが悪いところを打ち消してくれるからだと思うんだよ。だけどビューティー・アップ・サプリの影響で相手の良いところがまったく見えなくなってしまったら、その相手は世界で一番嫌なヤツになりうるだろ?」

「まあ、無理はありますが、あり得なくもないですかねえ?それで、なんだって言うんです?」

「つまりキミはここで新たな事件が起きないように見張っていろ。ということだよ」

「何でそうなるんですか?」

「ビューティー・アップ・サプリを飲んでいる人が身近な人間の次ぎに嫌いなのは誰だと思う?それはつまりビューティー・アップ・サプリを作った一芽実田社長だよ」

「全然意味が解りませんよ」

「ダメだなあ。それじゃあいつまでたっても優秀な捜査官にはなれないぞ。ビューティー・アップ・サプリを飲んでいる人っていうのは、いくら飲んでも全然美人にならない物を売りつけた一芽実田社長に相当な恨みを抱いているはずだけどねえ。たとえ一芽実田社長の美貌に憧れてビューティー・アップ・サプリを飲んでいても、その憧れがなくなれば『絶対嫌い度』は相当上がっているはずだよ」

モオルダアは得意げだったが、クライチ君はまったく納得していない感じでモオルダアに聞いた。

「それじゃあ、私がここで見張っていればビューティー・アップ・サプリで頭が変になった人が一芽実田社長を襲いにやって来る、ということですか?それを私が阻止するってことですか?それじゃあ、あなたはどうするんです?」

「ボクはちょっと調べることがあるから、一度エフ・ビー・エルに戻るよ。それじゃあ、頼んだよ!」

そういってモオルダアは駆け足でその場を去っていった。明らかに逃げ出すような感じで。