「マキシマム・ビューティー」

22.

 現場にはいつしかたくさんの警官達が集まって捜査の準備を始めていた。その周りには大勢の見物人も集まっている。中場は担架に乗せられてこれから救急車で運ばれるところだ。運ばれる中場の後を彼の切断された足を持った警官が追いかけて言った。警官はそれを救急隊員に見せたが、救急隊員は一度首を横に振ってから仕方なくその足を受け取った。斧のようなもので切断されたのでは切断面がグタグタでつながるはずがない、ということだろうか。だいたい、切断された足を元に戻すなど聞いたことがない。それでも警官は現場に足を置きっぱなしにするのがいやだったのか、無理矢理救急隊員にその足を渡したようだ。

 これだけの事件ならそのうちマスコミもやって来るに違いない。スキヤナーは見物人の輪の中からモオルダアを連れ出して話を聞くことにした。スキヤナーがこの現場にいるところはなるべく見られたくないようだ。惨劇の跡が視界から消えるとモオルダアも次第に平静を取り戻した感じだった。

「何か恐ろしいことが起きている気がしますよ」

モオルダアが言った。確かに恐ろしいことは起きている。

「いったいどういうことなんだ?エッフェッフェドリンというのは何なんだ?キミから電話をもらっても何のことだかさっぱりだから、私はキミのところに向かうところだったんだ。それにしてもキミは運が良かったなあ。私が駅前の交番で道を聞いていなかったら今頃キミは…」

「そんなことはありませんよ。いくら何でもボクがあんな女に殺されるわけはない」

だんだんモオルダアらしさが戻ってきたようだ。それでは優秀な捜査官の説明を聞こうではないか。

「あの双江という女もスケアリーもエッフェッフェドリンという薬物の実験台にされたということです。誰がその実験をしているのかはまだ解りませんが、それは何か恐ろしいことを企んでいる連中です」

そんなことを言われてもスキヤナーには良く解らない。

「エッフェッフェドリンというのはどういうものなんだ?」

「元は兵士の身体能力を高めるために開発されたものなんです。言ってみれば強力なドーピング剤ですかね。ところが思わぬ副作用があったんです。それがさっきの状況ですよ。男はイケメンに女は美女になって、しかも暴力的になるんです。斧で愛する人の頭を割ろうとするぐらいにね」

「そんな副作用のあるものを飲ませて何をしようというのだ?」

「その何かを企んでる連中というのは副作用の方に目を付けたんですよ。敵が味方同士で殺し合いをして自滅してくれたら、戦わずして勝つことが出来ますからねえ。問題はどうやって敵にエッフェッフェドリンをのませるかです。食事に混ぜるとしても、全ての食材にエッフェッフェドリンを仕込ませるというのは不可能です。そこで世間で流行っているものに的を絞るんです。今回はそれがビューティー・アップ・サプリという錠剤だったんです。しかも皮肉なことに今回はホントにビューティーがアップしてる」

「なんだかすごい話だが、さっきから言ってる敵ってどういうことだ?暴力団の抗争とかそういうことか?」

「そうかも知れませんが、ここまで出来るのはもっと大きな組織です。国際的規模で活動している」

「まさか、どこかで戦争の準備をしていると言うんじゃないだろうね?」

「さあ、それはどうか知りませんが」

モオルダアは半分出任せで喋っていたので、ちょっと自信がなくなってきた。しかし、それはもうどうでもいいのだ。モオルダアはスケアリーのことがたまらなく心配になってきたのだ。こうしている間にもスケアリーは斧を振り回して人々を襲っているのではないか?

「ボクはこうしてはいられないんです。早くスケアリーの消息を掴まないと。ところで、エフ・ビー・エルの捜査官達はスケアリーに関して何か情報を得たんですか?」

スキヤナーはそれを聞かれるのが辛そうだった。どうしてあんな役立たずをスケアリーの捜査に任命するのか。スキヤナーにも納得いかないところがあったのだ。

「まあ、それは現在捜査は鋭意継続中だ。一つ解ったのはスケアリーの車が駐車場にないということだ。つまり、スケアリーは車を使って失踪したということかな」

「それだけ?」

モオルダアが聞いたが、スキヤナーはそれ以上喋らなかった。ただし車で移動したとなるとモオルダアには都合が悪い。モオルダアの移動手段は電車かバスなのだから。まあ、それはスケアリーの行方が解ってから考えれば良いことだ。

「ボクには行くところがあるんです。ここで起きた事件に関してボクに事情聴取したいということなら後でいくらでもしますから」

スキヤナーは頷いてモオルダアを行かせた。今回は意外と物分かりの良いスキヤナーである。

23. ビューティー・アップ本社ビル(入り口)

 モオルダアはビューティー・アップ社のビルの前まで来ると、そのビルの上の方を見上げた。さほど大きくはないが自社ビル。あのサプリが好調のようだし、このまま事業を拡大していけば、もっと大きなビルが建つだろう。あの美人社長にはそんな野心がうかがえる。なんでか知らないが、モオルダアはそう思っていた。

 モオルダアがビルの入り口をくぐって奥のエレベーターへ向かおうとすると、警備員が彼を制止した。丸いお腹をつきだしたその警備員は、大柄ではあったがあまり頼りになる感じもしなかった。

「ボクは別に怪しいもんじゃありませんよ」

モオルダアが言ったが、警備員は道を開けなかった。頼りない感じでもちゃんと仕事はするようだ。

「関係者以外は立ち入り禁止です」

やけに厳しい会社のようだ。モオルダアはポケットからエフ・ビー・エルの身分証を取り出して警備員に見せた。

「私はエフ・ビー・エルのモオルダアだ」

モオルダアは彼なりに優秀な捜査官風の口調で言った。しかし、警備員は道を開けない。

「エフ・ビー・エルならなおさらダメです」

警備員はきっぱりとこう言うと、壁に掲げられている注意書きをあごで指した。そこには「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたプレートがあるのだが、その下にマジックで書かれた文字が追加されていた。「特にエフ・ビー・エルの捜査官」と書かれている。

 どうしてエフ・ビー・エルの捜査官が立ち入り禁止なのか。モオルダアはこのビューティー・アップ社に対してますます猜疑心を抱かざるを得なくなってくる。

「ここでエフ・ビー・エルが何かしたの?」

モオルダアが聞くと警備員は「それは言えません」とだけ答えた。しかし、ここで引き返すわけにはいかない。なにより、ここで社長の一芽実田に話を聞かなければ捜査は少しも前に進まないのである。

「それじゃあ、一度戻って令状をとってくるまでだ。でもこれだけは言っておこう。もしこのビューティー・アップ社でやましいことが行われていることが解った時には、キミは犯罪に協力したということで容疑者の一人として逮捕されることになるが、それでも良いのか?」

「良いですよ」

この大柄の警備員はモオルダアを見下ろしながら、一言で答えた。そのいかにもお人好しで、すぐに騙されてしまいそうな警備員にそんな態度をされて、モオルダアは柄にもなく苛立ってきた。もしモオルダアが上着の下のホルスターからモデルガンを取りだしてこの警備員に突きつけたら、きっと警備員は青ざめて彼を社長のところまで案内するだろう。しかし、モオルダアはそういうアウトロー路線は好ましくないような気がした。

 やっぱり一度戻って令状をとらないといけないのだろうか。といっても、これは彼が単独で捜査していることなのだ。誰に頼んでも令状なんかとれるわけがない。ここで諦めかけたのだが、今回は意外と頑張るモオルダア。最後にもう一あがきしてみることにした。

 モオルダアは自分がすごく良いものを持っていることを思い出したのだ。これまでの優秀な捜査官風の表情が急にやわらいでいった。

「キミ。一芽実田社長がアイドルだった頃のお宝写真とか見たくないか?」

モオルダアにこう言われて警備員は明らかに動揺しているようだった。

「あの美人社長のギリギリビキニなんだけどねえ」

そう言ってモオルダアはポケットから「熱血投稿」を半分だけ出して警備員に見せた。(「熱血投稿」はポケットにかくして持ち帰れるA5サイズのエロ本なのです。)警備員は思わず後ろに組んでいた腕を伸ばしてモオルダアの持っている雑誌を取りあげそうになった。モオルダアはすかさず雑誌をポケットにしまった。

「もしもキミが道を開けてくれるなら、帰りにこれをキミにあげることを約束しよう。でもそれが嫌だというのなら、キミは一生あの美人社長のギリギリビキニにはお目にかかれないよ」

警備員はすっと体を動かして道を開けた。その大きな図体には似つかわしくない軽やかさで。警備員がいやらしい微笑みをモオルダアに向けると、モオルダアもニヤニヤしてそれに答えてエレベーターの方へと歩いていった。