「マキシマム・ビューティー」

3. さっきと同じ病室

 あれから三時間ほど眠って、モオルダアはゆっくりと目を開いた。天井に出来た染みが今度ははっきりとモオルダアの目に入ってきた。さっきよりはだいぶ意識がしっかりしてきたようだ。モオルダアが病室の中に人の気配を感じて顔を横に向けると、そこには美人看護士の後ろ姿があった。

 なぜ後ろ姿で美人だと解るのか?それはモオルダアの思いこみだから仕方がない。彼の妄想の世界では彼に関わる女性は全て美女なのだ。

 看護士が何かの作業を終えてモオルダアの方を振り返った。美女ではなかった。普通の女性看護士はモオルダアが目覚めたのに気付くと無表情に言った。

「あら、起きたんですか。それなら早いことベッドを空けてくれませんか。今夜から新しい患者さんがこの病室を使う予定ですから」

この看護士は弱り切った優秀な捜査官を前にして酷い言いようだ!自称優秀な捜査官のモオルダアはそんな感じで思っていた。

「ベッドを空けてくれって、ボクはもう大丈夫なんですか?」

これを聞いて看護士はめんどくさそうに答えた。

「大丈夫です。酸欠で気絶しただけみたいですから。頭の傷もありますから一応脳のほうの検査もしましたけど、特に問題もありませんから」

「そうなのかあ。じゃあ、ボクはこの辺で失礼しようかなあ」

全然優秀な捜査官らしくない感じでモオルダアが言うと、看護士はいらついた感じでモオルダアの方に向き直った。

「だいたい捜査官のくせに二度寝なんかしてどういうことなんですか。捜査官なら医者に止められてでも無理して事件解決のために病院を飛び出すものでしょ。ドラマでも映画でもみんなそうしてるでしょ。しっかりしてくださいよ!」

そういって看護士は病室を出ていった。

「はあ」

看護士の後ろ姿を見送りながらモオルダアが力無く返事をしていた。でもモオルダアは捜査官ではなく捜査官のアシスタントだ。厳密に言うと雑用係だ。「まったくなんなんだ、あの看護士は?」モオルダアはしばらくボーっと看護士の出ていった方を見つめていたが、一度冷静になってさっき看護士の言った言葉を頭の中で再生してみた。

 確かにそうなのだ。あの看護士はただの刑事ドラマ愛好者なのかもしれないが、言っていることは正しいのだ。この状況でモオルダアがしそうなことといえば、医者が止めるのも聞かずに部屋を飛び出すこと。映画やドラマのような行動はモオルダアの得意とすることなのだ。そこでモオルダアは考えた。

「もしかして、ボクはバイトの雑用係という立場を理由に小さくなっていただけなのか?UFOも地底人も美人女スパイも、出会えないのをバイトの雑用係のせいにしていただけなのか?そうだ、そうに違いない。肩書きがなんであれボクには成し遂げる資格がある。成し遂げる才能がある。そういう星の元に生まれたのだから!」

モオルダアはもの凄い自信家である。

 妙に自信にあふれた考えに盛り上がってしまったモオルダアが身支度を整えて病室から出ようとしてると、一人の男が入ってきた。

4. ここで気分を変えて、数日前のスケアリーの部屋

 いつもなら、優雅にハーブティーを飲んだあと明日の仕事の準備をして静かな眠りにつく時間であるにも関わらず、少し美人になったスケアリーは先程からイライラしながら部屋の中を歩き回っている。一度ソファに座ってテレビのスイッチをオンにすると全てのチャンネルを一周りさせたがすぐに消してしまった。テレビのリモコンを投げ捨てると今度はステレオの電源を入れて音楽を聴き始めた。しかし、それも一曲聞かないうちに止めてしまった。そして、またイライラしながら部屋の中を歩き回った。

「そんなはずはないんですのよ!」

スケアリーはこうつぶやいてから立ち止まった。それらか意を決したような感じでキッチンへ向かって高級ワインを持って戻ってきた。コルクを抜いてワイングラスに高級ワインを注ぐと、それを一気に飲み干してしまった。彼女はソファに腰を下ろすとしばらく両手で頭を抱えていた。

 一杯のワインとはいえスケアリーにとってはあまりに急激な一杯である。これでやっと彼女のイライラは収まったのか、静かに頭を持ち上げると、今度はペンを持ってきて紙に何かを書き始めた。


変態モオルダアへ

 これまであたくしは貴方のことをただの変態だと思っていましたけど、別に貴方を嫌なかただと思うこともなかったんですのよ。今のような気分になったことは一度もありませんでしたの。だっていくら貴方が変態で無知で非力で身の程知らずであっても、あたくしだって人間ですからこんな気持ちになることはあり得ないんですから。

 でも今、あたくしは貴方のことを殺したくて仕方がないんですの。どうしてそうなるのか見当もつきませんけど、何かあたくしには解らない不思議な力が働いている気がしてならないんですの。もしかしたらあたくしは貴方から遠く離れた方が良いのかも知れませんが、それが出来るかどうかはあたくしには解りませんわ。貴方のことを殺したいという衝動がどんどん大きくなって、あたくしの理性を消し去ってしまうような気がするんですのよ。

 ですからあたくしはこうして貴方へのメッセージを書いているんですの。もしもあたくしが明日からエフ・ビー・エルに出勤しなくなって行方が解らなくなってしまったら、それはあたくしの理性がこの不思議な力よりも勝っていたということですから、どうか心配なさらないでくださいまし。そして、もしそうなった時には貴方はエフ・ビー・エルを辞めてあたくしの知らない場所で新しい生活を始めていただきたいんですの。そうすれば、もしあたくしがまた何か不思議な力に操られて貴方のことを殺したくなった時にもあたくしは貴方のことを見つけることはできないんですから。

 本当に短い間でしたけれど、あたくしは変態の貴方と一緒に理解不能な事件を捜査できてホントに良かったと思いますわ。ホントですのよ。あたくしはペケファイルって…、


 ここまで書いたところでスケアリーの手が動かなくなった。彼女は動かなくなった手を動かそうとして渾身の力を込めてみたが、手はまったく言うことを聞かない。いくら力を入れてみても彼女の手は細かく震えるだけで動こうとしない。

 しばらくの間は動かない手と葛藤していたスケアリーだったが、抵抗を続ける彼女の手に根負けしたのか、彼女は自らペンを放り投げた。そして机の上のワインのボトルを掴んでそのままラッパ飲みをすると、彼女は甲高い笑い声を挙げた。

 両目を見開いて笑い声を挙げるスケアリーはさっきまでとはまるで違う人になっているかのようだ。それからスケアリーはこれまで書いていたモオルダアへの手紙を手に取ると、それをビリビリに破いてしまった。その破かれた手紙を陶製の皿に載せるとそこにマッチで火をつけて全部燃やしてしまった。

 燃えた紙くずを見てスケアリーはまた笑い始めた。そしてそのまま笑いながら彼女の部屋を出ていった。

 スケアリーの高級アパートメントには彼女の不気味な笑い声が響いていた。「オホホホホ!オホホホホ!」

 スケアリーは靴も履かずにどこかへ向かって歩いていった。