8. エフ・ビー・エル・ビルディング内の狭い部屋
モオルダアとクライチ君は机の上に置かれたものをじっと眺めていた。モオルダアは多少困惑しているようだったがなるべくそれを表に出さないように努めていた。机の上には「ビューティー・アップ・サプリ」のビンが置かれている。それはモオルダアがスケアリーの部屋から持ち帰ったものではないのだ。クライチ君が証拠品として持ち帰ったものだった。
いったいどういうことだろうか。同じものを使って一人は美人になり、一人はそうでなくなった。そんなことはありそうもないのだが、これはどうにも気になる。しかしモオルダアがスケアリーの部屋に行ったことはクライチ君には内緒なので、彼は盛り上がる気持ちを必死に押さえていた。
「クライチ君。キミはこれが原因だとおもうの?」
「今のところ有力なのはそれ以外にないですよ。会社の人たちにもいろいろ聞いたんですけどねえ、特に双江さんの様子がおかしいとかそういうことはなかったみたいですよ。まあ、そのまま帰ってくるのもあれなんで、双江さんの机の上にあったそれを証拠として持ち帰ったということですけどねえ。ところでモオルダアさんのほうはどうだったんです?」
モオルダアは目の前の薬ビンのことで頭が一杯だったために、思わずホントのことを言ってしまいそうだったが、危ういところで一度口を閉じた。それからぎこちなく話し始めた。
「ああ、ダメだった。というか中場さんは忙しいから今度にしてくれって言ってたよ」
「それじゃあ、今まで何を…」
クライチ君が言いかけたところで彼の携帯電話の呼び出し音が鳴った。クライチ君はモオルダアに気付かれないようにガッカリしてから電話に出た。
「はい、もしもし。はい。そうですが。ああ、それでしたら今担当者に変わります」
そういうとクライチ君はモオルダアに電話を差し出した。
「あなたにです」
モオルダアは良く解らないまま電話に出た。
「もしもし、担当者ですけど」
担当者ってなんだ?彼にも解らないのだがクライチ君の様子からすると彼が担当者みたいなのでモオルダアも自分が担当者であると決めてしまったようである。
電話の相手は明らかに怒っている。
「いったいどういうことなんだ!どうして双江が殺人事件に関わってることになるんだ?」
電話は中場からのようだ。しかしどうしてこんなに怒っているのかモオルダアには見当もつかない。
「あの中場さん。落ち着いてください」
「双江がねえ、泣きながら私に電話してきたんですよ。今日の昼間、会社に警察が来て殺人事件の捜査と言って双江のことをいろいろ聞いていった、って言うんですよ。それで双江が会社に帰ると、そのことで上司や重役にいろいろ問いつめられて。もしかすると双江は会社をクビになるかもって」
「中場さん。そんなことはあり得ませんよ」
モオルダアはそういいながらクライチ君の方を見た。クライチ君はモオルダアと目を合わせない。
「そんなことはあり得ない、ですって?それじゃあ双江はどうしてあんなに取り乱していたんですか?あの電話が演技だとでも言うんですか?双江はねえ、そんなことが出来る人間じゃないんですよ」
「なんだか知りませんが、それは何かの間違いです。確かにボクは優秀な捜査官として優秀なパートナーを双江さんの会社に行かせましたけど、殺人事件なんて…」
ここまで言ったモオルダアはなんだかイヤなことを思い出してしまった。彼はクライチ君にこう言っていなかったか?「他の用件で来たように見せかけたり、時には変装も必要だと言うことだよ」と。クライチ君はそれを最悪な形で実行したということか?
「もういいですよ。この件はなかったことにしてください」
電話の向こうで中場が半分あきれた口調で言っている。
「そうもいきませんよ。これはエフ・ビー・エルの扱う事件ですから途中でやめることは…」
モオルダアが最後まで言う前に電話が切れた。普段はなかなか怒らない、というか怒るほど敏感ではないモオルダアもこの時ばかりは怒らずにはいられなかった。
「おい、クライチ!キミはいったい…」
せっかく怒ったモオルダアだったが、それは部屋に入ってきたエフ・ビー・エル職員によって遮られてしまった。
「モオルダア捜査官。スキヤナー副長官が呼んでますよ」
水を差されるとモオルダアの怒りはすぐに収まる。ハイハイ、とモオルダアはスキヤナー副長官の待つ13階のオフィスへ向かうべく立ち上がった。その後ろ姿を見てからクライチ君は一度時計を見てからモオルダアに声を掛けた。
「あの、モオルダアさん。ボクもう定時すぎてるから帰りますね!」
モオルダアはまた少しムッとしたが、もうどうでもよくなっていた。それよりもモオルダアは時給のバイトだから定時で帰ると給料が減る。そんなことを頭の中で再確認していた。
9. どこかの山の中
ここは人里離れた山の中にある一軒の別荘。夏の間は避暑に来る旅行者でにぎわうこともあるのだが、夏の行楽シーズンが過ぎるとこの辺りにはほとんど人影が見られなくなる。冬になればこの山は辿り着くのさえ困難になるほどの雪に覆われるのだから。
秋もほとんど終わりに近づいたこの山の中の別荘の前にはスケアリーの車が止まっている。それはきちんと駐車する気などまったくなかったかのように道路とも建物とも関係ない方向へ斜めに止められていた。そして車のドアは開けられたままだった。
スケアリーがこんなかんじで車を止めることがあるのだろうか?しかし、今の彼女はまともではないのだ。彼女に何が起きたのか。そして彼女はこれからどうなるのか。きっと別荘の中にスケアリーはいるはずである。そこで彼女は何をしているのだろうか?