14. ローンガマンのアジト
ここはコンピューターや化学の実験道具や何に使うのか良く解らないむき出しの電子基板が沢山ならんだ薄暗い部屋。そこに薄汚い男が三人集まってなにやら調べているようだ。その三人のうちの一人はモオルダアである。残りの二人もどこかで見たことがある。
残りの二人は以前にモオルダア達が捜査で訪れた大学の演劇部のOBヌリカベ君と部長だ。ヌリカベ君は以前の事件でスケアリーに協力した時に世間には絶対に知られない大きな陰謀があるということに気付いてしまったのだ。それでヌリカベ君は自らをローンガマンと名乗り、その陰謀を暴くために日夜活動しているのだ。大学院では優秀な学生であり優秀な学者としての将来も約束されていたのだが、そんなものは全てなげうってこの薄暗い部屋にこもって活動を続けている。ローンガマンとは、彼がこの部屋にある機材を揃えるために借金をしたので、それを返すまではいろんな贅沢をガマンする、という意味で付けた名前だ。演劇部時代は死体の役と壁の役専門だったヌリカベ君は何かに取り憑かれたようなダークなオーラを発していつでも周囲の人間をゾクッとさせる。
一方部長の方はというと、あれから演劇と競馬とパチンコばかりやっていて学業の方はさっぱり。ついに大学は中退して俳優になることを決意したのだが、世の中はそう甘くはない。お金も仕事もない元部長はこの薄暗い部屋に居候しているのである。もちろん彼も以前の事件には関わっているので、何か怪しいことがこの社会の裏側で行われていると思っているので、自分もローンガマンに入れろと言っているのだが、ヌリカベ君はあまり乗り気ではないらしい。だってローンでガマンしているのはヌリカベ君だけで元部長はなにもせずに時々バイトで稼いだ金でパチンコをして楽しんでいるのだから。
そして残るもう一人。自称優秀な捜査官モオルダアであるが、彼はなぜここに居るのだろうか。実はヌリカベ君は以前の事件で何が起きたのかを知りたくてペケファイルの捜査官に話を聞こうとしたのだが、あの事件のあとスケアリーにフラれてしまって彼女に電話をかけるのは気まずいということでモオルダアと連絡を取ったのだ。そこでモオルダアはあることないこと、彼の妄想の中で起きている様々な陰謀をヌリカベ君に話した。ヌリカベ君も興味津々でその話を聞いていた。そんな二人は意外と気が合うようで何かが起こればモオルダアはヌリカベ君に協力してくれるように頼んでおいたのだ。それが今、というわけである。
「ヌリカベ君。まだなの?もうさっきから何回も同じことやってるみたいだけど」
モオルダアは待ちくたびれてヌリカベ君に聞いたが、ヌリカベ君はなにも答えない。彼らの真ん中にある机の上には「ビューティー・アップ・サプリ」が二つ置かれている。一つはモオルダアがさっき薬店で買ってきたもの。もう一つはスケアリーの家にあったものだ。
「同じことをやっているように見えても、それぞれに意味があるんですよ」
なにも言わないヌリカベ君の変わりに元部長が答えた。
「なんでキミがそんなことを知ってるんだよ?」
「だってボクは、言ってみればヌリカベ君の通訳みたいなもんだからね。というよりスポークスマンという感じかな。こんなに役立ってるのにヌリカベ君はボクをローンガマンのメンバーとして認めてくれないなんて。まったく酷いよ」
「それはどうかなあ?」
モオルダアはあまり興味がないといった感じでヌリカベ君の方に向き直ると彼に言った。
「ヌリカベ君。頑張ってくれよ。キミの憧れのスケアリーは今とっても美人なんだぞ」
そういわれてもヌリカベ君は無反応で作業を続けていた。しかし、しばらく経った後ヌリカベ君が手を止めてからゆっくりとモオルダアの方を見てから言った。
「スケアリーさんは前からずっと美人です」
そう言ってまたゆっくりと実験装置の方に向き直って作業を続けた。モオルダアと元部長は思わず身震いをしてお互いの目を合わせた。
しばらくして、ヌリカベ君に異変が起こった。机の上の紙をとって見ていたかと思うと、それを素早く元に戻して今度はコンピューターの方へ行き何かを調べるとまた今度は別の紙を見て、ということを何度も繰り返していた。その動きはまるでロボットのようだった。ヌリカベ君は何か異変に気付くといつでもこういう動きになるようだ。
モオルダアと元部長は不思議そうにヌリカベ君を眺めていた。するとヌリカベ君の動きが止まった。それからまた例のごとくゆっくりと彼らの方へ体を向けて言った。
「出ました」
「出たって何が?」
モオルダアが聞くと、ヌリカベ君は持っていた紙をモオルダアに渡した。そこにはモオルダアにはとうてい理解できない化学式がたくさん書かれていた。
「なんだよ、これ?」
そういってモオルダアはヌリカベ君に紙を返した。ヌリカベ君はしばらく紙を見つめていたが、何かに気付いたようにうなずいてからこう言った。
「スケアリーさんならすぐに理解したでしょうけど、あなたはそれほど優秀じゃないんですね」
モオルダアはちょっとムッとしたが、ここで腹を立てても仕方がない。黙って続きを聞くことにした。
…。が、ヌリカベ君はなかなか話し始めない。
「だから、これはなんなのか説明してくれないか?」
しびれを切らしたモオルダアがヌリカベ君に聞いた。
「ああ、そうですね。この分析結果が示していることは、同じ入れ物に入っている錠剤ですけど、中身はまったく別物ということですよ」
それを聞いたモオルダアは確かな手応えを掴んだという感じで目を輝かせた。
「つまり、ボクが買ってきたものは偽物の粗悪品でスケアリーの持っていたものが本物と言うことだね」
それを聞いていた元部長も盛り上がってきた。
「それじゃ、その本物の方をボクらが飲んだらボクらはチョーイケメンのイケメンガマンになれるってことですね?」
「そうかも知れないぞ」
元部長とモオルダアが事件とは関係ないところで盛り上がり始めている。
「モオルダアさん。ちょっと飲んでみましょうか?」
「飲んでみたら、いいかもよ?キミ、グズグズしてないで水を持ってこないと。水で沢山いっきに流し込んでしまった方がね」
「そうですね」
元部長が立ち上がって台所へ向かおうとした時、やっとヌリカベ君が彼らを止めた。
「それは違います」
あまりに時間が経っていたので、ヌリカベ君は何に対して違うと言ったのか良く解らなかったが、二人とも止まってヌリカベ君を見た。
「偽物はスケアリーさんの持っていた方です。もう一つの本物はただのビタミン剤です。申し訳程度にコエンザイムが入ってますけど」
「なんだそうなのか」
元部長はガッカリして元のところに戻った。一方モオルダアはヌリカベ君のこの言葉で何か妙な胸騒ぎ、つまり「少女的第六感」が働いたのか急に深刻な表情になっていた。
「それじゃあ、スケアリーの持っていたその錠剤はなんなんだ?」
モオルダアはこれまでとはうってかわって真面目な感じでヌリカベ君に聞いた。聞かれたヌリカベ君は無表情で答える。
「これはエッフェッフェドリンの錠剤です」
「エッフェッフェドリン!?」
このおかしな薬品の名前にモオルダアの頭の中はエッフェッフェとなっていたが、ヌリカベ君は黙ってモオルダアに向かってうなずいただけだった。しかし、その目には先程までには見られなかった鋭さが感じられないこともなかった。
15.
ヌリカベ君がエッフェッフェドリンに関して説明を始めた。
「この薬物はエフェドリンによく似ている興奮剤ですが、そんなものよりもっと危険なんです」
モオルダアはこの危険な薬物についてさらなる情報を得ようとヌリカベ君のことを真剣な顔で見ている。…。が、ヌリカベ君の説明はこれで終わってしまったようだ。
「それだけなの?」
無口にも程がある、という感じでモオルダアがヌリカベ君に聞いたがヌリカベ君はそれ以上話そうとしない。
「それじゃ、ここはボクが続きを説明しよう」
元部長が代わりに話し始めた。彼が何を知っているのか解らないが、これまでの話だけでは情報が少なすぎるのでモオルダアは黙って聞いた。
「このエッフェッフェドリンは終戦間際に軍が開発した恐怖の薬物なんだ。何に使うかというと、まあいわゆるドーピングですね。エフェドリンがドーピング薬ということは有名ですが、それよりも強力なエッフェッフェドリンは兵士の身体能力を高めるために開発されたんです。しかし、そこには落とし穴があったんですよ。実験としてある部隊に支給される食料にエッフェッフェドリンを混ぜてみたところ、その後しばらくその部隊は素晴らしい活躍をみせました。ところが、何週間かすると部隊の隊員達が暴力的になってくる。始めは部隊内での小競り合いで治まっていたものが、次第にエスカレートしていき最後には殺し合いにまで発展しました。そして、とうとうその部隊は全滅したということです。部隊内の殺し合いでね」
モオルダアは感心して元部長の話を聞いていたのだが、どうして元部長がそんなに詳しいのか気にもなっていた。
「ところで、どうしてキミはそんなに詳しいことを知ってるんだ?」
元部長は立ち上がって戸棚から薄っぺらい冊子を持ってきてモオルダアに渡した。
「そんなことはローンガマンの機関誌に全部載ってますよ」
それはどうやらヌリカベ君が資金集めのために発行しているものらしいが、ほとんど売れていない。しかし、この部屋でやることのない元部長は発行された全てを熟読していたのだ。
モオルダアは渡された機関誌をめくるとすぐにエッフェッフェドリンに関する記事が見つかった。そこにはエッフェッフェドリンの実験台にされた部隊の隊員達の写真というのも掲載されていた。これを見てモオルダアは少し驚いて、独り言のように言った。
「なんだこれ。みんな草刈○雄みたいじゃないか!?」
「そうですよ。それがエッフェッフェドリンが起こすもう一つの副作用です」
「恐怖のイケメン部隊かあ…」
モオルダアは良く解らない感心の仕方をしていた。しかし頭の中では別のことも考えていた。確かに、これまでの話をスケアリーの異常な行動、そして容姿の変化に当てはめてみても納得のいく説明になっている。しかし、この陰謀マニアの青年達の手による機関誌をそのまま信じてもいいのだろうか?
「このままだとスケアリーさん大変です」
モオルダアの中にわき上がる疑問を遮るようにヌリカベ君が静かに言った。そうなのだ。確かにこうしている間にもスケアリーがどんどん凶暴になっていって、誰かを殺害したりすることもあり得るのだ。
モオルダアはグズグズ考えるはやめにして、ローンガマンのアジトを後にした。しかし、どこへ向かえばいいのだろうか?スケアリーはどこに行ったのだろう?それよりも、何かが胸のどこかにつかえている感じがする。モヤモヤしている。なぜモオルダアは気付かないのか不思議だが、まともな人間ならすぐにその胸につかえているものに気付くだろう。少なくともまともな捜査官なら。
しばらく歩いてモオルダアは駅前の商店街までやって来た。彼の目の前にはドラッグストアがあった。中を覗き込んでみると、サプリメントの棚の前で学生風の女性が友人同士で今流行りの商品を物色中だ。それを見てモオルダアはさらにモヤモヤしてきた。そしてやっと大変なことに気付いたのだ。モオルダアはポケットから携帯を取り出すとどこかへ電話をかけた。