「マキシマム・ビューティー」

5. 意味もなく気分を変えてしまったけど、今度はさっきの病室の続き

 モオルダアが身支度を整えて立ち上がろうとした時、病室に一人の男が入ってきた。スーツを着たその男が病院の関係者でないことはモオルダアにもなんとなく解った。見た感じでは三十代前半だろうか。この男は病院の関係者でもなければエフ・ビー・エルの職員でもないであろう。その顔にはまっとうな仕事をしてきた人間特有の苦労と倦怠と疲労がにじみ出ている。それから僅かながらの狡賢さも。

 男は部屋に入って来るなり聞いた。

「あなたはエフ・ビー・エルのモオルダアさんですね?」

「そうだけど」

病室を飛び出してスケアリー事件の捜査に向かおうと思っていたモオルダアは出鼻をくじかれて、少し気分が悪かった。

「実はどうしても捜査していただきたいことがあるんです」

「捜査だったらボクには出来ないよ。それはエフ・ビー・エルの正式な捜査官に頼まないとだめだよ。ボクはAだからね」

「A?」

男が聞き返したがモオルダアには答える気もないようだ。Aとは多分アシスタントのAのことだろう。モオルダアはそのままゆっくりと立ち上がって病室を出ようとした。

「ちょっと待ってください!私はエフ・ビー・エルの相談窓口であなたを紹介されたんですよ」

エフ・ビー・エルの相談窓口ってなんだろう?モオルダアはそんな相談窓口など知らなかったが、多分あるのだろう。男は先を続けた。

「私がそこで話をしたら、それならモオルダアという優秀な捜査官がいるからその人に頼めばいい、と言われてここへ飛んできたんです」

優秀な捜査官といわれてモオルダアは解りやすく顔色を変えた。うれしさで口元がゆるまないよう気を付けながらまたベットに腰掛けた。

「それなら仕方がないな」

モオルダアの口元は明らかにゆるんでいたが、男は特に気にしていないようである。

「それで何を捜査したいんだね?」

モオルダアがちょっと得意げな感じで男に聞いた。


 男の名前は中場仁正(ナカバ・ジンセイ)という。彼がモオルダアに捜査して欲しいこととは彼のフィアンセの市後双江(イチゴ・フタエ)に関することだった。彼の説明をここまで聞いたモオルダアは一度中場の話すのを遮って聞いた。

「もしかして、ボクにフィアンセの身辺調査とかさせる気じゃないですよね?それはボクの好みじゃない。たとえ途中で殺人事件が起きたりとか、謎の組織にそのフィアンセが追われてたりしても、ボクは探偵みたいなことはしないんだ。ボクはあくまでも優秀な捜査官だからね」

中場は少し驚いたが、いたって冷静にモオルダアに説明した。

「それは知っています。あなたは優秀な捜査官です。それから以前はペケファイルを担当されてたんでしょ?だからあなたを頼ってきたんですよ」

「つまりあなたのフィアンセが宇宙人かも知れないということ?」

モオルダアの暴走が始まりそうである。

「そうじゃありません。これは言葉で説明するより写真を見せた方が早いですね」

そう言って、中場はモオルダアに一枚の写真を見せた。そこには中場のフィアンセである市後双江が写っていた。それを見たモオルダアは何かを言いかけたが、口を開く前にその言葉を飲み込んだ。モオルダアの反応を確認した中場がもう一枚の写真を見せた。

「これが一年前の双江です」

その写真を見て、もうモオルダアはワケが解らなくなってきた。もしこの二枚の写真に写っている女性が同じ人物だというなら、これはもうペケファイル級の謎なのである。モオルダアは言葉を失って、ただ中場の方を見ているだけだった。

「もうおわかりでしょう?」

中場が言った。

「ボクのフィアンセ、市後双江は結婚が近づくにつれでどんどんブスになっていくんですよ」

二枚の写真に写った双江の顔に驚きながらも、モオルダアは自分の婚約者のことを「ブス」と平気で言う中場には少しあきれていた。

 中場は双江に起こったこの異変について調べてもらいたい、と言っているのだ。これはエフ・ビー・エルが捜査すべきことなのだろうか?女性の顔が短期間ですっかり別人のようになってしまったのだが、それは事件なのだろうか?こんな事件よりはスケアリーの消息を知る方がずっと大事だということはモオルダアにも解っていた。しかし彼はバイトの雑用係。彼が望んだところでスケアリーの捜索はやらせてもらえないだろう。もしも仮に彼が単独でスケアリーを探すとしても、彼には移動に使う車がない。人手がない。その前にお金がない。二枚の写真を見比べてしばらく考えていたモオルダアは結論を出した。「とりあえず、給料が出るまではこの捜査をすればいいや。そうすれば雑用係の仕事はしなくてすむし。スケアリーのことはその後だな」なんだか知らないがもの凄く楽観的な結論が出たようだ。

「解りました、中場さん。あなたのフィアンセに何が起こったのか調べてみましょう」

「そうですか、それは良かった。とりあえず双江に関する資料はエフ・ビー・エルに提出してありますから、それを見てください。ホントにねえ。出会った時にはすごく美人だったのに。あんなブスと結婚とかしたら影で何を言われるか解ったもんじゃありませんよ。ねえ、そうでしょ?モオルダアさんだって嫌でしょ?」

やっぱりこの男は気に入らない。モオルダアは適当に作り笑いをしてそれを返事の代わりにした。

6. エフ・ビー・エル・ビルディング

 マリッジブルーかな?いやマリッジブルーであったとしても、それで顔が変わるか?それもないとも限らない。ブルーになって長い間深刻な顔をしてたらそのうちに眉間にしわが出来て…。でもこの顔の変化はしわの多い少ないで説明できるものでもないしなあ。

 モオルダアは中場の提出した双江に関する書類を眺めながら考えていたが、だんだん面倒になってきた。やっぱりこんな捜査は引き受けなければ良かったなあ。雑用よりはマシだけど。

 その時、モオルダアは彼に近づいて来るものの気配を感じでいた。「残念でした。ボクは今捜査中だから雑用なんか出来ないんだよ」モオルダアが頭の中でこう言ってから、目の前の資料をペラペラとめくり始めた。捜査をしていることが相手に良く解るように。

「モオルダアさん」

彼に近づいてきた男がモオルダアに声をかけた。

「悪いが今は事件の捜査で忙しいんだ。細かい仕事は他に頼んでくれよ」

「いや、そうじゃないんです」

意外な返事にモオルダアはその男の方へ目を向けた。どこかで見た男がモオルダアの横に立っている。

「キミは確か…」

「ええ、前回ちょっとだけ登場しました。それで予告どおり今回も登場です」

ああ、そうか。この男はモオルダアにパソコンの使い方を教えた男だ。(解らない人は前のエピソードの最初の方を読みましょう。)この中途半端にさわやかでギリギリのところで二枚目な青年は尊敬とか畏敬とかいったものを含ませた視線をモオルダアに投げかけている。

「今度の事件を一緒に担当することになった蔵衣地(クライチ)と言います」

モオルダアにはこの男の言ってることが良く解らなかった。

「事件って?誰と?」

「あれ?聞いてないですか?あなたと一緒にその事件を担当するんですよ。まあ言ってみればボクらはパートナーですよ」

「聞いてないよ、そんなこと。というかここの人たちは大抵のことを教えてくれないからねえ。…そんなことはどうでもいいか。せっかくだけど、この事件はボク一人でじゅうぶんだよ。キミの助けを借りるまでもないよ。クライチ君」

本当は助けがないと何も出来そうにないのだが、相手が美人捜査官でなかったのでモオルダアはガッカリなのだ。

「そんなこと言ってもだめですよ。これは上からの命令ですから」

「上」って誰のことだろう?スキヤナーかな?モオルダアは少し疑問に思ったが、そんなことは考えるだけ無駄。文句を言ったところでクライチ君が美人捜査官になるわけでもない。

「それじゃあ、クライチ君。さっそく捜査に出かけるとしようか」

「良かった!やっと状況が解ったみたいですね」

この一言はなんとなくモオルダアの心に引っ掛かったが気にしないことにした。この男もこの男でどこか普通とずれているに違いない。この、世の中とは大きくずれたところに存在しているエフ・ビー・エルの捜査官なのだから。


 数分後、エフ・ビー・エル・ビルディングの前に車を止めて待っているクライチ君のところへモオルダアがやって来た。モオルダアは車のすぐ近くまで来たが乗り込みはしなかった。代わりに開いていた窓からクライチ君に言った。

「悪いけどキミ一人で行ってくれないかなあ?」

「行くってどこへですか?」

「おい、捜査官のくせに良くそんなことを聞けるなあ。双江さんの勤めてる会社に行っていろいろ調べるんだよ。優秀な捜査官ならまず最初にそうするはずだぞ」

優秀な捜査官とはもちろんモオルダア本人のことである。ただしその優秀な捜査官の捜査方法は間違っている気もするのだが。それはクライチ君にも解っていた。

「いきなり会社に押し掛けてダイジョブなんですか?だいたい、この捜査のことは双江さんに知られないようにって、中場さんから言われてるんでしょ?」

「それはそうだけどね。でも双江さんはほとんど外回りで会社にいることは少ないそうだし。キミだってこう言う時に優秀な捜査官がどうやって聞き込みをするか知ってるだろ?」

「というと?」

「他の用件で来たように見せかけたり、時には変装も必要だと言うことだよ」

モオルダアは言いながらクライチ君とはウマが合わないようだ、と思っていた。だいたい、この世の中のどこにモオルダアとウマの合う捜査官がいるというのだろうか?そんなことは考えるだけ無駄だ。

「それで、モオルダアさんはどこに行くんですか?本当はそういうことはあまり良くないと思うんですが、まあモオルダアさんが必要だと思うんだったらそれに従いますよ。でも、ボクもあなたの行き先が解ってないと何かの時に困りますよ。ボクはパートナーなんですから。行き先だけは教えてください」

「ん?そうねえ。ボクは中場さんに会ってもう一度話を聞いてみようかと…ね」

明らかに嘘っぽい返事をしたモオルダアだったがクライチ君は「そうですか」とうなずいた。

 モオルダアはそのまま車の向いているのとは反対の方向へと急ぎ足で歩いていった。クライチ君はその後ろ姿を見送りながら、不適な笑みを浮かべていた。彼が本当はどこに行こうとしているのか、彼には解っているかのようだった。クライチ君はそのままゆっくりと車を発進させた。