「404」

21. 横浜・中華街

 モオルダアは疲れきった感じで中華街を歩いていた。ロリタを追って東海道線に乗ると、ロリタは横浜で列車を降りた。モオルダアは意外と近くで降りるんだな、と思いながらさらにあとを追ったのだが、また長い距離を歩かされて中華街まで連れてこられたという感じだったのである。中華街に来るんだったら横浜で乗り替えればすぐ近くまで電車で来られるのに、とそんなことを考えると、歩き回ったことによる疲労感がさらに増してくる。ケチなのか、健脚なのか、身を守るためなのか知らないが、ロリタはそういう人らしいので仕方がない。

 ロリタを尾行していたモオルダアは、彼女が中華街の中にある小さなビルに一度入ったことを確認した。そしてすぐにそこから出てきたロリタは先程料理店に入ったところだった。そこで夕食ということだろうか。

 ロリタを追い回していればそのうちカレンチャという謎の人物に辿り着くと思っていたモオルダアだったが、そういう感じはまったくなかった。

 もしかして意味もなくロリタを尾行していただけなのか?とも思っていたが、ロリタの貫禄さえ感じさせる落ち着きぶりを見ていると何かがヘンで、どこかがヘンなのだ。男達が事務所に押し入っても何事もなかったようにしているし、いったいこのロリタというのは何者なんだ?それから、ロリタというのは名前なのか、苗字なのか?

 そこまで考えた時にモオルダアの少女的第六感が彼に何かを伝えようと活発に働きだしたような気がした。カレンチャ・ロリタ。ロリタ・カレンチャ。そんな名前があってもおかしくはないかな、とか思ってしまうと同時に、別に「君」がつくからといって男とは限らない、ということにも気付いてしまった。

「もしかしてカレンチャさんなのか!?」

心の中でそうつぶやくとモオルダアはロリタのいる料理店に入っていった。(書かなくても良いことかも知れないが、もちろん中華料理店である。)

 モオルダアがどうしてカレンチャがロリタの苗字、あるいは名前だと思ったのか解らないが、一度思いこんでしまうとそうとしか思えなくなってしまうようで、根拠はどこにもなかったがロリタがカレンチャであると確信していた。もしも、カレンチャのカレンの部分が「可憐」とかいう漢字だったら?とモオルダアが少しでも思っていたら、彼は料理店に踏み込むのを躊躇していたかもしれないのだが。(なぜってロリタの風貌からは可憐な感じはあまり感じられなかったから。)

 とにかくモオルダアは店の中に入ると一人で席について料理を食べているロリタの横に座った。いきなり現れたモオルダアに少しだけ驚いた感じのロリタだったが、すぐに例の何事にも動じない雰囲気に戻った。

「こんな所にいるとはね。ロリタさん。カレンチャ・ロリタさんだったかな」

「残念。ロリタ・カレンチャよ。モオルディエさん」

そう言いながらカレンチャは食べかけの小籠包をまた食べ始めた。歩き回って疲れていたモオルダアはカレンチャがムシャムシャ食べるのを見てお腹が空いてきたが、今はそれどころではないのでガマンした。それよりもモオルディエってなんだ?

「それでなんの用ですか?」

「あなたはグリーン席に乗ってましたよね?カレンチャ君の沈没船情報社っていうのは、小さな事務所のわりに大きな仕事をしていたように思うんだけどね。いったい国家の機密を売るとどれくらい儲かるのかな?」

「言えば言うだけ払ってくれるわよ。まさに濡れ手に粟って感じよね」

そういうとロリタがまた小籠包を口にはこんだ。モオルダアは一つぐらいわけてくれないかな?とかヘンな期待をしながらも、この小籠包がロリタのように国家機密を売買して、おそらくは数億単位の取り引きをしている人の食べるものとは思えない、とも思ってしまったのだが、その辺の事情はイロイロあるのだろう。

「それで、そういった情報は誰から手に入れるんだ?」

「そういった、ってどういった情報かしら?」

モオルダアはパイパイ丸が探しにいったもののことを言っていたのだが、実際にパイパイ丸が何を探していたのかは良く解っていない。恐らくUFOっぽいものだとは思っているのだが、今のところ何なのか解っていない。

「何でも良いけど、キミは情報を誰かから仕入れてるんでしょ?」

「そうしてたとして、私がそれをあなたに教えるワケないでしょ。フッ…」

ロリタに鼻で笑われてモオルダアはちょっとグサッとなったが、ここで負けてはいけない。

「一体この中華街で何してるんですか?」

「ビジネスに決まってるでしょ。モオルディエールさん」

モオルディエールって?!と思ったが気にしてはいけないと思った。

「するとまた重要な情報が売られるわけだ」

「売るとは言ってないわ」

モオルダアが知ったようなことを言うからか知らないが、ロリタは余計なことを話している。こんなに素直に質問に答えるとは、もしかしてこの女は自分に興味があるのではないか?とモオルダアは思っていたがそれは違うと思う。恐らくロリタはF.B.L.やモオルダアを少しナメているということなのだろう。

「それじゃあ、買うのか?」

「そんなことはどうでもいいことじゃないですか?」

「船の乗組員が被爆して死にかけてるのにどうでもいいとは言えないと思うけどね。キミの売った情報が原因ならキミを逮捕したって良いんだぜ!」

モオルダアは多少盛り上がっていたのでまた「だぜ!」と言ったのだが、ここにスケアリーがいなかったので大丈夫なはずだった。しかし、ロリタもモオルダアの「だぜ!」はなぜか気に入らないようだった。

「だぜ、ってなんですか?それに私を逮捕するだけの証拠だって何もないのよ」

ロリタの言っていることはもっともだったが、もともとこの捜査自体がF.B.L.の正式な捜査ではないのだ。しかもちょっと盛り上がって「だぜ」って言っているモオルダアは、けっこう大胆な行動に出ることもあるのである。モオルダアはロリタの腕を掴んで反対の手に持っていた手錠をロリタの手に掛けた。手錠のもう片方の輪っかはモオルダアの腕に掛けられている。

「ちょっと、何するのよ!」

ロリタはモオルダアを睨んだが、普段はスケアリーからもっと恐い感じで睨まれているのでロリタに睨まれたところでモオルダアはほとんど動じなかった。意外なところでスケアリーの恐さが役に立っていたが、それはどうでも良いことである。

「それじゃあ、ビジネスといこうじゃないか。…それから、僕の名前はモオルディエでもモオルディエールでもなくてモオルダアだ!」

「ちょっと、モルディエンヌ!やめてください」

ロリタはどうしてもモオルダアの名前を間違えたいようだが、そんなことはどうでもいい感じでモオルダアがロリタを引っぱっていくので、手錠を掛けられたロリタはついていくしかなかった。


 手錠を掛けられて男に連れられているところはあまり見られたくなかったのか、ロリタは特に抵抗することもなくモオルダアについていった。モオルダアは店の外に出たもののどこへ向かうべきかと考えてしまったのだが、そういえばさっきロリタが一度入っていたビルがある、ということを思い出した。そこへ行ったらロリタがこれから何をしようとしていたか、とか例のフランスの船が何を見付けたのかとか解るに違いないと考えて、そのビルへと入っていった。

「ちょっと、モルディアさん!こんなことをして私があなたを訴えたらどうなると思うんですか?」

「政府の機密情報を売買している人の言う台詞とは思えないな」

ビルの廊下を歩きながらそんなやりとりがあったのだが、そろそろロリタのモオルダアの間違った名前のネタがつきてくるのでは?と思われた。

 廊下を歩いてくると、ドアに「カレンチャ君の沈没船情報社・横浜支社」と書かれた部屋に辿り着いた。モオルダアはドアノブに手をかけて回してみたがやはり鍵がかかっていた。

「開けるんだ」

モオルダアが言うと、

「断ります。モゲレバさん」

とロリタが答えた。

 モゲレバってなんだ?!さんざん人の名前を間違えたあげく、モゲレバって酷すぎる。モオルダアはモゲレバという間違った名前に腹が立って来た。その怒りをぶつけるのに良いものはないか?と思っていたのだが、ちょうど目の前のドアがおあつらえ向きであることに気付いた。ここは古いビルで、部屋のドアは開け閉めすると「ギィィィ…」という音がしそうな木製のドアだったのである。

 モオルダアが力一杯ドアを蹴飛ばすと、大きな音を立ててドアが開いた。(モオルダアは一度これがやってみたかった、と思っていたのだが、実際にやってみるとそれほど面白いものではないな、と思って少しガッカリしていた。)

 部屋の中に入ると明かりが消されて、ほとんどまわりが見えない状態だった。

「電気はどこだ?」

大抵の場合、電灯のスイッチは入ってすぐのところにあると思ってモオルダアが手探りで探していたのだが、その時背後から予期せぬ人物の声が聞こえてきた。

「明かりならここにあるっすよ」

部屋には誰もいないと思っていたモオルダアは驚いて振り返った。すると窓の外から入ってくるわずかな光に照らされている人物の姿が確認できた。そこには銃を構えたクライチ君の姿があった。

 前に登場した時にはウィスキー男に暗殺されそうになって、マジでキレるっす!という感じだったクライチ君がここで何をやっているのか?もしかしてカレンチャ君と同じ感じの名前だからここにいるとか、そういうことかとも思ったモオルダアだが、そうではないようだ。

「クライチ君。こんなところで会うとはね」

前回もそうだったようにモオルダアはクライチ君の持っている銃がモデルガンだと思っているのだが、モデルガンでも近くから撃たれたらけっこう痛いので、クライチ君をなるべく刺激しないような感じで話した。

「どうでもイイっすけどね。なんかマジでムカつくんすよね」

モオルダアにはなぜだか解らなかったが、どうやらクライチ君はそうとう苛ついているようだった。ロリタはこれを見て何か嫌な予感がした。彼女はクライチ君の持っているのが本物の銃だと解っている。そして、クライチ君との重要な取り引きの場にモオルダアのような人間が来ているというのは、どう考えても彼らのビジネスにとっては好ましい状況ではない。

「ちょっと、落ち着いてくださいよ。モゲレーヌがここにいるのは…」

モゲレーヌって何だ?!とモオルダアは思ったのだが、そんなこととは関係なく苛ついているクライチ君はロリタの方へ近づいてきた。

「うるせえ!お前は黙ってろ、ババア!」

そういいながらクライチ君がロリタを突き飛ばすと、ロリタは倒れながらドアの外に出た。ロリタと手錠で繋がれていたモオルダアも反動で倒れ込んだのだが、倒れた時に彼の体がドアにぶつかってドアが閉じられた状態になったので、今はドアを挟んで内と外で手錠で繋がれた二人が倒れている状態だった。

「おいクライチ!ババアとはちょっと失礼だろ。まあ、どう見ても美人ではないし、それなりに歳はとってそうだけど、ババアと言うにはまだ若いと思うぜ」

なぜかモオルダアはヘンなところを気にしているがクライチ君はどうでもいいと思っているようだった。

「それに、実は友達がチョー美人でしかも独身で付き合ってる男性もいないとか、そういうこともあるかも知れないから、どんな人とでも仲良くしてれば…」

モオルダアがヘンな妄想による説教を始めたのだが、その時ドアの外から銃声が聞こえてきた。一発目の銃声の直後にロリタの「ギャッ!」という悲鳴が聞こえたが、その瞬間二発目の銃声が聞こえてきてロリタにとどめを刺したようだった。

 モオルダアはこれはかなりヤバいと思った。たった今銃殺されたであろうロリタとはドアを挟んで隣り合っているのだが、手錠で繋がれているために慌てて逃げ出すとか、そういうことができない。

 クライチ君もいきなりロリタが何者かに撃たれるという展開は想像していなかったのでちょっと焦っていたのだが、いつでも逃げられる状態のクライチ君にはまだ余裕があった。

「まあ、ボクはイケメンだから関係ないっすけどね。あなたはその人と仲良くしていてくださいよ」

そう言うと、クライチ君は窓を開けて外に逃げて行ってしまった。

 あぁ…と思っていたモオルダアだったが、そんなことを思っているよりも自分も早く逃げないといけないようだった。ロリタを撃った何者かは、恐らく廊下の端から撃ったのだと思われたが、彼らの足音が次第に部屋の方に近づいてくるのが解った。とにかく手錠をはずさないと逃げられないのだが、焦っていると手錠の鍵穴に鍵を差し込むという簡単な動作も上手くできなくなってしまう。近づいてくる足音を聞きながら、モオルダアは焦りすぎて自分で何をやっているのか解らない状態になっていた。


 ドアの外ではどこかで見たような男達がロリタの倒れている方へと近づいて来ていた。恐らく彼らは芝浦にある「カレンチャ君の沈没船情報社」の事務所に押し入った人達である。ロリタを見付けて即座に発砲したということを考えると彼らの目的はやはりロリタの殺害ということだったのだろう。その第一の任務を遂行して、これからその後の任務に移るべく彼らはドアの前に立っていた。そして彼らのうちの一人が全員の態勢が整ったことを確認してから合図をすると、一斉に男達が部屋の中になだれ込んでいった。

 部屋に入った男達がどこかに誰かの姿を見付けたらいつでも発砲するという勢いで、中を確認していたのだが部屋には誰もいなかった。どうやらモオルダアもなんとか手錠をはずして、窓から外に逃げられたようだ。

 部屋に入ってきた男達の中のリーダーっぽい人が中を確認してから、開きっぱなしになっている窓のところへやって来た。そこから外の道路をみると慌てた感じで逃げていくモオルダアの姿があった。

 彼らはフランス語で話しているので何を言っているのか良く解らなかったが、恐らくここにいても意味がないとか、ずらかるぞ、とかそんなことをリーダーっぽい人が言ったようで、一同は部屋から出ていった。すると部屋を出たところで彼らもまた予期せぬ人物に出会うことになった。

 予期せぬ人物というよりも、彼らにはそこにいたのが誰だか解らなかったと思うのだが、そこにいたのはゴルチエの妻だった。この怪しいビルにやって来る人間には見えないゴルチエの妻だったが、そんなことを思う間もなくゴルチエの妻は男達の前に現れると体から強烈な光を発した。

 この光を見た男達は目が眩んでしまったのだが、すぐにそれよりももっと激しい苦痛が彼らを襲った。男達は眩しいから両手で目を覆っていたりしたのだが、その態勢のまま苦痛のためにその場に倒れ込んでいった。ゴルチエの妻から発せられる光に何があるのか解らなかったし、人間が光るってどういうことだ?ということでもあるのだが、男達はそんなことを考える間もなく意識を失っていったようだった。

 そして、そこにはパイパイ丸の乗組員と同じように全身に放射線による火傷を負った状態の男達の姿があった。ゴルチエの妻は倒れている男達の脇を通って彼らのいた部屋の中へと入っていった。