11. 警察署の一室
モオルダアがM刑事から渡された資料の山をかき分けているところへ、スッキリしてツルツルしたスケアリーが入ってきた。どうやらスケアリーの行っているエステはそうとう良いところらしい。それはどうでもいいのだが、部屋に入ってきたスケアリーにモオルダアが気付いた。
「ああ、ちょうど良いところに来たね」
机の上の資料の山を見るとそれはモオルダアにとっては「ちょうど良いところ」で、スケアリーにとっては「良くないところ」だというのは明らかだった。スケアリーは面倒な事になったと思ったのだが、二日間ほとんどサボってリフレッシュしていたし、モオルダアの顔色が病人のようなのが気になったので手伝うことにした。
「それで、何をやっているんですの?M刑事にあなたがここにいると聞いてやって来たのですけれど」
「このサキガ刑事の担当した事件の資料とボクが出版社から借りてきた第二の被害者の撮った写真から、二人に共通する第三の人物を探すんだよ」
そう言われてスケアリーは改めて机の上の資料の山を見た。
「それって、途方もない作業じゃありませんこと?ヒントとか何かないんですの?」
「ないこともないけどねえ。とにかくここは根気を入れてやらないとダメなんだよ」
スケアリーはやっぱり帰りたくなった。
サキガ刑事の資料の中には事件に関わった人間の名前や顔写真などがあった。それから第二の被害者の撮った写真はすでに生きていない人間がほとんどだったが、中には周囲に集まった野次馬の写っている写真もある。二人に共通するものを探すのなら、この遺体の写った写真の中にサキガ刑事の担当した事件があれば、そこにヒントがある可能性は大いにある。写真の中には事件だけでなく、事故によるものもあるので、そういうものを省いていくと調べる範囲はかなり狭まってきた。それでもまだ数百枚の写真が残っている。
写真の撮影された日付と警察の資料に書かれている日付を見比べながら、何かの手掛かりを探していた二人だったが、そういう作業を続けていると、いつの間にか動いているのは手だけになっていて、頭では全然関係のない事を考えていることがある。そんな中でモオルダアは「関係ないけど重大なこと」に気付いてしまった。
「どうでもいいけどさ。この二人目の被害者ってなんて名前なの?」
モオルダアが言うとスケアリーが驚いたような感じで彼を見た。
「あなた、何を言っているんですの?被害者の名前も解らないで、どうして今まで捜査ができたって言うの?被害者の名前は…。この被害者は…」
なぜかスケアリーまで被害者の名前を知らないようだ。
そうなのである。本来この話はこの名前の付けられていない被害者が殺害される場面から始まる予定だった。そして、途中までそのとおりに書かれて、そこで被害者の名前もどのような人間なのかも詳しく説明されていたのだ。しかし、そこから始めると、話が盛り上がらないのではないか?と思った私が冒頭の部分を全部削除して書き直したから、名前が書かれないままここまで話が進んでしまっているのである。
問題は、私自身も第二の被害者に付けた名前を忘れている事である。ただし第二の被害者の名前がそれほど重要か?という事を考えるとそうでもないので、この先も第二の被害者は「第二の被害者」と呼ぶことにしよう。
おかしな事を考えている間に、モオルダアもスケアリーも手にしている写真や資料をなんとなくめくっているだけになっていた。そんな事ではいつまで経っても捜査が進展しないとも思われる。しかし、人間の記憶力は不思議なもので、スケアリーは資料の写真を見てなんとも言えない違和感を覚え始めた。
スケアリーはその一枚の写真を束の中から分けて別の場所に置くと、すでに調べた資料をもう一度めくり始めた。
「何かあったの?」
モオルダアが聞くと、スケアリーは資料から目を離さずに「黙っていなさい」とだけ答えた。ひらめきというか、直感というか、そういうボンヤリとしながらも重要で意味があるようなものが頭の中に見えてきた時には何も聞かれたくないものだ。
モオルダアもそこを解っていたのか、或いはただスケアリーに怒られるのが恐かったのか、黙って彼女のすることを見ていた。すると、警察の資料をかなりめくった後に一枚の写真をスケアリーがとりだした。
「ちょいとモオルダア。これを見て」
スケアリーは片手に資料の中の写真を、もう片方の手に第二の被害者の撮影した写真を持ってモオルダアに見せた。
「これはどういう事だ?」
モオルダアが聞いたが、スケアリーに解るわけはない。
二つの写真には同じ顔が写っていた。一枚は血だらけの遺体になった写真だったが、もう一枚の生きている時の写真と比べても同じ人間だという事がすぐにわかった。
「とにかく、少しだけ何かに近づいたということかな」
モオルダアの瞳はにわかに輝き始めたが、スケアリーはこういうモオルダアの表情を見るたびに面倒な話が始まるのではないかと心配になる。
モオルダアがこの二枚の写真を見てどんな説明を始めるのか、と思っていたところにM刑事が入って来た。そして、これまでになく少し慌てた感じで二人に声をかけた。
「ちょっと来てもらえませんかね。もしかすると、何か関係があるかも知れない」
少し慌てていたので、M刑事がなんのことを言っているのか二人には解らなかったが、とにかくM刑事が慌てるほどなのだから何かあるに違いない、と思って二人はM刑事について部屋を出た。
12. 取調室
取調室にはミライガミがうつむいて座っていたが、モオルダアとスケアリーが入ってくると顔を上げて、ふてくされたような、或いは何かを言いたそうな、或いは眠そうな感じのそんな細い目をメガネのレンズを通して二人に向けた。二人はこの特に凶悪犯でもなさそうな、おっとりとして小太りのミライガミがどうしてこのような取調室に居るのか少し疑問に思っていた。
「もしかすると、考えすぎという事かも知れないんですけどね。でも、もしかするとということもありますから。ですから部下にもそういうところで怪しいところがあったら注意するように、と伝えてあったのですけどね」
M刑事が説明を始めたが、まだ何を言っているのか全然解らなかった。
「この方はどうしてここにいるんですの?」
たまりかねてスケアリーが聞き直した。
「それなんですけどね。まあ、殺人事件なんてのはしょっちゅう起こるものではないですが、交通事故やら、最近の不景気で自殺者も増えてますから、そんな事で我々も大忙しなんですが、ここ数日に起きた死亡事故や何かの現場に行くと必ず彼が先にいて、ビデオカメラで現場を撮影してたってことでしてね」
やっとM刑事の言いたいことが解ってきた。スケアリーは、もう少し解りやすく説明できないものかしら?と思っていたのだが、そういうことはあまり表情に出さないように努めていた。
「つまり彼が予知能力を使って事故の現場に先回りしていたという事ですね」
モオルダアが聞くとM刑事は認めたくないながらも黙って頷いた。一方でミライガミはモオルダアの言葉に反応して一瞬だけモオルダアに鋭い視線を向けて、また元どおりの瞳で机の上に視線を戻した。
「キミ、名前は?」
「ミライガミ・エタゾウです」
モオルダアが聞くと代わりにM刑事が答えた。ミライガミは黙って机の上を見たままである。
「キミは、ボクやここにいる人達を最初にみた時に、ボクらが死んでいる姿が見えたりしたか?」
モオルダアに言われると、ミライガミは一度ゆっくりモオルダアの方を見ただけで何も言わなかった。
「だとすると、キミは夢や瞑想によって未来を知るタイプだということだね。それにしては、キミはなんというかアレだよね。雰囲気がないというか…」
「ちょいとモオルダア!」
モオルダアが話を怪しい方向へ持っていこうとするのでスケアリーが慌てて止めに入った。
「それよりも、あなたがどうして事故の現場にいたのか教えてもらわないといけませんわね。いくら偶然が重なっても、死亡事故の現場に何度も居合わせるなんて事はあり得ませんわ」
ミライガミはうつむいて黙ったままだった。
「納得のいく説明が出来ないのなら、あなたに何か容疑がかかるかも知れませんわよ。もしも、あなたの仕組んだ何かのいたずらによって事故が起きて人が亡くなったというのなら、殺人ではないにしろそれなりの罪になるんですのよ」
ミライガミは少し動揺したようで、一度スケアリーの方を見て何かを言いかけたのだが、思いとどまってまたうつむいてしまった。しばらく微妙な沈黙が続いたあとにM刑事が口を開いた。
「一体、あんな事故現場を撮影してどうするつもりだったんだね?」
沈黙を嫌ったM刑事が適当に聞いたことだったのだが、ミライガミにとってはいい質問だったようで、この質問にはちゃんと答えた。
「エンターテイメントです。ドキュメンタリーです。次世代の!」
「ああ、そういえばキミは映像作家という事だったね。それで、死んでいる人間の映像を集めて何を作る気だったんだ?そんなものはウケるかも知れないが、なかなか売るのは難しいだろう?」
そう言われても、これまでカラスや猫や酔っ払いのケンカを撮影してきたミライガミには答えられなかった。代わりにモオルダアが答えた。
「そんなことはありませんよ。問題があるかどうかに関わらず、そういうものを見たい人は沢山いますしね。そういうものを撮影するために人を殺したら、それは犯罪ですけど。ただ偶然カメラに収められたそういったシーンというのは普通にテレビでだって放送されてますからね。最近ではあまりに酷いものは放送されませんが、昔ボクが見た衝撃映像特集はホントに恐くて…」
「そんなことはどうでもいいですわ!」
スケアリーが割って入ったので、モオルダアは余計な思い出話をやめて話を元に戻した。
「それでキミは、事故や自殺がどこで起こるのか、誰から教えてもらうんだ?ボクの考えでは、キミがそういう現場に先回りできるような能力を持つようになったのはつい最近の事だと思うんだけどね。しかも、それはキミ自身の能力というよりも、誰かの力を借りているはずなんだ。どう考えてもキミにはそういう雰囲気が…」
そこまでいうと、ミライガミが突然モオルダアを睨みつけた。モオルダアは一瞬ビビッたのだが、ミライガミがそれほど人を威圧したり脅したりすることを得意とする人間ではないようで、モオルダアはすぐに我に返ることができた。
「ボクには才能があるんです。そうです。未来が見えるんです」
ミライガミはモオルダアを睨みつけたまま言ったが、ミライガミの様子からモオルダアはこの男が自分に対してちょっとビビっていると思って多少の余裕を感じていた。
「そう思うのはかまわないけどね。でもそのうちキミが体中をナイフで刺されて殺される未来を知るかも知れないんだぞ。そんなことになる前に本当のところを話したほうが良いと思うんだけどね」
横で聞いていたスケアリーとM刑事はワケが解らなくなって揃ってモオルダアの方を見た。モオルダアはそんなところは気にしていない感じで、カバンの中に持っていた写真をミライガミに見せた。
それを見たミライガミは「ウワァ!」という悲鳴をあげて椅子ごと後ろに退くと押さえきれない恐怖に震え始めたようだった。スケアリーとM刑事はモオルダアに向けていた視線をミライガミの方へ移した後に、お互いの「良く解らない」という表情を見合っていた。写真は先程スケアリーが資料の中に発見したものだった。