「リヴェンガ」

18. 例の出版社

 さっきのビルを出た後、スケアリーはこれ以上モオルダアに付き合うのが面倒になったようで出版社には行かずにF.B.L.ビルディングに戻ってしまった。モオルダアは特に一人で困ることもないと思ったので一人で例の出版社のあるビルへと向かった。

 その出版社は大手ではなかったが、ドロドロした雑誌やある種のマニアックな人間向けの書籍をかなり昔から出版している老舗のような出版社だった。端から見れば細々と経営を続けているようにも思えるのだが、内容が特殊であればあるほど、お金を惜しまずに払う人は多くなるもので、実はそれなりに儲けている出版社でもあった。

 モオルダアがビルの中の出版社のオフィスのあるフロアまで行くと、それに気付いた男が一人モオルダアに近づいてきた。その男は前にモオルダアがここへ来た時に、二人目の被害者の事などを聞いた人物だったのでモオルダアもすぐにその男の事に気がついた。

「あの、どうしましたか?モオルダア捜査官でしたね。まだ何か聞きたいことでもありましたか?」

男はモオルダアが前に来た時と同じくハッキリと丁寧な感じで話していたが、ここにまだ何かがあると思ってやって来ているモオルダアには、それがどこかに狡猾さを感じさせるような喋り方にも思えた。

「なんていうかね、このあいだ聞き忘れたことがあるような気がしてね。こうしてやってきたわけだけど」

「そうですか。でも私が知っていることは全部話しましたし、写真は全部あなたに渡しましたから。もう何も話すことはないと思いますけどね」

「まあ、そうなんだけど。あの写真家と関わりがあったのはあなただけですか?あなたは確か編集者でしたよね。写真を買い取ったりするのには、また別の人とかいるんじゃないですか?もしもそうなら話が聞きたいんですが」

「本来ならそうでしょうけどね。でもウチは小さな出版社ですよ。見てのとおり、ここには社員もほとんどいませんし。大きな出版社ならいろんな仕事を分担してやるのだと思いますけどね。ウチは一人の編集者が別の仕事もやっていたりするんですよ。そのほとんどが私の仕事なんですけどね」

モオルダアはオフィスの中を見渡したが、ここには社員が数人いるだけのようだった。モオルダアは目の前の男の顔を見て少し考えた。姿の見えない犯人に殺された二人の被害者と、目の前にいるこの男。この三人に何らかの関係があるとしても、なんとなく納得がいかない気がする。

 もしも関係があるのなら、この男はもっと脅えていても良いはずなのだ。今の彼の態度がもしかすると演技なのかも知れないが、この男のようにどことなく不自然な話し方が板に付いている人間というのは、仕事中はほとんど人間でないと言えるほど自分自身を消している。もっと決定的な確信やら証拠があれば、この男が本当のことを言っているのかどうかが解りそうだったが、今はそうでもなさそうだ。

「あの、他に何もなければそろそろ良いですかね?私どもは常に締め切りに追われている身なんで」

モオルダアの考えが行き詰まっていたところで男に言われたので、モオルダアはちょっと慌ててしまった。

「ああ、これは失礼しました。それじゃあ、最後に聞きますが。この会社の社員はここにいる人たちだけですか?」

モオルダアは何を聞きたかったのか知らないが、恐らくフロアの広さに対して人が少なすぎる事が気になっていたのだろう。

「ええ、まあ。あとは社長がいますけどね」

男はヘンな質問をされて拍子抜けした感じだったので余計な事まで話してしまったと後悔した。

「ああ、そうか。なんとなくあなたが一番偉いような気がしてましたが、会社だったら社長のほうが偉いですよね」

モオルダアの言うことも良く解らないが、モオルダアはさらに続けた。

「それで、社長は今どこに?」

そう聞かれると男はちょっと困った感じになっていた。

「いや、あの。今はここにいないです」

「いないとは?」

男は少し困ったようにて一瞬モオルダアから目をそらして何かを考えていたようだった。それからモオルダアに返事をした。

「なんていうか。あの人もかなり歳なんですけどね。最近になって愛人みたいな人が出来たとかで。それでちょっとランナウェイなんですよ。これは他の社員には言えないことなんですけどね」

モオルダアは「ランナウェイって…!」と思いながらも少しガッカリして頷いた。そして、これ以上は何もなさそうなので帰ることにした。


 この時、誰もいないはずの社長室では誰かが監視カメラを使ってオフィスにいるモオルダアと男の様子をうかがっていた。モオルダアが帰ったあと社長室にいる誰かは電話の受話器を取ってボタンを押すと、カメラの映像に映っている男がオフィスにある電話に出た。

「キミね。そろそろ食事にしたいんだが」

ここにいる誰かが言うと、カメラの向こうの男は姿の見えない相手に対して何度も頭を下げながら、了解したという事を伝えたのか、受話器を置くとそのまま、どこかへ行ってしまった。しばらくしたらこの部屋に食事を持ってやって来るのだろう。

 この部屋にいる誰かは監視カメラの映像が映っているモニタを消した。すると他に明かりの点いていなかった部屋は暗闇に包まれた。