「リヴェンガ」

8. F.B.L.ビルディング・ペケファイル課の部屋

 モオルダアがペケファイル課の部屋の扉を開けると、機嫌の悪そうなスケアリーが難しい顔をして資料に見入っていた。それを見たモオルダアはなんとなく早くこの場所から逃げ出した方が良い気もしていたが、特に悪いことをしたわけではないので、そのまま部屋に入った。

「一体、どういう事だと思います?何だか謎だらけの事件ですわ」

スケアリーにしては珍しく、打つ手がないという感じだった。機嫌が悪そうなのはそこに原因があったのだろう。これまでに彼女が手に入れた証拠のほぼ全てが、この事件を「科学的」に説明するのが困難であることを示しているのだ。モオルダアに意見を求めたところで彼からまともな、少なくともスケアリーを満足させられるような事は聞けないだろうし、彼女もそう思っていた。それでもモオルダアに意見を求めてしまうほど、スケアリーは謎だらけの事件に困惑していたのかも知れない。

 モオルダアは椅子に座ると、机の上にコンビニで買ってきたパスタを出してフタを開けた。店の電子レンジで温めてもらったそのパスタからはモワッとした湯気が上がって、ミートソースのわざとらしいニオイが部屋に立ちこめた。

「こういう時にはあらゆる可能性を考慮しないといけないと思うんだよね」

モオルダアが言うと、ミートソースのニオイになんとなくイラッとしていたスケアリーが返した。

「あらゆる可能性とはどういう事ですの?現場の状況や証拠品から推測できる可能性はあたくしの科学的な見識によって全て否定されたんですのよ」

「それはそうかも知れないが、キミもボクもサイキックではないよね。でも今回の被害者は二人とも予知能力があるっていう感じだよね。だからボクらの常識の範囲内で考えられる可能性だけでなくて、彼らだけが知っているような可能性も考慮すべきだと思うんだよね」

モオルダアが何を言いたいのかスケアリーには解らなかったが、モオルダアはそんな事は気にせずにパスタを食べ始めた。一口食べた後に話が続くのかと思ってスケアリーは黙ってモオルダアを見ていたが、モオルダアは黙ったままパスタを食べ続けている。

「ちょいと、モオルダア。なんで今頃そんなものを食べているんですの?」

時刻は午後4時半。小腹の空く時間ではあったが、この時間に食べる量としてはモオルダアの食べているパスタはちょっと多すぎる気がする。

「予知能力者の事を知るには、まずその人になりきらないといけないんだよね。ボクの知っている予知能力者は中途半端な時間にパスタを茹でていたんだよ」

スケアリーはいろいろと疑問に思ったのだが、何をどう聞いて良いのか解らなかったので言葉を詰まらせてしまった。一度に大量の疑問がわいてくると、それが頭脳回路の中で大渋滞を起こしてしまうような、そんな感じがする。スケアリーは一度落ち着いてから一番最初に渋滞を抜け出してきた言葉をモオルダアにぶつけてみた。

「パスタを茹でる時間に中途半端も何もないと思いますわよ」

そう言われると、モオルダアは食べるのをやめてスケアリーの方へ顔を上げた。口からはダラッとした感じでパスタが数本垂れ下がっている。

「でも二時半にパスタを茹でるのは中途半端だと思わないか?」

「あたくしだって、お休みの日にはそんなことをしますわよ。それだったら、あたくしもサイキックということになりますけれど。まさかあなたはこの時間にパスタを食べたら予知能力者になれるとか、そんなことを思っていないでしょうね?」

といわれても、モオルダアは明らかにそう思っていたとしか考えられない。

「いや…。なんていうか、冗談だけどね」

今さら冗談といっても、あまりにもウソなのだが。それを聞いたスケアリーが明らかに苛立ったような目でモオルダアを見るので、モオルダアは下を向いて黙ってパスタの残りを食べ始めた。

 スケアリーはあきれてものも言えないという状況になる前に、もう一つモオルダアに聞くことにした。

「それはそうと、火であぶったようなナイフで人を刺すことになにか意味があると思います?」

「何が?」

モオルダアは顔を上げてスケアリーの方を見た。また口からはパスタが半分垂れ下がっている。

「被害者の傷口は全て火傷を負ったような状態になっていたんですのよ」

それを聞くとモオルダアはしばらく黙り込んでいた。

「地獄の業火に焼かれたんだな」

モオルダアが半分つぶやくように言うと、またパスタを食べ始めた。

 スケアリーは今度こそあきれてものが言えなくなったので、また手元の資料へと視線を移した。それから、電気を消すと例のプロジェクターで新たな被害者の解剖写真を巨大スクリーンに映しだした。見るべきではないと解っていても、スクリーンに何かが写されると思わず見てしまう。モオルダアはスクリーンを見たことを後悔しながら、映っている血だらけの遺体と机の上のミートソースを何度か見比べてから、パスタを諦めてコンビニ袋の中に戻した。それから、今日これまでしてきた事を反省して席を立った。どうやら今回はどうしてもエグい写真とかをたくさん見ないといけないようだ。

「ちょいと、どこへ行くんですの?」

「二人目の被害者の事をもう少し調べることにするよ。彼から写真を買っていた出版社に行けば何か聞けるはずだし」

スケアリーはそれを聞いてどこか腑に落ちない感じがした。もうそんなことはとっくにやっていると思ったのだが。あれから何をしていたのかモオルダアに聞こうと思ったが、彼はそれを察知したのかどうか、さっさと部屋を出ていってしまった。


 モオルダアが出ていって数十分がたった時にスケアリーの携帯電話が鳴った。スケアリーは散らばった資料の下にある携帯電話を探して電話に出るとそれはモオルダアからだった。

「あのさ、思ったんだけど。レーザーメスとかってあるでしょ。ああいうのって考えられないかな?」

モオルダアが何を言いたいのか良く解らない。

「なんですのそれ?レーザーメスはありますわよ。手術で使われるやつですわね」

「そうなんだけど、そういうのの強力なヤツを使えば、遠くから人を刺すことが出来るとか」

スケアリーは思わず吹き出しそうになったのだが、モオルダアが真剣な感じなのでなんとかこらえた。モオルダアが言いたいのは、恐らくSF映画などに登場する光線銃のようなものだろう。

「モオルダア。もしそんなことが可能だとしても、レーザーによる傷はあんなふうにはならないんですのよ。あの遺体の傷跡はナイフか何かの刃物によるもで間違いないですし…フフッ」

説明していたスケアリーだったが、途中でこらえきれずに笑ってしまった。ちょっと悪いと思いながら口に手を当てたが、モオルダアはそのことはそれほど気にしていない感じだった。

「まあ、そうだよね。とにかく出版社に行ってくるけどね」

最初から自信がなかったような言い方で返事をすると、モオルダアは電話を切ってしまった。スケアリーはまた光線銃の話を思い出して、しばらくニヤニヤしながら笑いをこらえていた。