3.高層マンションの上の方の部屋
モオルダアは自分たちを100メートル以上の高さまで運んでいくエレベーターの中で先程までの憂鬱な気持ちを忘れて、高速で上昇していくエレベーターの独特の感じを楽しんでいた。どうしてこんな高い場所に住もうと思うのかは理解できないが、高層マンションの上の方というのはそれだけでちょっとした非日常的な感覚が楽しめる場所なのかも知れない。
スケアリーはモオルダアがエレベーターのボタンの上に表示されている階数の数字を見ながらニヤニヤしているのに気付いて気持ち悪かったが、もうすぐ目的の階に着いてこの閉鎖された空間から抜け出せるのでガマンしていた。エレベーターが止まって扉が開くと、そこには落ち着いた感じの照明に照らされた廊下が続いていた。普通のマンションとは違って各部屋に続く通路は建物の内側にあるので、ここが地上から100メートル以上の高さにあることは少しも感じさせなかった。
ヨーロッパ風の高級ホテルを連想させるようなこの廊下を見て、高級志向のスケアリーは多少の嫉妬のようなものを感じていたが、そんなことを気にしていても仕方がないので、足早に事件現場の部屋へと向かった。モオルダアは滅多に見ることの出来ない高級で高層なマンションの内装を興味深く眺めていたが、前を歩くスケアリーの歩き方から彼女のイライラした雰囲気を感じとって慌てて追いかけていった。
「エフ・ビー・エルのスケアリーとモオルダアですわ!」
スケアリーが事件現場の部屋の前で警官に言うと、その警官は二人を中に通した。モオルダアが身分を明らかにしてもなかなか事件現場に入れてもらえない事は良くあったがスケアリーが名乗るとスンナリいくようだ。モオルダアは納得がいかなかったが、とにかく事件現場の部屋へ入らないといけない。
モオルダアは玄関のところから奥の方をそっと見てみたが、そこには壁に吊り下げられた遺体は見えなかった。玄関のところから短い廊下が続いてその奥に大きなリビングルームがあって、入ってすぐのところには小さめの部屋があるようだ。高級で高層なマンションといっても基本的な作りは普通のマンションと一緒なのかも知れない。そんなことはどうでもイイと思いながら、モオルダアは恐る恐る部屋の中へと入っていった。
モオルダアが警官達で賑わっている奥のリビングルームに入ると、正面にあるベランダへ続く窓から素晴らしい景色が彼の目に飛び込んできた。
「わぁ!富士山だよ!」
まわりには視界を遮るものが何もない高層マンションの上の方。今日のように良く晴れた日には遠くに富士山がクッキリと見えていた。この風景に思わず声をあげてしまったモオルダアはさらに窓へ近寄って、目を輝かせながら遠くを眺めていた。まわりにいた警官達は唖然としてモオルダアを見つめていた。この凄惨な事件現場で「富士山だよ!」はないだろう、という感じである。
「ちょいとモオルダア」
警官達の冷たい視線にまったく気付かないモオルダアにスケアリーが声をかけた。
「こんな景色が見られるんだったら、この異常に高い場所に住むのもアリかも知れないな」
モオルダアはまだ窓の外を眺めたままだった。
「ちょいと!モオルダア!」
スケアリーはさっきより厳しい感じでモオルダアに声をかけた。モオルダアはちょっとビクッとなって慌てて振り返ったのだが振り返ったとたん、さらにビクッとして「ハアァ!」という幽かな悲鳴をあげた。
「チッ、チッ、血だ!」
「そんなことは誰が見ても解りますわよ」
外の景色を眺めて盛り上がっていたために振り返った時に見た部屋の中の光景はさらにおぞましいものに見えた。
モオルダアがいる窓のそばと反対側の白い壁は、下の方の半分以上が被害者の血で赤黒く染まっていた。幸いそこにあった遺体はすでに運び出されたようでモオルダアは気を失ったりせずにいられたのだが。しかし、前の事件でもそうだったように、遺体は壁に吊されていたようで、壁の真ん中辺りは天井に近い場所から血が着いていて、その下の床にいっそう濃い血溜まりが出来ているようだった。
壁に付いているアレは「ヒ」となっていた。それはどうでも良いのだが、モオルダアは自分の部屋と同じ「ヒ」なのがちょっと気持ち悪いと思っていた。
モオルダアが驚く様子を見て警官達はまた唖然としていたが、いつまでもモオルダアの行動に付き合ってられないという感じで、各人が仕事を再開した。
「あ、あの、あなたはこういう事件の専門家だということで応援を依頼したんですが。…その、どう思いますか?」
血塗られた壁を見てオロオロしていたモオルダアに刑事風の男が近づいてきて声をかけた。モオルダアの奇怪な行動にこの刑事もちょっとオロオロした感じになってしまっていたが。声をかけられたモオルダアはやっと我に返って、優秀な捜査官らしい振る舞いになった。とはいっても、もうすでにここにいる全員がモオルダアの事を優秀な捜査官だとは思っていない気もする。
「まずは詳しい話を聞かないことには何も言えませんが」
モオルダアが優秀な捜査官らしいと思っている落ち着いた感じで答えると、ちょっとオロオロしていた刑事風の男もやっとまともに話が出来るようになってきた。
「あ、そうでしたね。これは失礼しました。私はこの事件を担当しているMです。前のサキガ殺害事件の時もそうだったのですが、どうにも納得できない部分が多すぎまして、それであなた方に捜査の依頼を頼んだわけでありますが…」
M刑事はまともな人間として、今回の事件での不可解な部分を説明するのに少し苦労しているようだった。(どうでも良いが、どうして名前じゃなくてイニシャルで「M刑事」なのか?ということだが、多分この刑事は今回の話しにあまり登場しない気がするので、名前は考えるのが面倒ですしM刑事に関して詳しい説明はあまりしなくても良さそうなのです。)
今回の事件で「納得できない部分」の一つ目は、犯人がどうやって現場にやって来て、どうやって去っていったのか解らないところである。
最近出来たばかりの高級な高層マンションなので、入り口や通路には監視カメラが設置されていて24時間常に人の行き来を監視しているのだが、監視カメラの映像に怪しい人間は一人も写っていなかったということである。監視カメラに映らないで侵入できる場所といえばモオルダアがさっきまで景色を眺めていたベランダへ出る窓ぐらいしかない。
「ここまで昇ってこられる人がいるとしたらそれは『恐怖のバネ人間』ぐらいしかいないな」
M刑事の説明を聞いていたモオルダアは窓の外を見つめて言ったのだが、M刑事は何のことだか解らずに首を傾げていた。
「ちょいとモオルダア!その『バネ人間』の話はボツになって、ここには書かれていないのだから言ってはいけないんですのよ!」
横で彼らの話を聞いていたスケアリーがちょっと苛ついた感じでモオルダアに言った。(確かに『恐怖のバネ人間』はつまらなすぎてボツになってしまったのですが、私としてはアイディアは面白かったと思うのでちょっと書いてみたり。)
バネ人間の話が出来なくなってしまったモオルダアは、一度話すのをやめて、部屋の中を見回してみた。すると天井付近にヘンなものを見付けた。モオルダアは視線の先にあるものを見つめながら「これがこの事件で一番異様な部分ではないのかな?」と思っていたが、M刑事は面白いことを最後にとっておく性格なのかも知れない。そう思って、モオルダアはM刑事の方に向き直った。