6. 都内某所にある住宅街
その頃、モオルダアはある人物の家に向かって住宅街を歩いていた。これから行く場所に事件を解決する手掛かりがあるのかどうかはまったく解らなかったが、他に行くところがないので仕方なくそこへ行くことにしたようだ。
実を言うと、モオルダアは殺害された第二の犠牲者から写真を買い取っていた出版社にいって被害者のことを聞くべきだとも思っていたのだが、そこに行けばあの被害者の撮影した事故現場の遺体の写真とか、そんな物を見なくてはならないような気もしていたので、無意識のうちにそうすることを避けたようだ。
昼下がりの静かな住宅街を歩いていると、目的の家に到着した。大きくも小さくもない普通の家の呼び鈴を押したが、なかなか返事がなかった。しばらく待っていたモオルダアはもう一度呼び鈴を押した。それでもまだ返事はなかった。
せっかくやって来たのに、何も出来ないというのは腹が立つ。モオルダアはどうせ誰もいないのだからと思って、連続して呼び鈴を押し続けた。すると十回ほど押した時にインターホンから苛ついたような声で返事が聞こえてきて、モオルダアは驚いてビクッとなった。
「…あの、エフ・ビー・エルのモオルダア特別捜査官ともうしますが、…ええと、話とか聞けたら良いと思って来たのですが…」
家には誰もいないと思っていたのに、中からの返事に驚いたモオルダアの言っていることは意味が解らない。インターホンからは何も返事がなく、モオルダアはマズいことになったかな?と思っていたのだが、しばらく待っていると家のドアが開いた。
「どうぞ、入ってください」
開いたドアの向こうには、中年だがそれほどオバサンっぽい感じのしない上品な女性の姿があった。
「なんとなく解ってましたから」
モオルダアはそう言われると「はぁ…」と良く解らない返事をして家の中に入った。
捜査のためこの女性に質問しようとここへやって来たモオルダアだったが、なんとなくこの女性に呼び出されてここに来たかのように、何をしていいのだか解らない感じでドアの中に入った。玄関に入ると、スリッパが用意されていて、女性はモオルダアに家の中に入るように目で指図しているようだった。
「…あの、お邪魔します…」
モオルダアは玄関から続く数メートルの廊下を歩いて女性の入っていった居間のような部屋に入った。
「それで、何が聞きたいのかしら?手短に話してもらわないと。パスタが茹で上がったらお相手は出来ませんよ」
パスタってなんだろう?と思ってモオルダアは辺りを見回した。居間から見えるキッチンでは鍋が火にかけられていて、恐らくその中でパスタが茹でられているのだろう。時計を見ると二時半ぐらいであった。この時間にパスタってなんだろう?と、またモオルダアは思った。
「それで、何が聞きたいのかしら?あと九分ほどしかありませんよ」
「…ああ、そうでした。あなたは二十年ほど前に世間をにぎわせた特殊な能力の持ち主ですよね。いや、ボクもすっかり忘れていましたが、最近これを読んで懐かしい記憶が甦りましたよ」
モオルダアはそう言って、持ってきていたローンガマン(詳しくはCAST参照)の機関誌を女性に見せた。それを見た女性は多少ウンザリしたようにうなずいた。
「あの人達が私のところに取材に来てから、あなたみたいな人達が良くやって来るんですよ。ホントに、何を知りたいのか知りませんけど。私の話を聞いたって何も解りません」
そう言って、女性は一度キッチンタイマーの時間を確認した。あと七分。
「解るか、解らないかは聞いてみないと解りません。あなたの予知能力とは一体どのようなものなのか、具体的に教えて欲しいんです。」
この女性がかつて世間をにぎわせた特殊な能力とは予知能力のことだったようだ。本当に世間をにぎわせたかどうかは定かではないが、この加須加仁美恵子(カスカニ・ミエコ)という女性は確かに二十年ほど前に超能力者としてテレビの特番に出演していた。当時はカスカニも自分の能力が絶対であると思っていたところもあってテレビ出演を承諾したのだが、それによって彼女の予知能力がインチキであると、その番組に出ていた別の科学者によって証明されてしまうというところは予知できなかったようだ。
「最初はホントに予知能力だと思ったんですよ。いや、確かに今でもそれは予知能力なんです。誰かに会ってその人の顔を見ると、その人の未来に何が起きるか頭の中に映像が見えてくるんです。その中のいくつかは現実になって、それ以外は私の妄想なのですが」
「その映像というのはどういうふうに見えるのですか?人を見た瞬間にその人の未来が見えるというのは珍しい例です。大抵の場合、予知は夢や瞑想しているような状態で行われると思うのですが」
モオルダアが怪しいことを話し始めたが、カスカニはそんなことをこの手の人間から質問されるのには慣れているらしく、特に反応はしなかった。タイマーを見るとあと五分半ぐらいだった。
「こんなことを言うと私の頭がどうかしているとか思われると思うのですが、私は人に会うたびにその人が血だらけで倒れている姿を想像するんですよ。想像すると言うより、何かの力によってそういうものが見えてしまうのです。そんなことはいつまで経っても慣れることの出来ないものですし、そんな妄想みたいなものに苦しめられ続けたあげく、テレビに出たらインチキと言われるし。あなたにはこの苦しみが解りますか?」
カスカニがだんだん感情的になってくるのでモオルダアは次第に焦ってきたが、ここはなんとかしないといけない。モオルダアは冷やかし半分でここへ来た他の者達とは違う。少なくとも事件に関する何らかの手掛かりを得たいのだ。
「つまり、あなたの言うことが本当だとするとボクを見た時にもボクが血だらけで倒れている姿が、そのヴィジョンとして見えたと言うことですか?」
「そうです。でもそれが実際に起こる事だとしても、それがいつどこで起こるか解らない。それに、解ったとしても実際に起こることを予知したのだから誰にもそれを防ぐことは出来ないんです」
そう言ってカスカニはタイマーを見た。あと三分。
「それ以外に何かが見えることはないのですか?」
「ありません。私に見えるのは血だらけの人だけです」
「それはどんなふうに血だらけなのですか?」
「人によって違います、体中が血だらけだったり、辺りが血だらけだったり」
この人は血だらけが好きなのかな?とモオルダアは思ったのだが、そんなことを思っていても仕方がないのでカバンを開けて中から写真を取りだした。
「この二人について何か知ってませんかね?この二人もどうやらあなたと同じように予知能力を持っていたという噂なんですが」
そう言ってモオルダアはこれまでに起きた二つの事件の被害者の写真をカスカニに渡した。それを見た瞬間カスカニは身震いして写真をモオルダアの方に投げ返した。
「なんですか、それは!?いきなりそんな恐ろしい写真を見せるのはやめてください!」
モオルダアが見せたのは現場にあった血だらけの遺体写真だったのだが、カスカニは「血だらけ」が好きなワケではなさそうだ。もしかすると、誰かの顔を見てその人の血だらけの姿が頭の中に見える度にカスカニは恐ろしい思いをしているのかも知れない。
「これは失礼しました」
モオルダアは写真を拾いながら謝っているが、それほど悪いとは思っていない感じだった。
「あなたはこの二人に会ったことはないですか?一人は刑事で、一人は報道写真家なんですけど」
「知りません!」
そう言った時にキッチンタイマーが鳴り出した。カスカニは立ち上がってキッチンの方へ行った。
「でも、あなたの言っていた『血だらけ』ってこういう感じじゃなかったですか?もしかして、さっきの写真みたいな光景を見たことが…」
カスカニはキッチンタイマーのボタンを押して耳障りな音を止めるとモオルダアに言った。
「もうパスタが茹で上がりましたから、もう話すことは何もありません」
なんでパスタが茹で上がると話せなくなるのか?と思ったモオルダアだったが、最初にそういう約束で話が始まったのだし、今は強制的にカスカニから話を聞ける状況でもない。モオルダアがそんな風に思っていると、カスカニはキッチンで炒め物を始めた。フライパンがジュージューいう音が盛り上がってきて、カスカニがフライパンにワインを入れてフランベすると彼女の顔の前に炎が舞い上がった。その向こうに見えるカスカニは恐ろしい形相でモオルダアに「いい加減に帰ったらどうなんだ?」と言っているように見えた。
モオルダアはちょっと恐ろしくなって、荷物をまとめると挨拶をして部屋を出ていったが、炒め物で忙しいカスカニには何を言っていたのか良く解らなかった。ただ、部屋を出ていくモオルダアの姿をみてカスカニは何か妙な雰囲気を感じとっていた。それはモオルダアの様子から来るものではなくて、彼女の感情のどこかに生まれた違和感のような、なんとも説明のつかないものだったのだが、それは彼女の予知能力が本物であると信じられていた時に彼女が良く感じていたものに似ていた。