「リヴェンガ」

9. 古びた団地

 大きな建物には時によって信じられないほどに寂しい場所が出来ることがある。そのスペースは設計ミスによって生まれたのか、それとも当初の計画とは裏腹に誰も人が寄りつかずにそうなったのかは知らない。この団地の敷地内にある中庭のような場所もそういう寂しいスペースの一つであった。

 団地の建物を挟んだ反対側は公道になっていて、夜になっても数分に一度は必ず人が通るのだが、この寂しいスペースには日が暮れるかなり前から人がいることは滅多にない。しかし、今日は珍しく夜になってもそこに人がいた。

 団地の一画にあるほとんど街灯も当たらないその暗い場所にいたのはミライガミだった。彼がなぜそこにいるのか、彼自身にも上手く説明が出来ないかも知れない。今のところ「ただなんとなく」とか「不確かな確信」という理由しか見付からないのだが、ミライガミにとってはそれだけでもここへ来るのに十分な理由ではあった。


 ミライガミはもう1時間ほどこの暗い場所で何かを待っていた。ポケットから携帯電話をとりだして時間を確認するとそろそろ夜の10時になろうとしていた。寒さのためか、或いは緊張なのか、携帯電話を持つ手が震えていたがミライガミはなるべくそこは意識しないようにして携帯電話をポケットの中にしまった。

 あと10分待って何もなければ帰ろう。ミライガミがそう思った時だった。彼の目の前に大きな黒い影が落ちてきた。それがドスンという音だったか、ドサッという音だったか形容できない音だったが、何かが落ちてきた時のその音はいつまでもミライガミの頭の中に残るであろう。そして、彼が今見ている目の前の光景も。

 ミライガミは慌ててカバンからビデオカメラを取りだして撮影を始めた。暗闇で撮影するためのライトに照らし出されたのは倒れている女性だった。手足や首が不自然に折れ曲がっているところを見ると、それはもうすでに遺体と呼んだ方が良いだろうか。その様子を見ればその人間がこの団地の屋上から落ちてきたのだとすぐに解る。

 ミライガミは興奮とも恐怖ともつかない妙な気持ちの高まりを感じながら遺体を撮影した。開いたままの目にはもう何も映ることはなさそうだったが、遠くでも近くでもない場所を見つめて固まっていた。その顔を撮影していると、頭部の下に出来た血溜まりが次第に広がっていくのが解った。

 ミライガミにはここまでが限界だった。彼の緊張が最高潮に達した時、恐怖に耐えられなくなってその場から走り去って行った。それは目の前の遺体から感じる恐怖だけではなく、それ以外のもっと得体の知れないものへの恐怖の方が大きかったのかも知れない。

10. 二日後・警察署

 二人が惨殺された事件の捜査は特に進展しないまま二日が経った。なぜかと言うと、いくら考えても埒のあかない状態にウンザリしたスケアリーは気分転換と称してエステに行ったり、美容院に行ったりして二日を過ごしていたし、モオルダアは二人目の被害者から写真を買い取っていた出版社で恐ろしい遺体の写真を沢山見せられたために、気分が悪くなって二日間寝込んでいたのである。

 ペケファイル課の二人はさておき、警察の方でも捜査は続けられていたのだが、特にこれといった進展もなかったようだ。担当のM刑事は頭を抱えてしまうところだったが、警察はエフ・ビー・エルほどヒマではない。他にも沢山の事件が起きているため、M刑事は頭を抱えている場合ではなかったようだ。それよりも、あまり登場しないからイニシャルでいいや、と思ってM刑事のちゃんとした名前を考えなかった私はちょっと頭を抱えそうな感じだ。


 顔色の悪いモオルダアは警察署のM刑事の元を訪れた。M刑事はモオルダアが顔面蒼白なのを心配したが、それはこの事件を必死になって捜査している証拠だとも思った。

「どうですかモオルダア捜査官。なにか進展がありましたか?」

「どうにも難解な事件ですね。でも、こういう時には基本に戻るべきなんでですよ。人は時に目の前にある事実に気付かなかったりしますからね」

モオルダアが優秀な捜査官らしい(と彼が思っている)事を言うと、得意げな笑みをM刑事に向けた。微笑むとモオルダアの目の下に深い影が出来てさらに不健康な感じに見えたが、M刑事はそれを見て何か期待しても良いような、そんな感じがした。

「最初の被害者、サキガ刑事だけど。彼にはだれか情報を提供してくれるようなそんな人はいたんですか?いわゆるタレコミ屋ってヤツですが」

モオルダアが言うのを聞いてM刑事は少しガッカリした。事件から二日も経って今さらサキガ刑事の事を聞きに来るとは。

「そりゃ、いろんなところから情報を集めますからねえ。でも、サキガに関係している人物は全員調べましたし、特に怪しいところもありませんでしたが。それが何か?」

「ボクの考えでは、今回の二人の被害者が予知能力者だっていうのは間違っていると思うんですが」

「私どもも、二人が予知能力者とは断定していませんし、そんな能力があるという前提で捜査はしてないですが。でもサキガ刑事は、なんというか我々には理解できないような勘というか、洞察力というのか。そういうものを持っているような人間で…」

「でも、イロイロと秘密情報を教えてくれる第三者がいたら、それは間違いですよね」

「でも、そんな人物の事は何も聞いていませんし。いたとしても、それを我々に教えない理由が解りません。私がサキガを買い被っているのかも知れませんが、彼は裏でコソコソするような人間ではなかったですが」

「ボクが出版社で聞いたところによると、少なくとも二人目の被害者には情報を教えてくれる人間がいたという話でしたが。それがどこのどういう人間かは話さなかったそうですけどね。とにかくその人間がいつどこで事件が起きるのか教えてくれるということでしたよ」

M刑事はここで少し顔色を変えた。

「それは、その男が事件を起こしているって事じゃないのか?いや、そうじゃなくて正確にはそいつが裏で糸を引いて、誰かに事件を起こさせて、そいつをサキガが捕まえていたということにもなるな」

「現実的に考えればそうですね」

「現実的にって…。それ以外には何かあるのかね?なにか都合が悪くなって二人を殺したに違いないだろ。どうやってやったのかは知らないが、それ以外には考えられないだろ」

M刑事が意外と単純なのでモオルダアはちょっとやりづらくなりそうだったが、今度はモオルダアがM刑事を困らせるような事を言い始めた。

「そう考えることも出来ますけど。その人間がもしも我々には見えない存在だとしたら、ということですけど。サキガ刑事がその人間について何も話さなかったのもそこに関係があるんじゃないですか?」

「何を言ってるんだね?」

「真面目な刑事がいきなり見えない人間から情報を提供されているなんて誰にも言い出せないですし。それに、なによりも、二人目の被害者の撮影したあの見えない加害者の写真がそのことを物語っていませんか?」

反論の余地があるのかどうか解らなかったが、M刑事は自分にこれ以上モオルダアの話をまじめに聞く気力がなくなっているように感じた。エフ・ビー・エルにはエフ・ビー・エルの。警察には警察のやり方がある。M刑事は仕方なく納得したようなそぶりでうなずいた。

 M刑事があまり取り合ってくれない感じなので、モオルダアはとりあえずサキガ刑事の担当した事件の資料を見せてもらえるようにM刑事に頼んだ。ここに来たのはそれが目的だったのだし。