15. 会長の邸宅
会長はスケアリーを応接室に案内すると、窓から見える海の景色や、秋になると裏の山が綺麗に紅葉することなどを自慢するのに忙しくしていた。そして、先ほどの使用人風の女性が紅茶を持ってやってくると、やっとスケアリーがまだ立ったままだということに気づいて、慌てて席に着くように促した。どうやら会長はこの家でかなりヒマしていたということのようだ。
女性は紅茶と一緒にキュウリの漬け物がのった皿を置いていった。それは会長がこの邸宅の裏庭にある家庭菜園で育てたキュウリだそうで、その家庭菜園の話もまたしばらく続いた。はじめの方はにこやかに対応していたスケアリーだったが、会長があまりにも一方的に話すので、次第にただ頷くだけになっていた。
会長がだいたい話したいことを話し終えると「それで、何だっけ?」とスケアリーに聞いた。「何だっけ?」といわれても、スケアリーはまだ何の目的でここに来たのかさえ説明していなかった。彼女は紅茶を一口すすって落ち着いてから話し始めた。
「実はある方に頼まれて捜査をしているのですけれど。あなたは企業の会長でありつつ、御恵来会の会長でもあられますわね」
「ああ、そうだが」
「その御恵来会の会員たちが相次いで大きな事故に巻き込まれていることをご存じかしら?」
「ああ、あれねえ。偶然というのは誠に恐ろしいものだよねえ」
とは言うものの、会長はそれほど恐ろしいとは思っていないような感じで話している。
「偶然は時に人を幸福にすることもあれば、不幸にすることもある。私もこうやって成功を収めるまで、いろんな偶然に助けられたものだがね。それに御恵来会の連中にもそうやって地位を築いてきた奴が大勢いるに違いないがね。良いことにも悪いことにも当たりやすい体質なんじゃないかね」
「それがあなたの考えですの?」
「ハッハッハッ。他に何か考えようがあるのかな?まさか誰かが我々を狙っているとでも?」
「その可能性は否定できませんわ。ですからこうして話を聞きに来ているのですけれど。事故に遭われた方達に、何か共通点などございませんの?」
「うーん。そうねえ。あるといえばあるし、無いといえば無いがな。この周辺の出身者が多いことと、全員が企業の社長や会長だってことぐらいかな」
それはすでに知っていることである。スケアリーは何となく窓の外を見た。少し遠くに海が見える。それは昨日と同じように日を浴びて輝く海だったが、スケアリーにとって観光気分で眺めていた昨日とは違う憂鬱な景色に見えた。
FBLのペケファイル課のようなところで捜査をしていると、時々こんな風にやりきれない気分になるのだ。捜査をしている自分にさえ今何をしにここに来ているのか。それよりも何を解決するために何を見つけないといけないのか。そういう所は全く解らないまま、それでも何かを見つけなければならない。その「何か」は必ずあるように思えるし、それを見つけなければまた誰かが犠牲になるような、そんな胸騒ぎを覚えることもある。
輝きの向こうに見える海面は真っ暗。スケアリーはそう思ったのだが、なるべく悪いことは考えないように努めていた。
「どうもお役に立てなかったようだな」
会長が言うとスケアリーはハッとして視線を部屋の中に戻した。
「いえ。そんなことはありませんわ。偶然で上手くいくなんてことは滅多にない仕事ですもの。お話が聞けただけで十分ですわ。何か気になることがあったら、連絡してくださいな」
スケアリーはそう言いながら帰ろうとしたのだが、会長がキュウリの漬け物の皿を差し出して「どうです?」と聞いてきた。
あまり気は進まなかったが、せっかく勧めてくれているものを食べないワケにもいかないので一つつまんで口の中に入れた。おいしい漬け物だったが、今のスケアリーの気分が晴れるようなこともなく、特に何の意味も無いキュウリの漬け物だった。
16. ローカルな新聞社
モオルダアは新聞社で過去に御恵来会のメンバーや彼らの経営する会社の関わった事件や事故などがないかを調べていた。ローカルな新聞社とはいえ、こういうところの人間は皆忙しくモオルダアがやって来て用件を伝えると「勝手にやってくれ」という感じだったので、モオルダアは大量にある過去の新聞を一人で調べていた。
この新聞社では数年前からインターネットで記事を公開しているので、その分は簡単に調べられた。ただ残念なことにその中に御恵来会に関係しそうな記事はなかった。そうなると手がかりを探すのは縮小版で調べるしかないのだが、この作業がいつ終わるのか?と思うとモオルダアは途方に暮れた。
しかし、モオルダアの考えが正しければ御恵来会のメンバーは何かの事件や事故に関わっているはずなのである。そして、その事件か事故で被害にあった人間から復讐を受けているというのがモオルダアの仮説である。御恵来会のどのメンバーがそれに関わっていて、そしてその中にまだ大怪我をしていない人がいれば、犯人はその人物に近づくに違いないのだ。
犯人?!モオルダアは考えながら「犯人」という言葉に違和感を感じなくもなかった。この場合の犯人は被害者でもあるのだが、でも最近になって事故で大怪我をした御恵来会のメンバーもまた被害者。それから御恵来会と特に関係がなくても有り得ない頻度で怪我をしている今回の依頼人もまた被害者。
本当はそんなことはどうでも良いのだが、こういう言葉の使い方は考え始めるとキリがない。しかも、あるかどうか解らない記事を探して縮小版を1ページずつ調べる作業などをしていると、上の空になって頭の中はどうでも良いことだらけになることもある。
そんな調子では関連のある記事など見つけられないに違いないのだが、モオルダアがほとんど機械的に記事を一つずつ眺めているところへ一人の青年が入って来た。ボンヤリしていたモオルダアは慌てて姿勢を正したのだが、青年にとってそんなことはどうでも良かったようだ。
この青年はFBLが来たことに興味を示したのか、あるいはただ暇だったのか解らないが「何を調べているのか?」と聞いてきた。モオルダアが今回の騒動に関して説明すると青年は好奇心丸出しの目つきでモオルダアの話を聞いていた。この青年は何か知っているのかも知れない。そう思ったモオルダアは物事が上手く進みそうなときのあの何とも言えない期待感に思わずニヤリとしそうになっていた。
「マジですか?!」
モオルダアの説明を聞いた青年が言った。この青年は一応この新聞社の記者なのだが「マジですか」はあまりにも記者らしくない反応である。しかしこの「マジですか」は期待の持てる反応である。
「キミ、何か知ってるのか?」
「いや、知ってるというか。でも、それほど事件って感じの事じゃないですし。まあ、大きな事件だったらもっと有名になってますけどね」
「いや、知ってることなら何でも話して欲しいんだけどね。人はちょっとした事で人を恨んだりするからね」
「でも、こんな話がFBLの事件に関係してるのか怪しいところだしなあ」
なぜか記者はもったいぶった感じである。持っている情報を隠したがるのは記者の本能なのかも知れないが。
「だから、何でも良いって言ってるんだから!」
モオルダアはこの記者の知っているような知らないような態度にちょっと苛ついた感じだった。モオルダアのように普段はあまり怒らない人が怒るとちょっと変な感じで怖かったりするのだが、この時も同様だったのかも知れない。記者はちょっと恐縮した感じで話し始めた。
「実はですね。御恵来会のせいで自分の店をつぶされた人を知ってるんですよ」
「なんだ。それなら充分に動機になるんじゃないか?」
「そうなんですけど、それがちょっと複雑でしてね。まあでも、元をたどると御恵来会が出資してこの町に大きなスーパーを作ったのが原因だったりするんですけど」
「つまり、スーパーが出来て個人経営の商店には人が来なくなった、ってこと?」
「それは良くある話ですが、この件に関してはちょっと違っているんですよね。個人経営の店に人が来なくなったから、それを救済する意味でスーパーを作って、個人の商店の人間を雇うというのが御恵来会の目的だったんですけど」
「それが上手くいかなかったとか?」
「いや、上手くいきましたよ。ただし、中には自分の店にこだわりを持っている人もいますし、そういう人の中には渋々スーパーで働くようになるような人もいたんですけど。そういう中の一人がある時に亡くなったんですよね。事故死なのか自殺なのか警察の方でも判断できないようでしたが、身内によるとあれは自殺に違いないって事なんです。遺書はなかったようですが、それは御恵来会によって自分の店を失ったことが原因なんだとかで」
「それは確かに、複雑だし。なんというか…ねえ。それよりもキミはどこでそんな情報を手に入れたんだ?まさかキミも御恵来会に何かあると思って取材しているとか?」
「いや、そうじゃなくて。その亡くなった人の息子がボクと同級生だったんです」
モオルダアは軽く「なんだ…」という気持ちになったのだが、それよりも重要な事を聞き出せたに違いない。もしもその同級生というのが骨董屋で謎の彫像を買って欲しいと言った青年だとしたら?これは一気に核心に近づいたような気がしてくる。
「キミ、その同級生の居場所はわかるの?」
「いや。まあ、調べたら解るかも知れませんけど。引っ越してたらどうだろう?」
「どうだろう?って。キミに父親の問題を打ち明けるような間柄じゃなかったのか?」
「そうじゃなくて、彼とは特に仲が良かったワケじゃないですが、あの話はボクが聞き出したんですよ。ボクがなんで新聞記者なんてやってるか解らないんですか?」
何となくムッとするような口の利き方だったが、どうやらこの記者は詮索好きという事らしい。確かにそういう人間にとって新聞記者のような仕事は天職なのかも知れないが。
「どうでも良いが、彼の家に案内してくれないか?もしかすると良い記事が書けるかも知れないぞ」
「マジっすか?!」
さっきよりもさらに記者らしくない反応だが、記者は喜んでモオルダアを案内してくれそうだった。