20. 夕暮れ時
モオルダアは国道沿いにあるちょっとしたホームセンターのような店の前でスケアリーを待っていた。手にはそのホームセンターで買った物の入ったビニール袋を持っていようだ。こんな時にホームセンターで何を買ったのかは解らないが、彼には何か考えがあるのだろうか?しかし、こうしている間にも彼女に何かが起こるのではないかと気が気ではなかった。もしもこれまでの御恵来会のメンバーに起きた事故が「呪いのアイテム」の力によって起こされて、その呪いの代償が持ち主であるあの社長の身に降りかかっていたのだとしたら、これからは新しい持ち主となったスケアリーがその代わりになるに違いないのだ。
しばらくするとスケアリーの車がやって来て彼の前に止まった。開けられた助手席の窓の向こうからスケアリーが納得のいかない表情でこちらを見ているのが解った。
「なんなんですの?もうやる事なんて残っていないんじゃなくて?」
車に乗り込んできたモオルダアにスケアリーが言った。
「まあ、そうなんだけど。少なくとも一つの事件は解決したようだよね」
とりあえず彼女の無事を確認して少し安心したモオルダアだった。もちろん彼は事件が解決したなどとは思っていないのだが、下手なことを言ってスケアリーを刺激してはならない。彼女を怒らせて車から追い出されるなんてことは決してあってはならないことなのだ。
「でも、ボクらはFBLのペケファイル課の捜査官として無視できない現象に遭遇したよね?」
それを聞いてスケアリーは確かにそんな現象を見た事を思い出してしまった。
「ですけれど、あの発光物体を調査するにはもっと専門的な…」
「いや、そうでもないんだよ。新聞を調べていて偶然見つけたんだけどね。あの発光物体の正体を知る方法があったんだよ。もちろん科学的な根拠もちゃんとあるし。それに、このまま帰ってボクが報告書にUFOを目撃したと書くよりは、ここで検証してから帰った方が良いでしょ?」
モオルダアにしては筋の通った説明なので、なぜかスケアリーは納得がいかなかった。もっと滅茶苦茶なエイリアンの話とかをされないと反論のしようがないからでもあるが。
「そんなことなら、あなたが一人でやれば良いんじゃございませんこと?」
「そうしても良いんだが、それだと証人がいないしね」
証人が必要などと、またしてもモオルダアらしくない発言であったが、またしてももっともな事を言うのでスケアリーはモオルダアの言うことを聞くしかなかった。スケアリーは渋々ながらもあの発光物体を見た例の入り江の近くへと車を走らせた。
モオルダアはとりあえず第一段階は上手くいったと、密かにホッとしていたのだが、いつどういう形で有り得ない事故が起きるか解ったものではない。本人は気づいていないがスケアリーは危険な状態に置かれているのだ。そして、今は自分も彼女と同じ車に乗っている。モオルダアはそう思うと自分の座った席のシートベルトがちゃんとロックされているか無意識のうちに確認してしまった。
入り江の近くのあの木の生い茂った斜面のところまで来ると二人は車を降りて社のあるところまで歩いて行った。スケアリーにこの場所まで来てもらうのにもまた一苦労であった。なにしろ今回はアウトドア・ウェアに着替える時間もないし、彼女としても一度着て汗をかいたウェアは洗わないで着る気にはなれない。それでいつものスーツのまま草だらけの斜面を登らないといけなかったのだが、これも捜査のためとモオルダアに説得されて嫌々ながらやって来た。
「それで、何がどうなっていると言うんですの?」
社の前まで来たスケアリーは「ここまで来て適当なことを言ったら承知いたしませんわよ!」という態度でモオルダアに聞いた。ただし、早いこと面倒は済ませて家路につきたいとも思ってたので、モオルダアの言うことは比較的素直に聞き入れてくれそうな感じでもあった。モオルダアとしては彼女が落ち着いているうちに上手いこと事を進めたかった。冷静に怪しまれないように。
「ボクが調べた所によると、この辺りでは発光物体の目撃が以前から頻繁に報告されているようなんだ。ボクとしたことがそれを知らなかったとはね。とにかく、ボクらが見たものは以前から何度も目撃されているんだよ。大抵は錯覚とかそういうふうに片付けられたり、あるいはこの辺りの人はそういうことにあまり興味がないのかも知れないけどね。それで全国的にその発光物体が有名になることはなかったんだけど。ある時に発光物体の事を知った大学教授がこの辺りを調査したことがあったみたいで。その時の記事をボクが見つけた、ってことなんだけど…」
「どうでも良いですけれど、早く要点を言ってくれないかしら?もう日が暮れますわよ」
モオルダアが解りやすくしようと細かく説明を始めたのだが、その辺はどうでも良かったみたいだ。
「まあ、要点を言うと。あれは人工的に作り出すことも出来るものだってことなんだけどね。それを試しにやってみよう、ということなんだけど」
「あら、そうなんですの」
いつもとは違ってモオルダアの話に反論すべきところがないので、スケアリーはちょっと肩をすかされた感じでもあった。それと同時に、あんな発光物体をどうやって人工的に発生させられるのか?という所に興味が湧いてきた。モオルダアの持っているビニール袋に入っている物はその実験に使う物なのだろうか?
買い物袋には、予想どおりさっきの待ち合わせ場所のホームセンターで買ったものが入っていた。モオルダアはその中から少し太めの針金を取り出すと、それを輪になって束ねられた状態からまっすぐに伸ばしていった。スケアリーがその様子を不思議そうに眺めているとモオルダアが説明を始めた。
「あの発光物体にはこの辺りの強力な磁場が影響していてね。天然のコイルというか、そういう感じかな。それからこの社。これが重要な要素なんだよね」
そう言いながら、モオルダアは社の方へ行って扉を開けた。古い建物に見えたが頑丈に出来ていて、扉は重々しい音を立てながら開いた。モオルダアは開いた扉を軽くたたきながら「大丈夫そうだ」を小さくつぶやいた。
「何がですの?」
「いや、なんでもないけど。とにかく、これからが大事なポイントなんだけど。ちょっとキミ、ここに立ってくれない?」
「ちょいと、あたくしを実験台にするつもりなんですの?!」
「いや、そうじゃなくて。ボクがこの役をやるとキミにいちいち指示をしなくちゃいけなくなるし。タイミングが重要な作業だからそれだと上手くいかないでしょ。早くしないと日が暮れちゃうしね」
「解りましたわ。でも危険な事なんてないんでしょうね?」
「キミの安全は、保証するよ。ただし、身につけている精密機器とか拳銃とか、そういうものはボクが預かるけどね」
「磁力の影響があるってことですの?」
「うん、まあね」
スケアリーの科学的探求心がそうさせるのか、あるいはただ早く帰りたいだけなのか、彼女は言われるままにポケットからiPhoneと車の電子鍵を出した。それから拳銃もはずしてモオルダアに渡した。モオルダアはそれらを手にするとこれで第二段階まで終了だと思った。しかし、今度はホッとしている暇はない。
「それじゃあ、キミは社の方を向いて立っていて。なるべく動かないようにね」
スケアリーは言われるままにしたのだが、なんとなく「これではマジックショーでステージにあげられた一般客みたいですわね」と思っていた。
「ねえ、モオルダア。これってホントに…」
少し不安になったスケアリーがモオルダアに何かを聞こうとした時に、思いがけないことが起こった。
スケアリーは始め何が起こったのか解らずに「ちょいと!」という言葉さえ発することが出来なかった。モオルダアが背後からスケアリーを抱きかかえると、そのまま扉の開いた社の方へと向かって行ったのである。そしてモオルダアが半ば投げ出すようにしてスケアリーを離すと彼女は社の奥の壁にぶつかりそうになった。彼女は両手を壁についてなんとか自分の体を抑えた。スケアリーはまだ何が起きているのか理解できなかったがここでやっと「ちょいと!」と言うことが出来た。それを言ったからといって混乱が収まるわけではなかった。彼女の背後ではモオルダアはすかさず社の扉を閉めると足下に置いてあった針金を拾い上げて、扉の取っ手に巻き付け始めた。観音開きの社の扉なので、両方の扉の取っ手を針金で巻いたらかなり強力なロックになるはずである。
スケアリーは扉の格子状になっている部分からモオルダアのしている事を唖然として眺めていた。そして、もう一度「ちょいと!」と言った後に自分が置かれた状況にやっと気づいた。彼女はこの狭い社に閉じ込められたのである。
「ちょいと、モオルダア!ふざけるのもいい加減になさい!」
スケアリーが言ったがモオルダアは黙って針金を取っ手に巻き付けていた。スケアリーは扉を押して開けようとしたのだが、モオルダアが巻き付けた針金によるロックと元から頑丈な作りだったために扉はびくともしなかった。
「すまないがこうするしかないんだよ」
モオルダアが言うのを聞いてスケアリーはゾッとした。それは異常な性欲に抗うことが出来なくなった男が少女を誘拐して監禁する時の台詞に思えたからである。信じたくなかったがそういう状況が目の前で起きていて、その被害者は自分なのである。
「あなた、こんなことをしてタダで済むと思っていらっしゃるの?ねえ、ちょいと、モオルダア!聞いているの?あなたがしている事は間違っていますわ。こんなことをしたって、あなたのその抑圧された欲求が満たされることはないんですのよ!解っていますでしょ!」
スケアリーはすでにパニックになっていたが、それなりに冷静に話そうとしていた。だが今のモオルダアにそれは聞こえていないも同然であった。
「キミのためでもあるんだよ。キミがあんなことをしなければ、こうする必要もなかったのに」
「ちょいと!こうする、ってなんなんですの?いったい何をしようと言うんですの?…ちょいと!モオルダア!モオルダア!」
針金を巻き終えたモオルダアは社から離れていき、スケアリーの視界から見えない場所へと消えてしまった。
「ちょいと!モオルダア!!」
スケアリーはしばらく扉を叩いていたが、静かな森の中にその音が虚しくこだまするだけだった。彼女は大声で叫びたくなる衝動を抑えるのに必死だった。もしかするとそうすれば誰かが助けてくれるかも知れないし、自分の気持ちも落ち着くかも知れないのだが、それは逆に自分をここに閉じ込めた変態モオルダアを喜ばせるだけになるとも思っていたからである。相手の自由を奪い、優越感にひたるのが変態犯罪者の第一の目的。その次には何があるのか?スケアリーはなるべく考えないようにした。
「モオルダア。なぜなんですの…。モオルダア…」
叫びたくなるのをこらえてスケアリーはそれだけをつぶやいた。それからこみ上げてくる涙もこらえなければいけなかった。辺りに静寂が訪れると同時に日が暮れ、そして社は暗闇に包まれていった。