09. 追跡
宙に浮かぶ発光物体を目の前にして何もしないわけにはいかないので、モオルダアは急いで発光物体の消えていった小山になっている森の方へと向かった。
しかし、近くまで来てみると、海沿いの急斜面になっている森の中に入る道があるのか心配になってきた。こういう場所は人が手を入れることのない場所。急斜面で家を建てることも出来ないし、木を切り出したりする場所としても狭すぎてそういう用途には向かない。恐らく森の中は「荒々しい自然の姿」という状態になっているはずだが、モオルダアの服装や靴はそういう場所に入って行くには向いていないものだった。急斜面で足を滑らせたらそのまま転落という危険さえありそうだ。
こうやって考えていたモオルダアだが、そんな心配は無用だと気付いた。小山になっている森の近くまで来ると、上の方へと続く石段があるのが解った。長い間誰も通っていないようで、下草が生い茂って石段はほとんど隠されてしまっているが、ここからならあの発光物体が消えた場所の近くに行けるかも知れない。
スーツのままこんな森に入っていくのは少し気が引けたが、あの発光物体を見てしまったからにはそこを気にしてはいられない。モオルダアは足で草をかき分けながら石段を登っていった。しばらく石段を登っているとジトッとした汗が吹き出してくる。
森とは涼しい場所であると決めつけていたモオルダアだったが、それは高原にある森だったり、風が吹き抜ける平地の森に限ったことだったようだ。この森はなんだか湿っぽくて、暑い。汗で濡れた顔に何度もクモの巣が絡まってきたり、石段の方にはみ出してきている草が首筋をなでてきたり。あまりの不快感にここに来たことを後悔し始めたモオルダアだった。石段はまだ先に長く続いている。
モオルダアは息を切らしながら10分ほど石段を登っただろうか。途中のなだらかな場所では石段ではなくて普通の山道だった場所もあったのだが、こうやって石段が小山の上に向かって続いていることからも予想できたように、先に進むとモオルダアの目の前に鳥居が現れた。
鳥居とは言っても、それはかつて鳥居だったものというか、ギリギリ鳥居の原型をとどめているような鳥居だった。このまま放置すればいつか腐って崩れ落ちるようなたたずまいだった。ここに神社があることは誰も知らないか、或いは別の場所に神社が引っ越したのかも知れない。とにかく今ではここに人がほとんどやって来ることがないのは確かなようだ。
モオルダアは鳥居のところに来て後ろを振り返った。すると目の前の木々の向こうにさっきまでいた入り江が正面に見えていた。入り江の方から見てこの場所がどの辺りなのかは良く解らなかったが、角度としてはあの発光物体が消えていった場所はこの辺りに違いなかった。ただし、発光物体は神社にお参りに来たわけではないので、ここがちょうどその場所とは考えづらいのだが。もしもここが発光物体の消えた場所だとしたら、それはそれで面白い話なのでモオルダアは少し盛り上がって来た。そして、盛り上がって来た彼がいつもするように、胸のホルスターからモデルガンを取りだして顔の横で銃口を上を向けて構えながら鳥居の奥へと入って行った。
鳥居をくぐって中に入ると、少し開けた場所の奥に神社の建物が見えた。斜面の途中にあるわずかな平らな場所に建てられた神社なので、それは人が一人入れるぐらいの大きさだった。神社というのは人が住む場所ではないので、そこに神様がいるという目印のようなものがあればそれで良いのだ。ただしそういう神社としては妙に立派な作りになっているようにも思えた。
あの発光物体と神社には何か関係があるのか?と考えてみてもモオルダアには答えが思いつかなかった。そんなことよりは発光物体の痕跡でもないかと考えてモオルダアは足下を注意深く確かめながら奥へと進んでいった。
眩しいくらいに発光していたので、熱を持っていて何かが焦げる匂いなどがしてきたりもしそうだが、そんな気配も全くない。「冷たい発光物体か…」とモオルダアは考えて、その謎めいた物体に気分が高まって行った。それと同時にいつものように危険が迫っているのではないか?とも思い始めた。
彼がUFO(あくまで未確認飛行物体という意味でのUFO)を間近に目撃したり、そういうものに乗っていそうな何かの気配を感じたりした後には必ず、ライフルを持った特殊部隊のような人達がやって来る。時にはそういう人達は目撃者を消そうとしたりもするのだが。そういうことを考えていたらモオルダアもゆっくり探索している場合ではないような気もしてきた。
とにかく発光物体の痕跡を探そうとモオルダアは小さな社の裏に回ってみたりした。迅速に、かつ慎重に。優秀な捜査官としての能力を発揮して何かを見付けるつもりになっているモオルダア。いざとなったら崖から海に飛び込むような大アクションものになるかも知れないな、とも考えていた。とにかく、ライフルを構えてやって来る連中、あるいはスーツを着てゆっくりと歩いてくるようなヤツらにも気をつけないといけない。そう考えながら、モオルダアは構えたモデルガンを持つ手に力を込めていた。社の裏からさらに奥の方に行くとまた登りの急斜面で森になっていた。
モオルダアはヤツらがいても大丈夫なように、一度モデルガンを森の方へ向けて左右を確認してから、さらにそこに何かがないかを調べ始めた。いくら調べてもそこはタダの森のようだった。「なんだ」と思った時に、モオルダアは背後から声をかけられて「ンアハッ」と変な悲鳴をあげてしまった。思わず引き金を引いてしまったモデルガンから飛び出したBB弾が木に当たってパチンという音をたてたのも聞こえたりしていた。
「また会いましたね」
またしてもモオルダアの背後に音もなく近づいて彼を驚かせたのはあの男だった。ホテルの部屋に現れて、ちょっと目を離したスキに消えてしまったあの男だった。
「ああ」
モオルダアは変な悲鳴をあげた気まずさから、中途半端な返事をしてしまった。本来ならモデルガンを突きつけて「ここで何をしているんだ?」とか聞いても良さそうなのだが。
それに、どうにもこの男のいでたちがモオルダアの調子を狂わせているようにも思えた。彼はライフルを持った特殊部隊のような格好でもなければ、小ぎれいなスーツを着ているわけでもない。モオルダアが一人で優秀な捜査官ごっこをしている時に彼の妄想の中に現れることのない格好をしているのだ。○ニクロで売っているような普通のシャツに普通のジーンズ。
本来ならこの男がなぜこんなところにいるのか?ということを気にしなければいけないのだが、いつもの調子になれないモオルダアはなんとなくこの男のペースに乗せられてしまう感じがした。
「ここに何かありましたか?」
男は穏やかな口調でモオルダアに聞いた。
「いや、特に…」
と言ったモオルダアは、自分は一体何をしているのか?という気分になっていた。今回の事件、というよりも事件かどうかも解らない事についての捜査とこの場所は何か関係があるのか。今のところほとんど関係はないのだが、こんな苦労をしてここまで来たのに、ここでこんなことに気付くとは。
「恐らく、あなたのしている事は間違っていませんよ。少なくとも午前中まではね。ただ、ここには何もなかった。そうでしょ?」
男はなぜかモオルダアの事をずっと見てきたような話し方をしている。ここでようやくモオルダアは何かがおかしいと気付いたようだ。そして、持っていたモデルガンを男の方に向けた。ただ、それがBB弾の入ったモデルガンだということはもうバレているはず。
「どうやらあなたは我々の事に興味があるようですね。でもあまり興味を持つと我々もあなたに興味を持たなくてはいけなくなりますよ」
モオルダアが言うと男がキョトンとした表情をしたので、もしかして上手く伝わらなかったか?とモオルダアは心配になった。
「あなたは一体何者なんですか?」
「だから、前にも言ったようにカミサマのような人だが。まあ、よく考えて見たら悪魔というほうが正しいかな?とも思ったんだが。どっちでも関係ない事だよ。とにかく私はキミ達にこの狂気を終わらせて欲しいんだ。残念ながら私の口からはそれしか言えないがね。それから、そのオモチャは降ろしても大丈夫だよ。私はキミを襲ったりはしないからね。それどころかキミを助けたくて仕方がないんだよ。これを終わらせられるのはキミ達しかいないような気がしてね」
モデルガンだとバレてしまってはどうしようもないので、モオルダアはモデルガンをしまった。
「あなたは何がしたいのですか?どうしてボク達を尾行したりしたんですか?」
「そんなことはしていないよ。私には解るんです。ただ解るんですよ」
「何が?」
「あなたは私に似ている。だからあなたなら私のこの状況を理解してくれるんじゃないかと思ってね」
「言っていることが良く解りませんが」
「そのうち解るよ」
どうもこの男と話していても物事は前に進みそうになかった。仕方ないのでモオルダアは話を一番最初に戻してみることにした。
「ところで、あなたこの辺りにいたのなら発光物体を目撃しませんでしたか?」
「発光物体?…さあね。全てを見渡せる場所にいるつもりでも、一歩奥に入れば周りは何も見えなくなることもある。私はずっとアッチの方にいたからね。あそこにいたらちょっとした騒動があっても気がつかないと思わないか?」
モオルダアは男が言ったアッチの方に振り返った。そしてそうした瞬間に「しまった!」と思った。ここでそうなる必要はないのだが、少女的第六感がモオルダアにそのことを伝えたのだ。
モオルダアが元の方向に向き直ると、そこには男の姿はなかった。彼は一体何者なのだろうか?