「監視」

18. ビル

 モオルダアが例のビルにやってくると、多くの警官達がいて昨日の捜査の続きをやっているようだった。梅木の家は事件の翌日には誰もいなかったのだが、こっちのビルは忙しいことになっている。あのベテラン刑事はやはりこのビルにこだわっているようだ。

 ビルの前に来るとイタオタバタ刑事がいて、モオルダアを見つけると近づいてきた。

「やあ、イタ刑事」

モオルダアがやけにスッキリした表情で刑事に挨拶した。実はさっきFBLの技術者に連絡したのは刑事の名前を調べてもらうためだったのだ。FBLからなら警察の名簿のような物にもアクセス出来るに違いないと思ってモオルダアが頼んだのだが、予想どおりFBLの技術者はすぐに調べて彼に刑事の名前を教えてくれたのだ。(名前と言うよりは、どこまでが名字でどこからが名前か、という事だが。)とにかく、まさかの展開という感じではあったが、この刑事の名前は「イタ・オタバタ」であることが解ったのだ。

「ああ、どうも。遅かったですね」

スッキリしているモオルダアに反して刑事はどこか変な様子だったが、モオルダアはその辺には気付いていない。

「ちょっと事情があってね。電車で来たから遅くなったかな」

本当はスケアリーの車をコッソリ使いたかったモオルダアだったのだが、スキヤナーが梅木の家での事件の後に余計なお世話でスケアリーの車をFBLまで運転して帰ってしまったので、モオルダアの計画は失敗に終わった。優秀な捜査官として自分の車を乗り回して捜査をするというのは彼の第一の目標でもあるのだが、バイトの給料ではなかなか難しい。

 そんなことはどうでも良いのだが、ビルの前で刑事とモオルダアが中途半端なやりとりをしていると、中からヤダナ刑事が顔を出した。

「おい、イタオ。早くしてくれないか?こっちだって忙しいんだぞ」

そう言う刑事の声がモオルダアにも聞こえてきた。というか、今「イタオ」って言ってなかったか?と思ってモオルダアはまたややこしい気分になっていた。

 FBLの技術者が言うには「イタ」が名字で間違いないということだったのだが、果たしてそれが正しいのかどうか解らなくなってきた。

「行きましょうかモオルダア捜査官」

モオルダアの頭の中でどうでも良い謎が暗い影を広げていくところだったが、刑事に言われてふと我に返るとモオルダアも彼の後に続いてビルに入った。


「いやぁ、忙しいところをわざわざ来ていただいてスイマセンなあ」

モオルダアが梅木が仕事場にしていた部屋に入るとヤダナ刑事が言った。何となく解っていたが、若い刑事がこのベテラン刑事を嫌うのももっともだとモオルダアは思った。モオルダアのような人間にとって一緒にいたくない人間というのがこういう人間なのだ。おそらくモオルダアと似たような感性の持ち主であろう若い刑事もそういう理由でこの刑事と上手くいかないに違いない。何というか、全てを自分の思いどおりに動かしたいという、そういう雰囲気が人柄から溢れ出ている感じがするのだ。

「あなたはあの家にこだわっていたようですが、やっぱりここにありましたなあ。捜査というのは理屈でやるものだね」

ヤダナ刑事が嫌みたらしく言う。

「ええ、そのようですね。それで、見つかったのは五人の女性の遺体で間違いないんですね」

「まあ、そうかな。まだ身元はわからないがね。今調べているところだよ」

「それじゃあ、梅木を殺したのは残りの一人という事になるでしょうね」

モオルダアが思いがけないことを言ったのでヤダナ刑事は少し調子が狂った様子だった。

「おいおいキミ。いくら何でもそれはないだろう。確かにここでは五人しか見つからなかったが。もう一人だって…、まあこんなことは言いたくないが、生きてるとは思えないが」

例のアルバムには全部で六人の女性の写真が貼ってあったのだ。しかし、ここで見つかったのは五人だけ。

「それは解りません。ああいう異常者の特徴から推測すると、梅木は殺すことを目的にしていたんじゃなくて、苦しめることが目的だったんです。もしかするとこことは別の場所に他の女性が監禁されていたかも知れない。ここにあった遺体の様子からすると、この壁が塗り固められたのは何年も前でしょうから、それから最近までは梅木も自分を抑えていたんだと思うんです。こうやって入り口を塞いだのも自分のした事を忘れようとしたためだとも考えられますよね」

「うーん、まあそうかも知れんがな」

「それが最近になってまた異常な衝動に駆られて女性を監禁し始めたとか。あるいはFBLの捜査官という特別な立場の女性を目の前にして梅木の中で何かが起こったとも考えられますが。でも少なくともあと一人見つかっていない被害者はいるはずなんです」

スケアリーがいないのでモオルダアの妄想のような推理がどんどん捗るようだ。刑事はどこに反論して良いのか解らない様子で若い刑事の方を見た。

「キミ、まさか変な事をモオルダア捜査官に吹き込んでないだろうね?」

モオルダアの話を聞きながら考え込んでいた若い刑事は急に聞かれて「いや」としか答えられなかった。

「イタx 刑事は何も言ってませんよ。イタx 刑事は良くやってくれてます」

モオルダアは若い刑事をかばったのだが、どこまでが名字か自信がなくなったのでイタの後に音にならない変な空白を入れている。

「そうか、それなら良いんだがね。それでキミはもう一人がどこにいると思ってるんだ?それに、まさかその女性が梅木を殺した犯人だと言うのかね?」

「今はまだ解りませんが、やっぱりあの家を調べるべきかと思うんです」

「キミも懲りないな。あれだけ調べて何も無かったんだぞ」

「そうなんですが…」

ここはモオルダアの直感、あるいは少女的第六感による部分なのであの家にこだわる理由は明白にはわからないようだ。

「まあ、それなら好きにやれば良いがな。おい、イタオタ。キミもちゃんと手伝うんだぞ」

若い刑事は「ああ、はい」と答えた。それよりも、今度は「イタオ」ではなくて「イタオタ」と呼んだのだが。もしかするとヤダナ刑事はイタオタバタという変な名前をネタにして色んな呼び方をしているだけなのかも知れない。モオルダアはもう一度FBLの技術者に名前を確認してもらうべきだと密かに思っていた。

 モオルダアがそんなことを考えている時にイタオタバタは事件当日の梅木の家のことを思い出していた。特に、ほとんど死にそうに弱っていた犬が警官に襲いかかったあの時の事を。あの犬はあの場所でずっと人間への復讐のチャンスをうかがっていたに違いない。あの時のあの犬の勢いは今にも死にそうな犬のものとは思えなかった。何か特別な力が宿ったようにも思えた。

 復讐の心。それがあの犬に力を与えたのだろうか?だとすると、それはもしかすると梅木に痛めつけられた女性にも同じ事が言えるのかも知れない。何かが起きて被害者が監禁から逃れることが出来たら、おそらく躊躇無く梅木を殺すだろう。そこには何か人知を越えた力が存在していたかも知れない。

 モオルダアが若い刑事の名前を気にしている間に、若い刑事の方はモオルダアのような考えを頭の中に巡らせていた。