25. 埼玉の人形工房
「オホホホホホホ!」
キネツキの突然の高笑いにイタ刑事はさらに驚いてしまった。その前にモオルダアが、キネツキに代わって人形が梅木を殺したなどと言うので、それでなくても驚いていたのだが。
「あなたならもう少しまともな事を言うのかと思いましたよ」
キネツキはモオルダアに向かって言った。
「私の人形が呪いの人形だとでも言うのかしら?」
キネツキは口を横に広げて笑っているように見せかけているが、目は少しも笑っていなかった。
「少なくともそう思っている人は何人かいるようですが。もしかして、梅木も最後はそう思ったんじゃないかと」
「あなたは私の人形を持ち帰ったりするものですから、もう少し解っているのかと思いましたよ」
モオルダアとキネツキのやりとりを聞いてイタ刑事はまた驚くことになる。
「ちょっと待ってくださいよ。なんであなたはモオルダア捜査官が人形を持ち帰った事を知ってるんですか?」
「だって…。今ケータイの写真で見せてくれましたから」
「はあ…。まあそうですか」
イタ刑事は納得したようなしないような返事である。
「それだけじゃないと思いますよ。キネツキさん。あなたの人形には何かがあるんじゃないですか?」
モオルダアが言うとキネツキはモオルダアの事をじっと見つめた。美女に見つめられてドキドキしそうになってしまったモオルダアであったが、今はそんなところでときめいている場合ではない。モオルダアもまっすぐキネツキを見ている。
「あなたになら話ても良いかもしれませんね。でもこちらの刑事さんは信じてくれないでしょう。出来れば席を外していただけると良いのですが」
「信じるか信じないかは聞いてみないと解らないでしょう」
イタ刑事はさっきから変な話の連続ですでに信じられないことばかりではあるのだが、この先さらにどんな話になるのか気になってもいる。それに、立場的にはFBLの監視役でもあるので二人の話を聞かずにいるのは後々問題になるかも知れないのである。
「途中で口を挟まないでくれるのならここにいても良いんじゃないですか?」
モオルダアが言うとキネツキは頷いた。そしてしばらく黙ったまま自分の気持ちが落ち着くのを待ってから話し始めた。
「そう。あの人形は特別なものでした。私がまだ見習いだった頃に作ったものですけど。妹のヨシツキがこの家を出て行くことになったので彼女にあげたんです。両親には反対されていましたけど、私としては彼女が好きな人と一緒になれるのなら喜ばしいことだと思って、その記念にプレゼントしたんです」
ここまでは普通の話である、とモオルダアもイタ刑事も思っていた。ただ「特別」なのはそれだけではないだろう。
「人形には作った人の心が宿るなんて言いますけれど、あれは違うかも知れませんね。実際に私の思いは伝わらなかったようで、妹は幸せにはなれなかった。でも、もしかすると人形に持ち主の思いが宿ることがあるのかも知れません。それというのも、あることが起きるようになったからなのですが…」
キネツキはこの先を続ける前にモオルダアとイタ刑事の顔色を窺うようにしながら一度口を閉じた。二人ともまだ真剣な顔で先を聞こうと黙っている。
「あれは、妹から梅木と別れるという手紙が届いた数日後でした。私は妙な幻覚を見るようになったのです。それは幻覚と言っていいのか解りません。ある時にそれは目の前で起きている事のようにハッキリとしていて、またある時には心の中に想像したボンヤリとした映像のように見えることもありました。そこには梅木の姿も見えたりしました。そして、それが梅木の家の中の風景であることが次第に解ってきたのです。例の手紙をもらった後でしたから、きっと妹が心配でそんな幻覚のようなものを見るのだろうと思っていました。だけど、ある時ふと気がついたのです。私はあのケースの中からその風景を見ているのだと言うことを」
そう言うとキネツキは工房の片隅に置いてある人形を入れるガラスケースを指さした。
「私の見る幻覚にはいつも片隅に縦に細い線が見えていたのです。それがあのガラスケースの角の部分だと言うことに気付くのに時間はかかりませんでした。何しろ仕事で毎日見ているものですからね。あの中から外を見るとどんなふうに見えるのかぐらいは想像が出来ます」
イタ刑事はそろそろ話を止めて何かを言いたかったのだが、何も言わないという約束なのでこらえて黙っていなければならない。
「つまり、その幻覚というのは…」
モオルダアも黙って聞いているのに限界を感じたようで、思わず聞いた。
「あの人形なんです。私はあの人形の見ているものが見えるようになったのです」
「そこにヨシツキさんの姿はありましたか?」
「いいえ。彼女の姿が見えたことは一度もありませんでした。私が人形に持ち主の心が宿ると言ったのはそこなんです。こういう言い方はしたくないですが、妹は死んでいて、それで魂が人形に乗り移ったのではないかと思うんです」
「その幻覚が見え始めた時にそこには気がつかなかったのですか?もしそう思えてたら、もっと早くに警察に捜索願が出せたかも知れない」
「言うだけなら簡単です」
キネツキはモオルダアに冷たい視線を送った。
「ある日突然幻覚が見え始めて、それがそんな心霊現象みたいなものだなんて、普通なら思いませんよ」
「でも、今はそう思っているんですよね?」
「ええ、そうです。本当のことを言うと、あなたがここに来るまでは半信半疑だったのです。だけど今は少し気が楽になりました。あれから長いこと私は苦しみました」
ここでキネツキはうつむくと言葉を詰まらせた。しかし、ここまで話した以上はここでやめるワケにはいかないと思って先を続けた。
「私は梅木が何をしていたのか、ずっと見ていたんです。あいつは他の女を家に連れてくるようになりました。そして、その女に何をしたのか…。あいつがどんなことをしたのか、警察では解っているんでしょ?」
「ええ、まあ。ただ推測にすぎないのですが」
イタ刑事が答えた。でもその推測はだいたい事実に違いない推測である。梅木があの家で女性を襲い、そして監禁して痛めつけた。その様子をキネツキは人形の目を通してずっと見ていたというのだ。
「あれが現実に起きている事だと知っていれば、もっと多くの人が助かったのかも知れない。でも私の見た幻覚のようなものを警察が信じるはずがありませんから。私は精神科に世話になったり、最後にはアルコールに頼るようになりました。お酒を飲んで酔っていると、あの光景は見えないんです。だから病院でもらう薬で良くならないと解ってからは、ずっとお酒に頼りっぱなしで…。私は内臓をやられて何度か死にそうになっていたんですよ。恥ずかしい話ですね。でも死なずに生きていられたのは何か意味があるのかも知れないとも思います。だって、病院に入院していた時には幻覚は見えなくなっていたのですからね」
キネツキが辛そうに話しているので、聞いているモオルダアも暗い気分になってくるが、聞くべき事は聞かないといけない。
「それで、あなたが入院していたというのはいつ頃でしたか?」
「あれは五年ほど前でしょうか。それが何か?」
「いや、その時に梅木はあの家にいなかったようなんです。だから何も見えなくなったのかも知れませんね」
「そうですか。じゃあ、意味なんてなかったんですね」
そんなことを言われると困ってしまうが、事実は事実である。
「でも、もしかすると梅木があの家を出て行ったのには理由があるのかも知れませんよ。私は何度か梅木が何かに怯えているようにしているのを見たことがあるのです。それが何なのか良く解りませんでしたが。その時は私もだいぶアルコールに侵されていたようで」
「あのビルに被害者達を生き埋め状態にしたのも、もしかするとその頃なのかなあ」
モオルダアが何となくつぶやいた。
「しかし、梅木は何を見て怯えてたんですかね?」
モオルダアの言うことになら何か言っても良いだろう、ということでイタ刑事が聞いた。
「大事な獲物を放棄して、さらには家からも逃げ出したくなるような何かを恐れていた、ということだけど。きっと最終的に彼を殺した何かだったんじゃないかと思うんだが」
「その前に、どうして梅木は女性を襲うのをやめたんですかね?」
さっきまで黙っていなければいけなかったイタ刑事は色々と質問だらけなのだが、何をどう聞いて良いのか解らないような状態でもあった。
「だって、そういうのって簡単にやめられるようなもんじゃないでしょ?」
「それはどうかな。最近では性犯罪者の更生については研究も進んでいるしね。上手くいけばまともになれるかも知れないんだが。ただ梅木の場合は治療をしたワケじゃないし。何かを恐れてしばらくは欲求を抑えることが出来たけど何かのきっかけでまた女性を襲い始めたんじゃないかな。その最初の被害者がスケアリーだったのかも知れないけど。ただし、今回は最初の被害者を襲った時に梅木が殺されてしまった」
モオルダアは言いながらキネツキの方を見たが、彼女は無表情でうつむいたままその話を聞いていた。
「もしかして、あなたは入院してからつい最近までその幻覚は見ていなかったんじゃないですか?」
モオルダアに聞かれてキネツキは少し驚いたように顔を上げた。
「さあ、どうかしらね。こう言って解ってもらえるかどうが解りませんが、幻覚なんてものは見慣れてしまうと、それが無意識に見ているのものなのか、自分の想像なのか解らなくなるんですよ。でも、事件の日には確かに見た気がするんです。それまでは見ないで済んでいた恐ろしい光景を」
「それじゃあスケアリー捜査官が襲われたところも見たんですか?」
イタ刑事はそろそろ盛り上がってきて勝手に質問をし始めている。
「あなた、何も言わない約束じゃありませんでしたか?」
「あっ、これはスイマセン」
「でも、あの日私は何かを見たことは確かです。ここで人形を作っていても頭の中ではあの家で人形の見ている事が見えている。でもその捜査官が襲われたところは見ていないのです。私が見た時にその捜査官はすでに倒れていました。そして部屋に誰かが入ってきて、その人影が視界の前を横切るとしばらくするとあの部屋では何も動かなくなりました」
「それは少し変ですね」
これまで黙って聞いていたモオルダアだったが、ここで何故か疑いを持ち始めたようだった。
「どうも話が上手くできすぎじゃありませんか?それに、そういう話はニュースや新聞の記事からでも想像することが出来ますし」
モオルダアが言うとキネツキは不快感をあらわにして彼を睨み付けた。
「あなた、これだけ私に話させておいて、今更嘘だと言うんですか?」
「いや、全部が嘘だとは言っていませんよ。ただ、どこか納得が行かないような気がするだけです」
「それよりも、人形の見ているものが見える、ってのが…。あっ、スイマセン。私はこういうことを言うから黙ってないといけないんでしたね」
マズい展開になってきたところでイタ刑事が仲裁に入ったつもりがさらにマズいことになってしまったようだった。