「監視」

32. ビル

 モオルダアとイタ刑事は意識を失ったまま立っているキネツキを見守っていた。すると、彼女の鼻の穴と口の辺りから白い湯気のような物がユラユラとしながら出てくるのが解った。ヤカンから沸騰を始める直前の水の湯気が出てくるように、静かに出てきた物体はキネツキの口の前に白くうごめいている。

「エクトプラズム…」

モオルダアがつぶやいた。イタ刑事はモオルダアの方を見たが、彼の言ったそれが何なのか良く解っていなかった。

「キミ、さっき彼女を触らなくて良かったよ。エクトプラズムを出している人に衝撃を与えると命の危険があるっていうし…」

モオルダアは自分で言っていることが正しいのかどうか確信はなかったのだが、彼が見ている物はこれまでに聞いたり写真で見たりしたエクトプラズムそのものという感じだったのだ。霊を物質化したものといわれているエクトプラズムを彼は目の前に見ていると、そう思っていた。

 そうしているうちにキネツキの顔の前にあった白いモヤモヤした塊は次第に彼女の顔全体を覆うように広がっていき、そして彼女の顔の外側に膜のようになっていった。

「なんですか、これ?」

イタ刑事はまたモオルダアに聞いたが、さっきも言っていたようにモオルダアはこれを「エクトプラズム」と言っていたし、そういうものなのだと思うしかなかった。モオルダアは目の前で起きていることに夢中でその質問は耳に届いていないという感じだったが。

 モオルダアもイタ刑事もなにも出来ないでだたその様子を見守っていたのだが、彼らが全く気付かないうちに、キネツキの顔の周りを覆っていたモヤモヤした膜は人の顔の形になっていた。その煙のような物によって作られた顔の形の向こうに未だに白目をむいたままのキネツキの顔が透かして見えている。

「これは一体…?」

イタ刑事はさっきから質問ばかりだが、モオルダアにはそれに答えるだけの知識はない。ただ目の前でスゴいことが起きているのは確かである。驚きのあまりその事実にも気付かずにただ目の前の光景を見つめるしかない二人でもあったが。

 するとその時に顔のような形になった白い物体の口の辺りが動き始めた。それが煙のような物であるために、ただ揺らいでそこが動いているように見えるだけかとも思ったのだが、よく見ると確かに口の部分だけを動かそうと何かの力が働いているように見える。そして、口が動いているということは、それは何かを語りかけたいに違いない。

「誰か止めて…」

誰かがそう言ったような気がした。果たしてそれが人の声だったか解らないがモオルダアとイタ刑事は二人ともその言葉を聞いたような気がした。

「誰か姉さんを止めて」

もう一度聞こえてきた。それは口に薄い紙を押しつけながら喋った時のようなザラザラしたノイズの混じった声だった。そして、それはキネツキの顔の周りに出来た顔の口が動く度に聞こえて来る。間違いなく、そのモヤモヤしたものが喋っているのだ。

「あなたはヨシツキさんですね?」

そう聞いたモオルダアの額には驚きと多少の恐怖から汗がにじんでいた。

「もう人を殺したくない」

モオルダアの質問の答えにはなっていないが、その声がそう言った。

「私はここから出たいだけ」

「あなたはどこにいるんですか?」

「暗い…冷たい…」

今度は多少質問の答えになっているようだ。しかし、それだけでは何のことだか良く解らない。

「私は出してもらいたいだけなのに…姉さんは人を殺す」

「モオルダアさん、これ何なんですか?」

モオルダア同様に額に汗をかいているイタ刑事が聞いた。何か?といわれても答えづらいのだが、これは恐らくヨシツキの霊がキネツキの体から現れたエクトプラズムを介してモオルダア達にメッセージを送っているのだ。

「あなたを苦しめたものは皆死ぬのよ」

今度は生々しい人間の声が聞こえてきて二人はギョッとしてしまった。それはモヤモヤしたものの中からしたキネツキの声だった。彼女はまだ白目をむいて意識がないように見えるのだが、その状態のまま喋っている。

「人を苦しめたものはみんな死ぬ」

キネツキが誰に向かってこういっているのか良く解らなかったが、それはエクトプラズムとなって現れたヨシツキに向かって言っている言葉には思えなかった。

「イタ刑事。いま警察署にいる人に連絡は取れる?」

「ええ、まあ」

「恐らくヤダナ刑事は今襲われているんだと思うんだけど」

「エェ?!」

「でもその前に聞くべき事は聞かないといけないから、ボクが合図したらヤダナ刑事を助けに行くように伝えて欲しいんだよ」

イタ刑事には何のことだかさっぱりだったが、とりあえず警察署にいる同僚に電話をかけた。そしてその同僚の言うことによると、ヤダナ刑事はいま一人で証拠品を調べている、ということだった。モオルダアに言われたとおり、イタ刑事は同僚にまだ何もするなと指示した。

「ヨシツキさん。あなたの居所を教えてください」

モオルダアが目の前のモヤモヤした顔に向かって語りかける。その顔が何かを語ろうとした時にまたその奥のキネツキの声がした。

「殺せ。早く殺せ」

今度はヨシツキに向かって命令しているような口調である。それをヨシツキが拒んでいるということなのか。モヤモヤした顔は時々その形を崩して煙のような状態になったりしていた。そして、しばらくしてまた元の顔のような形に戻った。

「姉さんは知っているの。…人形が全部見ていた。私が見つかればもう人は殺せない」

「殺せ!殺せ!」

ヨシツキが言うのを遮るようにしてキネツキが激しい口調で言った。するとまたモヤモヤした顔は崩れて煙のようになってしまった。そしてその煙も薄くなって次第にその中のキネツキの顔がハッキリしてきた。

「イタ刑事、もうだめだ。頼む」

モオルダアがそう言うとイタ刑事が電話の向こうの刑事にヤダナ刑事を助けるように言った。

33. 警察署

 警察署ではイタ刑事から連絡を受けた刑事がヤダナ刑事のいる部屋の前で指示を待っていた。一体何が起きているのか?と聞いてもイタ刑事は後で説明するから、としか言わないのでこの刑事はもしかしてイタズラなのかも知れない、と勘ぐっていたりもした。

 刑事は扉を開けたい欲求に駆られていたのだが、イタ刑事の口調が真剣だったために、もしも何か問題が起きたらマズいと思って電話を持ちながら外で待っていた。中からは特に物音も聞こえてこないし、ホントにヤダナ刑事がいるのかすら怪しかった。

 するとそこへイタ刑事から中へ入るようにと指示があった。中に入りたくてウズウズしていたというのもあるが、イタ刑事の焦った口調に合わせるようにしてその刑事は慌てて扉を開けた。

 刑事が中へ入ると中にいたヤダナ刑事が「ウワァッ!」と大きな声を上げた。入ってきた刑事もその声に少し驚いたが、そこはさすがに刑事なので冷静になってまずは中の様子を確認した。部屋にはヤダナ刑事しかいない。彼は腰が抜けたような感じでだらしなく椅子に埋もれるように座っている。そして呆然として斜め上の天井の方を眺めていた。

「ヤダナさん、大丈夫ですか?」

刑事に声をかけられてヤダナ刑事はハッと我に返ったように彼の方を見た。

「女は?あの女はどこに行った?」

「女、ってだれですか?」

「犯人だよ。あの女が自分で言ったんだ。もう少しで私も殺されるところだったがな。まだ遠くには逃げてないはずだ」

「逃げるも何も、ここからは誰も出てきませんでしたよ」

「なんだって?!」

ヤダナ刑事は少しふらつきながら立ち上がった。そしてなにやら首元を気にしているようだったが、彼の首には締められたような跡が赤く残っている。部屋を見渡しても窓はなく人が出入り出来るのはさっき刑事が入ってきた扉だけである。

「じゃあ、あれは何だって言うんだ?」

ヤダナ刑事が言ったがそれは誰にも解らない。

「イタ刑事が説明してくれるかも知れませんけど」

「あいつが?」

頭の中は混乱しきっていたが、死の恐怖からは解放されたヤダナ刑事はポケットからハンカチを取り出してしきりに汗をぬぐっている。