「監視」

06. 家

 全く何なんですの?!と思いながら、スケアリーはモオルダアをFBLビルディングに残して一人で車を運転していた。向かっているのは梅木の家のある例の路地のあの街である。この事件は始めモオルダアのような人間が興味を持つ内容だと思っていたスケアリーだったが、今ではモオルダアの意見を尊重しようとしたのがいけなかった、と思っている。

 あの手紙にあった怪談話に気をとられたからいけなかったんですのね。でもオモシロ半分で書かれたかも知れないあの手紙のおかげで、あたくしが一人の男性を救う事が出来るかも知れないんですのよ。あれは科学的に、そして理論的に考えて対処すれば自ずと解決策の見えてくる、実は簡単な事件なのかも知れませんわ。ですから、もうモオルダアの意見なんか必要ありませんのよ。あたくしが能力を発揮して解決してみますわ。

 スケアリーはそう考えながら例の街までやってくると、前に来たのと同じコインパーキングに車を止めて梅木の家に向かった。また道に迷ったのだが、さっきよりは早く家まで辿り着く事が出来た。

 スケアリーはもう一度彼女の視点で事件を確認したくてここへやって来たのだ。今度はややこしい超常現象は抜きにして梅木から話を聞いて、そして何が問題なのかを見極めるつもりなのだ。人形が置いてあったのが、もしも誰かの嫌がらせだとしたら何かの事件に発展する恐れもあるので、それは放って置くわけにはいかない事でもある。

 スケアリーは車から降りて少し慌ててここまでやって来たのだが、梅木の家の前まで来ると少し落ち着かなくなっていた。そしておもむろにポケットからスマホを取り出すと、その何も映し出されていない真っ黒い画面を鏡代わりにして自分の顔を映してみた。そこにはいつも彼女が鏡で見ている自分の顔が映っている。その顔を見ながら彼女は前髪を少し整えてみたりしながら「あたくし何をしているのかしら?」と思ってスマホをしまうと梅木の家の前の怪しい増築部分を通って玄関の方へ向かった。

 呼び鈴のボタンを押したが中からは誰も出てこなかった。「お留守かしら?」と思ったスケアリーだったが、来る前に連絡を入れてから来るべきでしたわ、と少し後悔していた。モオルダアの態度に腹が立っていたので、いきなりここへやって来てしまったのだが、それは少し思慮に欠ける行動であった。

 この扉から出てくるはずだった梅木の素敵な笑顔を思い出してから、スケアリーはまた「あたくし何をしているのかしら?」と思って少しウンザリした表情になっていた。そして、少し間を空けて引き返そうとした時、どこからかくぐもった人の声のような音が聞こえてスケアリーは思わず立ち止まった。しばらく何の音かと考えていたのだが、それはこの家の増築された部屋の中から聞こえてきた気がした。

 しかし、それは人間の声だったのかどうかは定かではなかった。人間の声だとしても、それは言葉を喋ったのではないのは解っていた。風などで何かが擦れあって軋んだ時に出るような少し高い音だったのだが、人間の声でないとしたら本当に風の仕業ということになる。

 スケアリーが音がしたと思われるベニヤ板の部屋の方を何となく眺めていると、また同じような音が聞こえてきた。言葉では無いが、それは確かに誰かが出している声のようだった。声と言うよりは苦しみに耐えきれずに漏らした呻き声のように聞こえる。

「ちょいと、誰かいますの?」

スケアリーはベニヤ板で作られた部屋の向こうに向かって聞いてみた。しばらく待つとまた同じ音が聞こえてくる。そして、聞く度にそれは確かに誰かの呻き声に聞こえて来る。

 スケアリーは増築された玄関と門の間に設けられた空洞のところにいるのだが、目の前のベニヤ板をよく見ると、それは片側に蝶番がついていて扉になっているのが解った。押してみるとそれは幽かに軋みながら内側に向かって開いた。

「どなたかいらっしゃいませんの?」

スケアリーは少し大きめの声で奥に向かって言った。そこからは何も返事は帰ってこない。この増築された部屋のような場所には壁に沿って背の低い棚が置いてあって、そこにいくつか細かいガラクタが置かれていたりする。元々が玄関の前から家の裏へと回るための細長いスペースでもあるのだが、そこに壁と屋根を付けたその部屋の見た目は廊下のような感じだった。

 スケアリーは念のために銃を取り出すと銃口を上に向けた状態で構えながら奥へと進んでいった。

「FBLですのよ。あたくしは武装していますわ。誰かいたら静かに手を上げて出てきてくださいませんこと?」

そう言いながら進んでいくと、最初の角に来た。前に書いたようにそれほど広い家ではないので、ここまでは数歩歩いただけだったが。角まで着くとスケアリーは壁に肩を当てた体勢から、ゆっくり頭を前に倒してその向こうをのぞいてみた。その角の向こうは同じような感じで廊下のようになっていたが、そのすぐ先にまた扉があってそこはまた別の部屋になっているようだった。

 ここは一体何をする場所なのかしら?とスケアリーが思いながらまたゆっくり進んでいった。するとその時、またあの呻き声のような音が聞こえてきた。さっきよりも大きく聞こえたその音は、確かにこの扉の向こうから聞こえて来る。そしてそれは耳に刺さるような悲痛な叫びにも聞こえる。「これはきっと何かありますわ!」と思ったスケアリーが慎重に次の扉へと向かった。


 それとほぼ同じ頃、どこかへ出かけていた梅木が自分の家に帰ってきたところだった。いつもならそのまま門を通って玄関の鍵を開けて家に入っていくのだろうが、今日は何かが違う。それが何なのか梅木にはすぐに解った。門を入ると左側のベニヤ板の扉が開いていたのだ。梅木はハッとして青ざめると開いた扉の向こうを静かに覗いてみた。スケアリーはすでに角を曲がった後のようでそこには誰もいなかった。

 梅木が一度玄関の方へ向かって、そこで手に取ったのはあの傘立てに立てられていたゴルフクラブである。そして、梅木が音を立てないように慎重にベニヤ板の扉から中に入ると、クラブのヘッドの部分を上にした状態で、いつでも振り回せるように構えながら忍び足で先に進んだ。


 梅木が向かう先ではスケアリーが第二の扉の前でどうすべきか考えていた。二つ目の扉には鍵がかかっているようで簡単には開かなかった。しかし、この手作りした感じの扉ならスケアリーの力でも何かの道具があればこじ開ける事が出来そうだ。ただ、もしもそこに何もなかったとなると、それはスケアリーの大失態でもある。でも先ほどから聞こえてくる音が苦痛にもだえ苦しむ誰かの悲鳴だとすると…。スケアリーが決断できずに頭の中で色んな思いをグルグルさせていたその時である。

「誰だ!」

突然後ろから怒鳴られたスケアリーは慌てて振り向くと持っていた銃の銃口を声のした方へ向けた。そこにはゴルフクラブを上段に構えて今にも襲ってきそうな梅木が、顔だけ驚いた様子で立っていた。

 スケアリーは声に驚いた後に振り返って、そこに梅木がいたことにさらに驚いてから構えていた銃を咄嗟に上に向けて撃つ気は無い事を示した。梅木はその動作を見るよりも、スケアリーのビックリしたような、恥ずかしいような、何とも言えない表情に何となく状況がつかめそうな感じがして、ゴルフクラブを構えていた手を下ろした。

「スケアリーさん。一体ここで何を?」

侵入者と格闘する事になるかも知れなかった梅木の声はまだ緊張のためかどこかぎこちない感じがした。

「あの、梅木様。勝手に入り込んでしまって本当に申し訳ありませんわ。でも、FBLの捜査官としての義務って言うのもありますでしょ。…あらいやだ、なんだか上手く説明できていませんわね」

スケアリーはスケアリーでどことなく舞い上がっている感じだったので、一度心の中で深呼吸をした気になってやり直した。

「あたくし、今回の事件の事でもう一度話が聞きたいと思ってここへやって来たんですの。ですけれど、誰も家にいないようなので帰ろうとしたのですが、その時にこの奥から何か物音が聞こえて…。それが、なにか悲鳴のように聞こえたものですから、もしもの事を考えて勝手に入らせてもらいましたのよ。それで聞きたいのですけれど、この中には一体何があるんですの?」

スケアリーも少しは平常心を取り戻してきたようだった。

「ああ、そうだったのですか」

梅木はすっかり落ち着いているようで、また前のように感じの良い紳士の話し方になっていた。

「実は、そこ犬小屋なんですよ。でも、ちょっとやっかいな病気にかかっていて、かなり弱っているんですけど。時々苦しそうに鳴くんですよ。それをスケアリーさんが聞いたのだと思いますけど。あれは本当にやりきれなくなります。苦しんでいるのに私には何も出来ない…」

次第に声が小さくなる梅木に対してスケアリーは自分のした事をすまないと思っていた。

「あの、申し訳ありませんわ。ワンちゃん元気になると良いですわね…」

「ええ。ありがとうございます。あの、ここで物音を立てると犬にも良くないですし、向こうに行きませんか」

「ええ、そうですわね」

スケアリーは梅木の後についてベニヤ板で囲まれた廊下を抜けて玄関の方へやって来た。そこで梅木が振り返ってスケアリーに聞いた。

「あの、喉渇きませんか?」

彼は例の良い感じの紳士のような表情をスケアリーに向けた。

「私はさっき、てっきり泥棒がいるもんだと思っていたもんで。緊張して喉がカラカラなんですよ。あなたもそうじゃないかと思うんですけど。良かったら中に入ってレモネードでも飲んでいきませんか?自家製なんですよ」

「あら、レモネードですの?」

本来なら事件に関わっている人物からのそんな誘いには乗らないのだが、今回は事件に関係があると言っても被害者のような感じでもあり、多少は許されるのでは?と思ったスケアリーだったので、中に入ってレモネードをごちそうになる事にしたようだ。