「監視」

08. 梅木の家

 梅木の家ではレモネードを飲みながらスケアリーが梅木に今回の人形騒動に関していくつか話を聞いたところだった。しかし、その話から誰かがイタズラで人形を家に持ち込んだということは考えようがない。それに「こんなに良い人なのに、誰かから嫌がらせされるなんて考えられませんわね」とスケアリーは梅木を見つめながら思っていた。

「お仕事の方はどうなんですの?ブリーダーって大変じゃございませんの?」

「ええ、確かに大変な仕事なんです。ペットの好きな人には楽しい仕事に思えるかも知れませんけどね。生き物が相手だとそう簡単にはいきませんよ。それに、最近では売り上げ重視で、犬の事を考えない業者が多いんですよ」

「でもあなたは違うんでございましょ?」

「ええ、そうです」

「でも、そういうやり方に賛同できない方がいるとか、考えられませんこと?そういう人が、もしかすると嫌がらせをしようとか」

「そんなことはありませんよ。ボクらはみんな犬の事を第一に考えているんです。そういうブリーダーが集まって始めた仕事ですからね。それに、飼育の方法や運営についてもみんなで意見を出し合うようにしていますからね。本音で意見をぶつけ合えば対立する事もありますが、そうする事によって逆に信頼関係が生まれますしね。何事もそうなんですよ。全ては愛から始まっているんです。犬たちへの、そして生き物たちへの愛から」

スケアリーは梅木が彼女を見つめながら熱く語るのに聞き入ってしまいそうだった。

「羨ましいですわね。そんなに愛されて育てられる犬たちって」

「でも、時には思いどおりにならない事もあります…」

梅木はあの外の部屋で苦しんでいる病気の犬を思い出したのか、一瞬表情が曇った。スケアリーも彼にイヤな事を思い出させてしまったと思って、すまなそうな顔をしたのだが、それに梅木が気づいたのか、すぐに顔を上げて元の表情にもどった。

「あの、ボクのコレクション見ますか?」

さっきの悲しそうな表情の反動なのか、ミョーに明るい声で梅木が言った。それは少し違和感を感じさせるような変化でもあったが、スケアリーとしては彼が努めて明るくしているのだと思うことにした。

「コレクション、って何なんですの?」

スケアリーは少し驚いたように顔を上げて梅木の目を見つめた。

「ああ、コレクションって言い方は良くないかも知れませんが。ボクがこれまで育ててきた犬たちですよ。生まれてしばらくするとペットショップなんかに引き取られていってしまうんですけど、そのままだと寂しいから、写真を撮ってあるんですよ。カワイイですよ」

「あら、素敵!あたくしも犬は大好きなんですのよ」

スケアリーは犬が「大好き」というほどではないのだが、この際だから大好きということになってしまったようだ。梅木は例の素敵な笑顔をスケアリーに向けてからアルバムを取りに行った。

 梅木が出て行った部屋の扉の方を見ながらスケアリーはまた「あたくし何をしているのかしら?」と思っていた。しかし、そんな疑問はすぐに消えていく。そしてそこには「たまにはこんなこともあって良いんじゃないかしら?」というある種の肯定的な疑問が生まれた。その自問への答えはイエスに違いない。

 もう何年もあの薄暗いFBLの部屋に出勤して、モオルダアみたいな変態と一緒に仕事をして、あたくしはすっかり変わってしまったに違いありませんもの。でも、これはそういうあたくしへのささやかなプレゼント…。いいえ、これはもしかすると運命かも知れませんわね。

 素敵な梅木と楽しい会話で盛り上がってきたスケアリー。梅木が戻ってくる前にまたスマホの真っ黒い画面に自分を映して前髪を直したりしていた。「あたくしったら…」と思ってスケアリーはニヤニヤしそうになっていた。


 梅木がアルバムを持って戻ってくるとそれをスケアリーの前に置いた。

「レモネード、もう一杯持ってきますね」

「あら、良いんですのよ。あんまり気を遣わないでくださいな」

「いやいや。せっかく来ていただいたんだから。持ってくるまでアルバム見ていてください」

そう言うと今度はスケアリーの背後にある扉から台所の方へ向かったようだった。

 スケアリーは自分の背後から梅木の気配がなくなると、自分の前に置いてあるアルバムを手に取ってそれを開いて写真を見た。そして「おや?!何かしら?」を思ったその時だった。

 スケアリーの背中から首筋にかけて激痛が走ったかと思うと、目の前が真っ白になり彼女は意識を失った。そして、椅子から崩れるようにして床に倒れ込んだ。

 スケアリーの倒れている後ろでは梅木が大きなスタンガンを持って立っていた。さっきまでのにこやかな素敵な表情は消え、無表情で冷たい目を横たわるスケアリーに向けている。

「あなたにもコレクションに加わってもらいますね」

梅木はついにその本性を現したのだ。誰もが良い人だと思って疑わないその「素敵な笑顔」裏には冷酷な悪魔が隠れていたのだった。

 彼は気絶したスケアリーの横にひざまずいて、横向きに倒れている彼女をうつぶせの状態にした。そして、彼女の腰に装着してあるホルスターから銃を抜き出して机の上に置いた。それから用意してあったロープを手にとって、反対の手で彼女の手を掴んだ。ここまでは梅木の計画どおりだったに違いない。しかし、その時玄関の方で何かの物音がして梅木はハッとして明らかにイラついた態度を見せると立ち上がって玄関の方へ歩いて行った。

 玄関で何が起きたのか解らないが、梅木がいない間にスケアリーはボンヤリと意識を取り戻した。あまりにも突然の出来事だったことに加えて、スタンガンのショックもあり朦朧としていたスケアリーだったが、自分が何か危険な状態にあることはすぐに解った。

 スケアリーは立ち上がるとポケットからスマホを取りだしてモオルダアに電話をかけて彼の出るのを待った。だが呼び出し音が鳴り出すかどうかというところで梅木が戻ってきて勢いよく部屋の扉を開けた。携帯を耳に当てたままスケアリーが振り返ると梅木と目があった。その瞬間、梅木の恐ろしく冷たい目に睨まれてスケアリーはすくんでしまった。それは恐ろしい悪魔の目、そんな感じだったに違いない。梅木に話しかけて時間を稼ぐことも出来たかも知れなかったが、恐怖のためにスケアリーはそれが出来なかった。そして、スケアリーが電話をしている事に気づいた梅木は「キサマ!」と唸るように声を吐き出しながら素早く彼女に近づいて来て彼女の頬に平手打ちを浴びせた。スケアリーがそれをまともに喰らうとスケアリーの持っていたスマホは大きくはじき飛ばされてから壁の方まで床を滑っていった。

 スケアリーも大きくよろめいたのだが、そこでようやく意識がはっきりしてきた。それは命の危機に瀕した時の防衛本能というものかも知れない。スケアリーは自分の銃が机の上に置いてある事に気づいてそれに飛びつこうとした。しかし、机の近くには梅木がいる。スケアリーが銃に手を伸ばす前に梅木がスケアリーを机の近くから引き離して、そのまま壁の方へ投げ飛ばした。

 スケアリーは絶望的な気持ちになっていた。FBLの捜査官として護身術は身につけているのだが、この場所の状況はどう考えても彼女に不利である。狭いこの部屋では身をかわすために必要なスペースがない。そして力の差を考えたら梅木と戦って彼女が助かる見込みはほとんどなさそうだ。

 それでも床に倒れ込んだスケアリーはなんとかして助かる方法を探していた。もうほとんどパニック状態だったのだが、彼女の視線の先に最後の希望と思えるものが見えた。そこには彼女のスマホが落ちていて、その画面には通話中と表示されていたのである。スケアリーは慌ててスマホのところに這っていった。すぐ背後には梅木の気配を感じていた。

「助けて!モオルダア!助けて!」

スマホにまだ手が届かないうちに梅木に襟首を掴まれたスケアリーが大声で叫んだ。それと同時に梅木が掴んでいたスケアリーの襟首を勢いよく引っ張った。

 スケアリーは後ろから引っ張られて体を起こされて、首に食い込んだシャツのせいでむせ返りながら膝で立っている体勢になった。彼女の後ろから服を掴んでいる梅木の手を振りほどこうともがいてみたが、動く度に彼女のスーツが破れてビリ、ビリと音を立てているだけだった。

 梅木にとってはこのような抵抗は取るに足らないものだったようだ。彼は服を掴んでいた手と反対側の腕をスケアリーの首に巻き付いた。そして、服から手を離してその腕を首に回した方の腕の手首のところに巻き付ける。

 このままスケアリーの首を締め付けていけば彼女は気を失うに違いない。しかし、梅木の腕の下にかろうじてスケアリーの顎が入っていた。そのせいで梅木は思うようにスケアリーの首を絞められないようだ。

 スケアリーは両手で梅木の腕を引きはがそうとしているのだが、この体勢になってしまうとほとんど無力である。しかし、梅木もこのままでは埒ああがかないとでも思ったようで、いったん腕の力を緩めた。それによってスケアリーにスキが出来たら今度こそ彼女の首に腕を巻き付けられると思ったようだった。

 しかし、スケアリーも諦めない。死にもの狂いとはこういうことを言うのかも知れないが、梅木が力を緩めた瞬間、彼女の顎と腕の間に出来た少しの隙間に顔を埋めてそのまま梅木の腕に噛みついたのだ。

 この場合に躊躇などしていられない。スケアリーはありったけの力を込めて腕に噛みついた。梅木の汗の味がしたすぐ後に口の中に梅木の血が流れてくるのを感じた。それでもなおスケアリーは顎に力を込めた。

 梅木はこの痛みには耐えかねたようだった。まだスケアリーに腕を巻き付けたまま、ひざ立ちの状態からスケアリーを抱えたままゆっくり立ち上がった。彼女は噛みついた腕を放そうとしない。痛みが限界に達して呻き声を上げながら、梅木はスケアリーの首を絞めるのをあきらめた。そして腕をスケアリーの首から放すと力任せにスケアリーを投げ飛ばした。スケアリーの後ろの壁まではほとんど距離は無かった。投げ飛ばされた勢いそのままにスケアリーが背中をぶつける。そして、運の悪い事にそこは壁では無くて硬い木の柱だった。スケアリーはそこに背中を打ち付けた反動でさらに後頭部を強打してしまった。スケアリーの頭蓋骨の中で衝撃が増幅されて彼女にはその時バーンと大きな音が響いたように聞こえた。

 そして、そのすぐ後にスケアリーの視界は真っ暗になってしまった。

 意識をなくして倒れたスケアリーのところへ腕から血を流しながら梅木がゆっくりと近づいてくる。そして、さっきと同じようにスケアリーをうつぶせにすると、もう一度ロープを手に取った。

 梅木はスケアリーの背中の上で彼女の両手を重ねて、その手首をロープで縛り上げていった。さっきまでの格闘で荒くなっていた息づかいは、極度の興奮のため震えながらさらに荒くなっていた。

 無表情の梅木はスケアリーの腕を縛っていく。そして腕を縛り終えると、こんどは両足首にロープをグルグルと巻いていった。