なぜこのような下書きを掲載するのか。それに、なぜ風邪でほぼダウンの状態でこのような絵を描き始めるのか。
それはタブレットを買ったのが嬉しいからである。
前回、古いタブレットで描いた下書きを見てもらえば解るかも知れないが今回は線がかなりハッキリとしている。前回の下書きは震えた手で描かれたような感じだが、あれはタブレットの故障のせいなのである。(決して酒のせいではない。)
今回描かれているのは「横から見たダークマタン風」である。同じキャラクターを別の角度から描くということはしたことがないので、「前からみたダークマタン」とは印象が違って見える。だが最終的には、いつものように色を付ける時の力業でなんとかなるのかも知れない。
ということで、先程は面倒で「そのうち」扱いになっていたペンタブレットで絵を描く時の使用感だが「結構イイカモ」である。新しいのだから当たり前である。ただしマウスの方に少しだけ問題があるのだが、それは面倒なので「そのうち」である。
<!-- ちなみに前回の下書きは最終的にこのようになったのである。-->
これはイタズラ書きではない。あまりにも適当すぎであるが下書きである。
パソコンで絵を描く時にはこれぐらいの下書きでじゅうぶんなのである。「MUSEUM」のカテゴリーにみられる他のシャーペン画のように描き込んでしまうと、それ以上にイメージがふくらまないことが良くあるのだ。
ただしこれはあまりにも適当すぎて、なんのための線か解らないものが沢山描かれている。それでも、すでにこの下絵を元に一つの作品が出来上がっているのだ。
それがどんなものになったのかは、次回の私のヴァーチャル・アルバム "Technologia"の発表で明らかになる。お楽しみに、である。
ここブラックホール・スタジオのベランダではこの寒い季節にも関わらずヒョウタンやヘチマの実が青々と実っている。それは異常気象や温暖化の影響ではない。ここで育った生き物はみな不思議な能力を身につけるだ。
その能力のために、あるものは命を狙われ、あるものはその能力を我が物にしようと企む者達に利用される。このアトミック・ヒョータンも同様である。不思議なレディエーション・パワーによっていつまでもその実は枯れることなく実り続ける。酒を入れて誰かの腰にくくりつけられたり、中から駒を出すことも許されないのである。
まったく意味が解らないが、ファイルの整理をしていたら写真をいじったオモシロCGが出てきたのでここに発表するのである。サイナラ!
「(小4)とは偉大な芸術家である」とは何かの聞き間違いであろう。(小4)は何もせずにその成長を見守るだけである。
成長すればするほどキモくなる「何かの結晶」のキモさはとうとう芸術の域にまで達している。(小4)は何の結晶かも解らずにただただキモわるがっている。
それよりも「偉大」なのは何か、ということが問題である。子供向け化学の実験セットを買ってきて作り上げた結晶なのだから「科学とは偉大な芸術家である」なのか。
しかし、科学的根拠に基づいて作られた実験セットであるが結晶を作るのは自然の力でもある。だから「自然は偉大な芸術家である」ともいえるのだ。
ただし、この問題が解決したからといって、それが特に意味のあることではないのだが。それに、この画像はギラギラして荘厳な感じさえするが、実際にはそれほどでもない。二つのライトを当てて撮影したあと、さらに(小4)の手によって多少の画像補正がなされている。
「(小4)とは偉大な詐欺師である」
懐かしすぎるうえにオリジナルのファイルが見つからない、かなり初期のCG作品。これをCGと言って良いのかどうかは解らないが、パソコンで作ったのだからそれはCGに違いない。
文字と右上奥の看板のようなもの以外は全てフリー素材集のものを使っている。一度使ったらもう一度同じものを使いづらい(この人またこの写真使ってると思われそうで…)フリー素材集CDからの素材を惜しげもなく使っている。
そう言えば、このMUSEUMのカテゴリーは忘れ去られかけている。
ということなので、見つかった過去の名作集。というかそれほど名作ではないけれども、せっかく作ったのに今では誰の目にも触れることがないのでここに公開です。
「Little Mustapha's 10Minutes」とはLittle Mustapha's Black holeが休止されていた間だけ存在していた幻のサイトの名称である。本当は10分ぐらいの休止のはずが結構長くなってしまって半年以上休止状態は続いていたのだが「Little Mustapha's 10Minutes」は結局一度も更新されることはなかった。
そんな感じの「Little Mustapha's 10Minutes」に訪れると最初に表示されていたのがこの画像なのである。技術的にも芸術的にもすごいところなどあまりないのだが、実はすごい奇跡がなくもない、ということなのである。
警戒心が強くて滅多に写真に写ろうとしないカラスの写真が二枚も使われているのだ。カラスの撮影に成功したのはこの写真を撮った時以外に一度もない。その点に置いてだけこの作品は価値のあるものなのである。
この時のカラスの協力があったために、Little Mustapha's Black holeではどんなに生ゴミを散らかそうともカラスが悪いとは言えなくなったのです。というか、必要以上に生ゴミを出すからいけないんだよ、と逆にカラス目線です。
だんだんワケが解らなくなりますが、カラスはカラスより頭の悪い人よりも頭が良いので気を付けましょう。(もしかして私かも?と思った方はカラスより頭がいい人です。これ以上書くと長くなるうえに、私が嫌われてしまいそうなのでやめておきます。サイナラ)
GIMPというのは楽しいねえ。ホントにPhotoshopキラーかどうかは別として、Photoshopとはまったく違うことも出来てしまったりもするのです。
ということで、いろんなフィルターを適当に実験してたら変な絵が出来たので、適当な感じで公開してしまいます。(最近この「MUSEUM」のカテゴリーに投稿してなかったしね。)
何よりも素晴らしいのはGIMPはタダで使えるということです。Photoshopがあまりにもプロフェッショナルな値段なので買えない、という人は使ってみましょう。
<!-- あまりにも適当な感じでできあがったこの絵に限り著作権フリーです。何かの素材になる?ならない?キモイ壁紙にはなるかもよ。-->
夢の中に現れて一晩中私を追い回した恐怖の宇宙人です。こうしてみると怖くないのですが、夢の中ではホントに生きているので結構怖かった。笑っちゃうかも知れませんが、本気で怖かったのです。私も書いてみて「こんなかわいいはずはない」と思ったのですが、記憶の中にあるものをほぼ忠実に再現しています。
ブヨブヨモンスターは始めとても巨大で高層ビルを次々に破壊していきました。私はデパートの屋上からその様子を見ていたのですが、いつしかブヨブヨモンスターが人間サイズになってデパートの屋上に現れます。そして人間を追い回しているのです。
一度はデパートの中に逃げた私ですが、そこはホラー好きの見る夢。なぜかまた屋上に行かなければいけないことになります。屋上にはなんのためか知りませんが私の他に何人かの人がいました。ブヨブヨモンスターの姿はありません。私もなんで屋上に行ったのか解らないのですが、屋上を歩いていると他の人たちがこちらに向かって走ってきます。そしてそれを追いかけて来たブヨブヨモンスターの姿も見えました。
ブヨブヨモンスターはこんなことを言いながら人々を追いかけていました。まるで「なまはげ」みたいな感じで。「エロい子はいねーかあ!エロい子供はいねーかあ!」
笑える話なのですが、悪夢というのは何が起きても悪夢なのです。この後もダラダラと長く続きましたが、後は話がとぎれとぎれなので全然意味が解りません。夢は見ていないと思っても、実は記憶に残っていないだけで、ほとんど毎日見ているという話もあります。私は毎日こんな夢を見ているのでしょうか?なんだか心配になってきますよ。
<!-- みなさんもこういう楽しい夢を見ることが出来ますように…。-->
昨日「忘れてた!」って書いたことすら忘れてた「講義ノートの宇宙」ですが、早くも最終回を向かえてしまいました。よく見れば解るとおり、今回の作品は講義ノートではなくてプリントの裏、なのですが気にしてはいけません。
作品其の7「自画像」
驚きましたか?実は私こんなドロドロ人間なんです。ということはありませんが、私が講義を受けている時の「眠〜い」「つまら〜ん」「くだら〜ん」といった様々な表情が一つの顔の中に現れているのです。作者のその後の人生を支配する「あらゆるものへの倦怠」或いは「変態?」を予言したかのようなこの作品こそ、この「講義ノートの宇宙」最終回にふさわしい作品ではないでしょうか?
まいどのことですが、説明はいつもあとから考えたものです。それにしても、どうしてあの時はこんなキモイいものが描けたのか、不思議です。
あまりにも中途半端ですが、最終回はこの辺でお終い。次回からの新シリーズでお目にかかりましょう!アディオ〜ス!
思い出したので二夜連続です。
作品其の6「Arrows of Sorrow」
もはやノートなどとる気はないのか?ノート一面に描かれたメッセージと矢印、そしてその他のもの。この詩的な作品に込められているのは、どこへ向かうのか解らないつまらない講義に対する怒りなのか?それとも作者自身の先の見えない状況に対する不安なのか?
それにしても字が汚い。たまに韻を踏んでいるが字が汚い。今でもたまに韻を踏んでいるが、今ではもっと字が汚い。紙に字を書くことがほとんどなくなってしまったから。
どうでもいいのですが、部屋を整理すればまだまだ出てきそうなノートのイタズラ書き。でも今のところ残すは後一枚。次回でとりあえず「講義ノートの宇宙」シリーズは最終回。ご期待ください(?)
すっかり忘れていたこのシリーズ。前回で後期作品の代表作は紹介し終えたので、今回からは初期から中期までを重点的に紹介していきます。
作品其の5「三人の男」
まず注目すべきは、この絵の大きさです。後期作品に比べて初期の作品はノートのスペースを広く使った作品が多く見られます。講義ノートに字を書くことがほとんどなかったことを表すこの作品では、当時の作者にとっての講義の重要度がどれほどであったかが見て取れます。
そして、そこに描かれている三人のダメな人たち。そして変な物体。ある説では上の二人は下の眠っているような男の見ている夢か幻覚である、とされている。
また、別のある説ではこの三人の男達は目の前に現れた変な物体に対してそれぞれに反応を示しているのだ、とされている。
以上の二つの説はさっき私が考えたもの、とされているのだがそんなことはどうでもいい。ノートのイタズラ書きにそれらしい説明を付けることは結構面倒な作業、とされているのだから。
作品其の4「歌う半分ドロドロ」
後期の作品の中で最もキモイと評される作品です。絡み合った胴体の先には手と半分ドロドロの頭が。その後ろには甲羅?線が三本しかない譜面に書かれた音符はどんな旋律を奏でるのか。
病的なまでのシャーペン使いに、この絵が描かれた時の講義のつまらなさがにじみ出ています。
(このシリーズやってたの忘れてた)
作品其の3「魚」
社会的メッセージがありそうで無いこの作品。いつからか「伝えたいメッセージなんか無い」というのが私の作品に込められたメッセージになってしまったので、ここにもメッセージは無いのです。見る人の感覚次第というポップなアート感を、ポップな書体で書かれた「MURDER」の文字で表現しています。更にそのポップ感を隣に描かれた漫画的な「ヘビ君」が打ち消しています。
こういう作品が出来るのは眠い講義の中でも特に眠い時です。そんな状況でも、輪郭を描くだけでなく塗りつぶしてあるところがこの作品の素晴らしいところかも知れません。