「回人」

16. 病院

 モオルダアが飛び起きた時にいた場所は病院のベッドの上だった。モオルダアがあまりにも驚いていたので部屋にいたスケアリーも少し緊張した様子で彼を見ていた。

 目覚めた瞬間はここがどこかも解らなかったモオルダアだったが、スケアリーの声に驚いた時の緊張感のおかげで彼の意識は全力で周囲の状況を把握しようと動き始めた。ほどなくして、モオルダアはここが病院だと気づいた。部屋の様子からしても失踪事件の被害者である守山が入院していたのと同じ病院に違いない。

 ということは、さっきの暗闇での出来事はなんだったのだろうか?とモオルダアは考えた。あれが夢だったというのなら、そうかもしれない。話の一部分はモオルダアにとっては理想的とも言える内容だった。つまり若い野々山葉菜がモオルダアのことを気に入っているというところだ。だが、そうなると「スケアリーを痛い目にあわせる」というのも彼が意識の奥で望んでいることなのだろうか?

「ちょいとモオルダア!」

モオルダアがスケアリーに対してちょっとした罪悪感を抱いていたところに、スケアリー大きめの声がしてモオルダアはビクッとなって彼女の方を見た。

「ちょいと、しっかりしてくださいな。あたくしの見事な推理がなければ、今頃はあなたは他の被害者たちと同じように行方不明になっていたかも知れないんですのよ」

「そうなの?」

モオルダアの気の抜けるような反応にスケアリーはイラッとしていたが、モオルダアとしては少し納得のいかないところもある。確かに、これまで調べてきた失踪事件のように、モオルダアの記憶も途中から消えている。しかし、他の事件とは状況がかなり違う気もした。彼は誰か、つまり早良千尋が言うところこの「回人」とすれ違ったのではなくて、野々山葉菜を追いかけているうちに意識を失ったのだ。それに他の被害者たちのように恐ろしい体験はしていない。

「ボクはどうやってここに来たんだ?」

さらに気の抜けるようなモオルダアの質問にスケアリーはイラッとするのはよして呆れることにした。

「本当に何も覚えていないんですのね。あなた、あの森の公園の道端に倒れていたんですのよ」

「道端に?いや、ボクは洞穴のような場所にいた気がするんだけど。いや、確かにいたんだよ。洞穴じゃないとしてもかなり暗かったから。街灯のあるあの公園とは思えないよ」

「でも、あなた記憶がないんでございましょ?それに女性の力であなたを離れた場所まで運んでいくなんて無理ですわ」

「女性?」

「そうですわよ。あなたが追いかけていったあの女性ですわよ。あたくしがもっと早くに気づくべきでしたけれど。これまでのことから考えても、あなたに何かをしたのはあの女性しか考えられませんわ」

「でもボクの幽かな記憶の中では二人の声が聞こえていたんだ。それに一人は男の声だったし」

「それならそうかも知れませんけれど。でもどうしてわざわざ連れ去った人を元の公園に戻したりするんですの?」

そう言われると確かにおかしな話である。モオルダアは彼の記憶の中にある暗闇の中での会話の内容についてもっと考えたかったのだが、スケアリーにはまだ言いたいことがあるようだ。

「それから、あなたが寝ている間に精密検査をしてみたんですけれど、興味深いものが検出されたんですの」

「どんな?」

「動物の発するフェロモンに似た物質ですの。あたくし、これでこれまでの事件のことも説明がつくと思うんですけれど。あの野々山葉菜を名乗る女性は何かにつけてあなたに近づくような行動をとっていましたでしょ?その時に何か仕込まれたんじゃないか?って思うんですけれど」

モオルダアとしては、彼女が近づいてきたのは自分に好意があるからだと思いたかったのだが、そんな上手い話はなさそうだし、なにか別の意図があったとしてもおかしくはなさそうだ。

 それはともかく、フェロモンには人を惹きつけるような作用の他に、天敵への警戒のために恐怖心を煽るような作用をするものもある。失踪した人たちの恐ろしい体験というのはそこに原因があるとも考えられる。

 スケアリーの説には納得できるようなところもあり、出来ないようなところもあるのだが、モオルダアはさっきスケアリーが話した内容に気になることがあるのを思い出した。

「キミは『野々山葉菜を名乗る女性』とか言ってたけど。彼女が偽名を使ってるってことなの?」

「だって、おかしいでございましょ?事件に関わっていると疑われかねない女性が、事件に関連の有りそうな名前をわざわざ自分から名乗るなんて。あたくし、あの女性の態度が最初からおかしいと思っていたんですの。あたくしたちを挑発しているのか、あるいは捜査を混乱させるためなのか。でも、これは推測で決めつけてはいけないことですから今警察の方で調べてもらっていますの」

確かにそうかも知れない、とモオルダアは思っていた。そして、スケアリーが野々山葉菜を名乗る女性に対して敵対心むき出しなのはフェロモンのせいなんじゃないか?とも少し思っていた。