「回人」

27.

 古典的ゾンビ映画のようだ、とモオルダアは森の方を見て思った。彼らはおそらく森の中のほら穴のある場所にいた警官たちだが、何かが起きて意識を失い、そのままフラフラと歩いて森の中を公園の方へ向かってきているのだ。ほら穴の方は特に入念に調べるべきということで、かなりの大人数がいたようだが、その全員が夢遊病状態にされたようだ。

 モオルダアはゾンビのように歩く警官達がやって来る方へ向かって歩き出した。だがすぐにスケアリーがモオルダアの上着の袖を掴んで彼を止めた。

「ちょいと、モオルダア。あの状態を見て危険だとは思いませんの?誰が何をしたのかは解りませんけど、毒ガスのようなものが使われたとか、そんなこともありえますわよ」

「だとしても意識を失うだけだし。それに今すぐにいかないと、真実は永遠に闇に葬り去られることになるんだよ」

モオルダアのやけに大げさな表現にスケアリーは一瞬力が抜けたようになってしまった。その隙にモオルダアは小走りに森の方へ向かった。

 何人もの夢遊病状態の警官たちとすれ違ってほら穴の方へ向かって行くと、公園からの明かりも届かなくなってまた先に進むのが困難になってきた。ほら穴の周辺には警察が捜査のために設置した照明があったはずだが、それも消されているようである。

 モオルダアは懐中電灯を取り出して、その明かりを頼りに進んだ。やっとのことで、ほら穴のある開けた場所の近くまで来ることが出来た。するとほら穴の方からシャーとかシューとかいう風をきるような音が聞こえてくるのに気づいた。

 モオルダアは何か危険があるかも知れないと思って、一度その場に止まって身をかがめた。そしてほら穴の方の様子を伺ったが、さっきから聞こえてくる音は途切れることはないようだった。そこでモオルダアを追いかけてきたスケアリーと紀尾三刑事が彼に追いついた。

「なんなんですの?」

スケアリーは前方の暗がりにむかって目を凝らしていたが、風をきるような音がするだけで何も見えなかった。

「おそらく最終決戦が始まっているんだよ」

スケアリーは今が緊急事態に違いないのは解っていたが、そろそろモオルダアの曖昧すぎる言い方にイライラし始めていた。

「ちょいと、モオルダア。もう少し解りやすく説明できないんですの?」

モオルダアはスケアリーが今自分の横で恐ろしい目で自分を睨んでいるに違いないと思ったが、彼にも確信のないことなので説明のしようがないというのが正直なところだった。だがスケアリーにそう言われたことによって、スケアリーが怒るのとほら穴のところに行って何が起きているのかを確認するのと、どっちが危険か?と考えることにもなった。そして、スケアリーが怒るほうが怖いに決まっているということで、モオルダアは先に進むことにした。

「これはきっと、壮大な縄張り争いなんだよ」

スカエリーはモオルダアにそう言われても意味が理解できないまま、歩き出す彼をボンヤリ眺めてしまいそうになったが、慌てて彼のあとを追いかけた。


 ほら穴のある開けた場所まで来ると、二人の人物がお互いに向き合って身構えているのが幽かに見えてきた。さっきまで誰もいなかったように思えたのだが、その二人はモオルダアが近づくのに合わせて姿を表したかにも思えた。二人とも武器は持っていないようだし、まるで格闘技の試合のようでもあった。にらみ合って緊張感が高まって行く中で二人とも静止したまま動かない。しかし、その緊張感が極限まで高まった瞬間に一方が手を大きく振りかざしたかと思うと、前に足を踏み出した。それと同時に空気が揺れるような大きな音がして、もう一人の方へ向かって閃光が走った。

 さっきまで聞こえていた風を切るような音はこれだったに違いない。近くで聞くと相当激しい音だったが、それと同時に起きている現象はもっと凄まじいものであった。一方から発せられた衝撃波のような光がもう一人をめがけて空間を切り裂くように飛んでいくと、もう一人は両手で見えない壁を支えるような動作をする。するとその見えない壁のところで光が砕けて、バラバラになって小さくなった光は程なく消えていった。

 そして、今度はさっきの光を受け止めた方の一人が同じように手を振りかざして光を発した。その光を今度はもう一方が弾き返す。この光の攻撃を受けるたびにどちらもダメージを受けているようだが、この調子ではなかなか決着がつきそうにないと、モオルダアはそんなことを考えてしまったのだが、その前にのCGで作ったような光景は一体何なのか?ということを理解しないといけない。

「これって一体何なんですの?」

モオルダアの後についてきたスケアリーが言った。彼女はさっきからこんなことばかり言っている気がしていたが、実際にそんなことばかり起こるので、そう言うしかない。何か危険なことが起きていることは確かなので、彼女の手には銃が握られていた。

 モオルダアは目の前の状況に多少うろたえたようなところがあったが、それでもなんとか冷静になろうとしていた。閃光が発せられる度に戦っている二人の姿が暗がりにボンヤリと浮かび上がって見える。その一人は警察署長のように見えた。そして、もう一人の方は見たことがない人物だったが、署長と同様に高齢のようだった。

「あれは、署長じゃないか?それに、もう一人は…」

スケアリーに続いてモオルダアの後ろにやってきていた紀尾三刑事が言った。興奮した様子の紀尾三刑事の声が大きくて戦っている二人にも聞こえたようだった。彼らはモオルダア達のいる方へ視線を向けた。

「お前達、邪魔をするな!この男が全てやったんだ。この私が成敗してくれる!」

そう言ったのは警察署長だった。これまで起きていたことを考えると、本当に警察署長なのかは解らないが、その見た目は警察署長に違いなかった。

「騙されてはいかんぞ。この男こそ我々からすべてを奪おうとしているんだぞ」

もう一人が反論するのを聞いて、紀尾三刑事はハッとした様子だった。

「あんた、もしかして野々山さんか?」

紀尾三刑事はかつて森の公園のある場所を管理していた野々山のことは良く知っていたはずだった。だから顔を見たらすぐにそれが野々山かどうかは解るはずなのだが、どこかに違和感を感じていたようだった。不思議な力で閃光を発したりするようなところを見てしまったのだから、普通の人に思えないというのも無理はないが、それと同時に野々山は実際の年齢よりもずいぶん若く見える。

 いったいここで何が起きているのか?という事は全くわからないままだったが、一時的に停戦状態になった今が何かをするチャンスでもあった。そこでモオルダアが一歩前に進み出てきた。

「二人とも、もうこれ以上無駄なことはやめませんか。どうして町の人たちを巻き込んだりするんですか」

モオルダアの質問にしばらく返事はなかったが、先に野々山らしき男が口を開いた。

「それは、そいつが人の力を使って森を奪おうとするからだ」

「何を言うか。最初に我々の居場所を奪ったのはそっちの方だ」

また二人の間に緊張が高まってきたようだった。これ以上になるとまた二人が閃光でお互いを攻撃しそうな雰囲気がある。さっきはこっそり見ていたモオルダア達だったが、こんどはいることが解っているので、あの閃光が彼らの方へ向けられて発せられるかも知れない。それはなんとなく危険な気がする。モオルダアは思い切ってあの手を使うしかないと思った。今彼らが話していた内容からすればモオルダアの作戦は上手くいくはずだった。そうでない場合は、どうなるのか?と考えると恐ろしかったが、とにかく試してみるしかない。

「署長さん。あなたのその服の下ってどうなってるんですか?」

モオルダアがいきなり変なことを言い出すので、スケアリーは「何なんですの?」と思っていた。そして、モオルダアはホントに変態だったのかしら?とも思っていた。だが署長の方はなぜかうろたえたような様子だった。

「それから、あなたも。尻尾が見えてますよ」

今度は野々山らしき男の方を見てモオルダアが言った。野々山らしき男もそう言われて一瞬ひるんだような姿を見せた。しかしそのすぐ後に野々山らしき男は怒りをあらわにして歯を剥きだしにするとモオルダアを睨んだ。そして「ゴォォォ!」という唸り声を上げた。

「モオルダア、危ない!」

スケアリーがそう言った瞬間にモオルダアの視界が閃光に包まれたように真っ白になった。モオルダアは顔を背けて目をつむったが、実際には何も起きてないことに気づいてすぐに目を開けて辺りを見回した。

 「ゴォォォ!」という唸り声はまだ続いている。しかし、そこには野々山らしき男と署長の姿はなかった。その代わり「ゴォォォ!」という唸り声がする度に落ち葉や下草のガサガサいう音がしていた。

「私は夢でも見ているんだろうか…?」

紀尾三刑事が目の前の光景を呆然として見つめたまま言った。

「いや、これが現実ですよ。きっとこれまでが夢だったんです。びっくりするほど長い夢だったんですよ」

モオルダア自身も彼の予想が合っていたにもかかわらず、この光景を見て呆気にとられていた。

 彼らの目の前では二匹のタヌキが、威嚇の声を上げながら争っていたのだ。つまり、こんなことはなかなか信じられないのだが、この二匹のタヌキが野々山と署長に化けていたということに違いない。

 最後に野々山と署長の立っていた場所から判断すると、どっちのタヌキがどっちだったかは大体解った。しかし、しばらく戦いが続いて、激しく動いたり転がったりしているうちにどっちがどっちのタヌキだったか解らなくなってしまった。

「これって、どっちを応援すべきなんだろう?」

モオルダアがスケアリーに聞いてみたが、彼女は黙って目の前で戦っているタヌキを見ているしか出来なかった。ただ、心の中では「そんなことはどうでもイイですわ!」とは思っていた。