09. 平野邸
エフ・ビー・エルの二人は次の被害者の家に向かった。その途中でスケアリーは、もしかして早良千寛のあの状態は何かを隠すための演技なんじゃないかとも思っていたのだが、そう決めつける理由もないし、ただ事件についてぼんやりと考えながら黙っているしかなかった。
モオルダアの方は早良千寛の話していた「回人」のことを考えていた。失踪事件の被害者の最後の記憶に共通している、同じ姿の人間に何度もすれ違ったという現象に具体的な名前を付けられると、その現象自体が興味深いものに思えてくるのだ。モオルダアはペケファイル課の資料に似たような事件がなかったか?と考えてみたが、モオルダアも全てを記憶しているワケでもないので、詳しいことは解らない。
次の被害者である平野拓也(ひらのたくや)の家に着くまで、二人はそれぞれの理由でほとんど喋ることもなかった。
平野の家に着いた二人が玄関の呼び鈴を押すと、平野拓也本人が応対に出てきた。この辺りでは若い人の部類に入る20代後半の青年だが、彼も他の若者同様にこの街を出て都会で働いていた。
それが少し前に帰省した時にあの森を通ることがあって、その時に意識を失い行方不明になったということだ。今は療養も兼ねて都会には戻らずにそのまま実家で生活している。この青年とあの森の公園との関わりはというと、町議会議員である彼の父があの森の公園も含めたこの辺り一帯の開発を進めている、というものだ。
「あたくしエフ・ビー・エルのスケアリーと申しますけれど。差し支えなければあなたが行方不明になった事件について話を聞かせてもらいたいんですの」
さっきの早良千寛のこともあったので、スケアリーは少し慎重にたずねてみた。だが、そんな心配をする必要はなかったようで、平野拓也はここに出てきた時と同じような飄々とした態度で「良いですよ」と答えた。
先ほど話を聞いた早良千寛にはもともと精神的に弱い部分もあったということだし、それに比べたら若くて健康な平野のことであるし、だいぶ回復していると見て良いようだった。
「警察の記録によると、あなたがあの森で記憶を失う直前に数回誰かとすれ違ったということなのですけど。その人物について、その後なにか思い出したことなどありませんかしら?」
「特にないですね。あれからボクも詳しいことを思い出そうとしてたんですが。…何しろ変でしたからね。あの人たちはあんな公園で、本格的な装備の登山者みたいな格好してましたから。だけどそれ以外は何も…」
「顔に見覚えはありませんでしたの?」
「どうですかね。普通の顔というか。特徴もなかったと思いますが。何しろ夜でしたし」
「あなた自身は登山に興味がありますか?」
モオルダアが口を挟んだ。
「ボクがですか?昔から山よりも都会の方に憧れていましたし、特に登山には興味はないです」
平野の返事はそれほど興味深いものでもなかった。誰かとすれ違ったというのが本人の妄想のようなものであれば、こだわりや思い入れのようなものがすれ違う誰かの格好に影響するかも知れないと思ったのだが。モオルダアはそれだけ聞くとただ頷いただけだった。
「ところで、あなたのお父様はあの公園の開発をしたってことでしたわね。それについて誰かに妨害されているなんてことはありませんでした?」
「さあ…。そんな話は聞いたことがありません。この辺りの人は開発に関しては特に興味がないって感じですからね。森の中に遊歩道を作るだけで、環境破壊ってことでもないですから」
「あら、そうなんですの…」
スケアリーの方もあまり手応えの感じられない話だと思っていた。彼女としては、この失踪事件の被害者が全てあの森の公園の開発の関係者と繋がりがあるということで、そこに捜査の糸口が見つかると思っていた。開発に反対する人がいれば妨害のために何かをするということも考えられるし、逆に開発する側が反対派を陥れるために森を危険な場所に見せかけようとしているなんてこともあると思ったのだが。今のところそんな話は出て来そうもない。
なんだかスッキリしなかったが、聞くべきことは聞いたのでエフ・ビー・エルの二人は次の被害者のもとへ向かった。
その後でエフ・ビー・エルの二人が向かったのは三人目の被害者、実城二直司(みぎになおじ)の家だった。
中年の土木作業員である実城二と森の公園との関係は、彼が10年以上前に公園を作るための工事をした人間の中の一人である、ということだった。
彼の話もこれまでの被害者とほとんど同じであった。近道のために夜の公園を通った時に誰かとすれ違ったあとに意識を失っている。もちろんすれ違ったのは数回で、皆同じような格好をしていたということだ。
無口で疑り深いようなところのある実城二だったが、それが何か問題か?というとそれほどでもなく、エフ・ビー・エルの二人は話を切り上げて彼らの乗ってきた車に戻った。