「回人」

19. 夜の森の公園

 汗ばんだモオルダアが大急ぎで森の公園までやって来た。公園の入り口の駐車場にはスケアリーの車の他にパトカーも二台止まっていた。さっきのスケアリーとの電話のあとでなるべく急いでやって来たのだが、かなりの時間がかかってしまった。スケアリーの他に警官もいるようだが、ここで失踪した人たちがどのような状態で記憶をなくしたのかがハッキリ解らないのだし、人数が多いからといって安心できるワケではない。

 大体、この公園を捜索してあの野々山を名乗る女性が見つかるのかも良く解らないが。モオルダアは急に話に登場し始めた署長の存在が気になってきていた。署長はどういう理由でここの捜索を命じたのか。スケアリーがそこに同行しているのなら、それなりの理由がありそうでもある。しかしスケアリーの野々山を名乗る女性に対する憎悪ともいえるような感情を考えると、今回に関してはスケアリーも冷静さに欠いている気がする。

 夜の公園に入って行くと、周囲は森に囲まれるのだが、道沿いに設置してある電灯のおかげで、歩くのには十分な明るさがあった。ただし、これまでのことを考えると少し気味が悪いような気もする。

 警官が数人とスケアリーがいるはずなのだが、周囲からは物音が聞こえてこない。モオルダアは、あの野々山を名乗る女性をここで見つけて追いかけた時のことを思い出した。あの時、モオルダアが女性の後を追いかけたつもりだったが、実際には向かっているのと反対側の道に彼女はいた。それはこの森の公園の通路が見た目よりも入り組んでいるという証拠かも知れない。あるいはあの女性は道ではないところを通った可能性もある。

 いずれにしても、そういうことが出来るということは、あの女性はこの森の公園のことにかなり詳しいということに違いない。それなら、今もこの森のどこかに隠れていて、エフ・ビー・エルの二人や警官たちのことを監視しているということも考えられる。

 本当にそんなことがあるのなら、彼らは罠にはめられたようなものである。そんなことを考えたモオルダアが背筋をゾクゾクとさせていると、彼の歩いている道のすぐ近くで「うわっ!」という男の叫び声がして、モオルダアはその声の主以上に驚いて「オッホッ…!」と変な悲鳴を上げた。

 モオルダアは驚いて辺りを見回していたが、パニック状態でしばらくは何も把握できていなかった。やっと落ち着いてくると、さっき叫び声がした方から誰かが話している声が聞こえてきた。

「どうなさいましたの?」

「いや、すいません。急に動物が飛び出してきて。…あれは猫だったか。でも変な鳴き声もしたような…。私が大きな声を出したから、そいつも驚いて逃げていってしまいました」

「あら、そうなんですの。野良猫かしら。でも他の野生動物の可能性もありますわね」

どうやらスケアリーと警官が話しているようだ。モオルダアは少しホッとして道のない木の間をすり抜けて彼らの方へ向かった。

「やあ」

モオルダアがいきなり出てきてスケアリーと隣りにいた警官は少し驚いて彼の方を見つめていた。動物が飛び出してきたという話をしていたところに、木々の間の暗がりからモオルダアが出てきたのだから驚くのも当然である。

「ちょいと、何なんですの?!」

スケアリーは色々なことに苛立ちながら言った。その全ての原因はモオルダアなので、モオルダアに苛立っていたということだが。モオルダアの方ではそんなことは少しも気にしている様子はなかった。それがまたスケアリーを苛立たせるのだがそこを気にしていたらキリがないので、スケアリーとしては一度イラッとしたらそれ以上はイラッとしないことにしている。

「この公園は思っていた以上に複雑な作りになっているようだよ。なんていうか、まるで迷路ってことかな」

「どういうことですの?」

「木に隠れてて見えづらいけど、この道のすぐ向こうにボクのいた道があるんだよ。この公園内の道を知り尽くしていれば、同じ人と何度もすれ違うっていうアレも可能になると思うんだよね」

そう言うモオルダアに対してスケアリーは「そうですわね」とは思ったのだが、それがなんなのか?というと何でもないように思えた。まず同じ人と何度もすれ違うのは何のためなのか?とかその辺が解っていないので、やり方が解っても意味はなさそうなのだ。

「被害者たちが見た人物がこの公園内の道に詳しいとして、どうして何度もすれ違わないといけなかったのかしら?」

「ボクから検出されたというあのフェロモンだよ。被害者とすれ違う時に何らかの方法でフェロモンを放出するんだけど。一度だけじゃ効果がないから何度もやる必要があったんじゃないかと思うんだよ。そこで回人の登場ってワケだよ」

モオルダアの説を聞いてもスケアリーは納得できるようなできなような、という感じがしていた。

「とにかく、容疑者を捕まえて聞いてみれば良いんですわ」

モオルダアは「それもそうだ」と思ったが、どうしてこの森に容疑者がいるということになっているのか?というのが気になりだした。

「それで、容疑者は捕まったの?」

「そんなワケありませんわよ。でもこの森の公園に怪しい人がいるって通報があって、その特徴からして、あの野々山を名乗る女性に違いないってことになって。それで警察署長自らあたくしにも連絡くださって、こうして捜査をしているんですのよ」

「署長が直接?そこがどうも納得がいかないんだけど。この事件で協力を要請してきたのは、あの紀尾三刑事だよね。その紀尾三刑事は早々に家に帰ってしまったようなんだけど。どうして今になって署長がそんなに張り切りだしたのか」

「それは…、アレですわよ。あなた警察署にあった資料が盗まれて葉っぱにすり替わっていたの、ご存知かしら?そんなことがあると警察の面目に関わりますでしょ?それで署長が出てくるんじゃないかしら」

「だけど、紀尾三刑事はその盗まれた資料なんてものは最初からなかったって言ってたけど」

「それは、あの方の思い違いですわ。あたくしは確かに小堀かほりの資料を見たんですから」

「だとすれば、それは盗まれたのではなくて、キミが資料を見る直前に入れられたってことかも知れない。それを知るためには、こんな所を捜索していても意味がないと思うよ」

「どういうことですの?」

「こんなに人が沢山いたら回人は現れないんじゃないかな。回人がこの森の公園に来た人間の意識を失わせる方法が、ボクの考えたとおりだとしたらね。あるいは他の方法があるのだとしたら、それはそれで危険だと思うんだけど。それよりも、今日は休んで明日に備えるべきだぜ」

スケアリーにはモオルダアの言うことが理解できないし、最後に「ぜ」を付ける口調にはいつものようにイライラしてしまったのだが、この森の公園の捜索には意味がないというところは理解できた。モオルダアの言うとおりではないとしても、これだけの数の警官がやって来れば迷路のようになっている道を利用して逃げてしまったかも知れない。

 仕方ないのでモオルダアの言うとおりにホテルへ行って休むことにした。