1. 目覚め
モオルダアは目覚めると静かに目を開けた。視線の先には天井があったが、それはいつも見ている天井とは違うような気がした。ここは彼の寝室に違いない。しかし、いつものボロアパートではなかった。モオルダアは不思議な感覚を覚えながら起き上がろうと思ったのだが、体が思うようにならなかった。仕方なくかろうじて動かせた頭を少しだけ胸の方に近づけて、目線を部屋の壁の方へ動かした。
すると、彼の寝ているベッドの足の方に子供が立っているのに気付いた。彼らは黙ってモオルダアの方を見ていたが、彼らが誰かを確認するよりも前に、モオルダアは疲弊しきった感じで頭を元に戻した。そして、一度目を閉じるとすぐにまた眠りに落ちた。
次に目を開けた時もまた同じ場所に寝ていた。前と同様に体を動かすのは億劫だった。それよりも自分のいる場所を確認したかった。目だけを動かして辺りの様子を探ってみると、どうやらモオルダアは今、介護用のベッドに寝ているようだった。そこに気付くとモオルダアは何かを思い出したような気がしてきた。F.B.L.の捜査官として活躍していたのは遠い昔の話だったのだ。今はこうして年老いて、残り少ない人生をベッドの上で力なく過ごしている。
そう思ってまた目を閉じかけたが、彼の頭の上で良く知っている声が聞こえてきた。それはローンガマンの三人の声に違いなかった。彼らはモオルダアの事について何やら話していたようだったが、モオルダアには彼らの姿を見ることが出来なかった。思うようにならない体で三人の方を見ることは不可能だった。
モオルダアは彼らの方を見るのは諦めて天井を眺めていたが、その視界の中にスケアリーが現れた。彼女は怒っているのか心配しているのか解らないような表情でベットの横からモオルダアの顔を覗き込んでいた。彼女は心に良くないものを抱えている時にはいつだって怒っているのか心配しているのか解らないような表情をしていたのだから、今も何を思っているのかは良く解らない。少なくとも良い気分ではないに違いない。
しかし、モオルダアには解らなかった。そして、不思議だった。モオルダアは年老いて今にも人生を終えようという感じなのに、スケアリーの顔は若いままなのである。モオルダアは不安になってスケアリーに何かを聞こうと思ったのだが、喉のフタが閉じたまま固まってしまったような感じで上手く声が出せなかった。そしてモオルダアが少し表情を曇らせると、スケアリーが「まったく、なんなんですの?!」と言いながら目に涙を浮かべていた。
モオルダアはさらに不安になったが、それ以上は何も出来ず、仕方なく目を閉じた。そして、次に目を開けた時には彼の予想していたものとは違う光景が目に入ってきた。そして、それを見てモオルダアはこれまでの事が全て夢だったのだと気付いた。
彼の視線の先にはいつものボロアパートの天井が見えていた。しかし、どう考えてもおかしな事があった。モオルダアは横になっている彼の胸から脇腹の方にかけて柔らかい人の肌の感触を感じていた。誰かが彼と一緒に寝ている。それ以外に考えられなかったが、いったい誰が彼の横にいるのか?モオルダアは横を向いてみたが、その人は布団の中のモオルダアの肩の横に顔を埋めるようにして寝ているのでそれが誰かは確認できなかった。
すると隣にいた誰かが布団の中で動いてモオルダアに覆い被さるような態勢になった。モオルダアの胸の辺りにその人の吐く生暖かい息が感じられた。体の特徴などからして、それは女性に違いなかったのだが。いや、女性じゃなかったら気持ち悪すぎるのでモオルダアは頼むからそれが(出来れば若い)女性であって欲しいとも思っていた。
そんなことよりも、誰が自分の寝ている布団に一緒に寝ているのかを確かめないといけない、とモオルダアは思ったのだが、それと同じタイミングで彼に覆い被さっていた人の頭が布団から出てきて、その顔をモオルダアの目の前に現した。
それは、恐らく女性だった。恐らくとはどういう事か?ということだが、モオルダアの目の前に現れたのは到底人間とは思えないような状態だったのである。彼の前に現れた顔は完全に腐敗していた。熟れすぎた果実のような頬を少しでも傷付ければ、中からドロドロと腐った肉から溶け出した液体が流れ出てくるに違いなかった。
それでもモオルダアは黙ってその腐った人間を見つめていた。どうしてそうするのか彼自身にも解らなかった。それは恐怖のためかも知れない。しかし、それは少し違う気もしていた。モオルダアは目の前に現れた腐った死体のような人間に対して抗しがたい魅力を感じていたのだ。モオルダアにとってその腐った人間は、なぜか彼の理性を失わせるような美女でもあったのだ。
何も出来ないままのモオルダアを見つめている腐った美女が口を開いた。ブヨブヨしてドロドロした感じなので本当にそこが口なのか解らなかったが、そこが開くとその顔がより人間らしくなったので、そこが口に違いなかった。口を開いた腐った美女が言った。
「やっと会えましたわね。あなた…」
腐った人間が言うと共に、口の中から腐敗液と原型をとどめていない内蔵のようなものが彼の顔を目がけて流れ出してきた。モオルダアは一度顔を背けてそれをよけたが、また目の前の腐った美女に眼を向けた。
「やっと会えましたわね。あなた…」
腐った人間は空洞でしかないような瞳を真っ直ぐモオルダアの方に向けてまた言った。その瞳に見入っているモオルダアは性的な興奮さえ覚えていた。しかし、目の前の腐った美女が口を開く度に、そこから腐敗液とドロドロのハラワタが彼の顔目がけて落ちてくる。その度にモオルダアは顔を背けていたが、よけきれなかった生暖かいものが彼の口の中にまで染み込んでくるとさすがにガマンできなくなってきた。
「やっと会えましたわね。あなた…」
腐った美女は何度も続けた。そしてその度にモオルダアの顔や胸の周りには腐敗液やドロドロした臓物が積み上げられているようで、彼の両耳のすぐ近くで液体が撥ねる時の音が響いていたが、やがて彼の耳が沈むほどのに液体がたまってきて、その音すら聞こえなくなっていた。考えられるあらゆるイヤなものが彼の周りで起きているような感じにもなってきた。そして、耐えられなくなったモオルダアがウワァッ!となって起き上がると、やっとのことでモオルダアは悪夢から解放されたようだった。
モオルダアは辺りを見まわして、介護用のベッドも腐った美女も夢だったことを確認すると、時計を見た。時刻は午前4時を少し過ぎたところだった。
「またこの夢か…」
そう呟いてモオルダアはまた横になって寝ようと思ったのだが、そうするとすぐに彼のボロアパートの扉を誰かが勢いよくノックする音がして、モオルダアはまたウワァッ!となって起き上がった。