12. 警察署
山村刑事は自分の机の椅子に座ったまま上体を少しのけ反らせると、頭をかきながらウーン…と困った様子で唸っていた。山村刑事に「上からの命令」を伝えた川村刑事も同じように困ったような顔をしていた。
何が彼らをそんなに困らせていたのか、という事だが。オイタ・ワカコの遺体を厳密に調べてみた結果、直接の死因を判断するのは困難だが、内蔵などに異常はなく殺人の証拠になるような外傷は背中に刺さった包丁だけということだった。そして、その傷口の状態から、それは死亡した後につけられた傷である可能性が高く、さらにミイラ化の事実は死亡から長時間が経過している事を示しているということなのだ。それで彼女の死因は自然死であるとされたので、二人の刑事はこの事件からは手を引いて良いということになったのである。
ここから話が始まったのならそれは当たり前の事かも知れないが、始めから読んだ人は、最初は若く美しい女性だった遺体が急激に変化してミイラ化したことはすでに解っているはずである。なので二人の刑事が困ってしまうのも解るはずだ。
二人の刑事が「急激なミイラ化」の事実を知りながらどうして抗議をしないのか?という気もするが。二人とも上部の人間にたてつくような人間ではなかったのである。少なくとも今日までは。しかし、今回ばかりは黙って「そうですか」と命令に従うわけにはいかないとも思っていた。
「キミ、どう思う?」
山村刑事が川村刑事に聞いた。すると川村刑事が少し間をあけてから、まとまらないままの返事をした。
「いや。確かに、こんな事は変ですけど。それに事件現場だって少し変でしたし。だいたいあんなふうに遺体がミイラになるっていうのが一番変ですけど…」
「それなのに、黙って手を引くのはもっと変だがな」
「でも上から言われたんじゃ…」
「まあ、私も上からの命令は絶対だと教わったが。キミもくたびれたベテラン刑事になりたいのなら、それでも良いだろうな」
「それって、どういう…?」
川村刑事はなんとなく目の前にいるくたびれたベテラン刑事に自分の将来の姿を当てはめてしまった。そうすると、少し不安な気持ちにもなった。
「私もそうやって命令には背かないようにしてきたんだが、今回だけは別だと思うんだよね。まあ、キミはまだ若いのだし、下手なことは出来ないと思うが。私は今になってちょっとグレてみたくなった感じかな。真面目に生きるのは良いことだと思っていたが、真面目とマヌケは紙一重だって、こんな事態になってやっと気付いたとも思ってね」
なんだか、これまで知っていた山村刑事とは違う感じの発言に川村刑事は調子がはずれた感じにもなっていた。しかし、このまま上司の命令を聞いているだけでは山村刑事のようになってしまうのか?という不安も頭をよぎっていた。そして時と場合によって物事を都合良く捉える川村刑事としては、今は山村刑事に賛同ということで、大きく頷いてその意志を示していた。
13. 町田市じゃない場所
スケアリーは車を運転しながら、何でこんな面倒な事をしたのか?と思いながら少し苛ついていた。今向かっているのはスケアリーがさっき訪れた区役所の近くにある町田さんの家なのだが、一度モオルダアを迎えに行ってしまったために移動時間分を無駄にしているような気がしていたのだ。それだけでなく、今回はスケアリーにとって納得のいかない事が多すぎるので、それがさらに彼女を苛立たせていたのかも知れない。
そんな気配を感じたのか、モオルダアはなるべく彼女を刺激しないように黙って窓の外を見つめていたのだが、道沿いにある建物の前に人だかりが出来ているのを見て思わず「何だろう?」と呟いた。スケアリーはその言葉に反応してモオルダアの見ている先を見たのだが、彼女も「何かしら?」と思ったようだった。ただし苛ついているので何も言わずに運転を続けた。
そこは幹線道路からはずれた静かな道だったのだが、そんな場所に集まるのには多すぎる人の数で、その光景を見たら誰でも気になるに違いない。とはいっても集まっているのは百人足らずではあったのだが。それでもこの場所で、さらに日も暮れたこの時間には多すぎる人の数だ。狭い歩道を埋め尽くす感じで、ある建物を中心に歩道に沿って列が出来ていた。
モオルダアはその前を通り過ぎた後もしばらくその様子を眺めていたのだが、何だろう?と思う以外の事は何も解らなかったので、前を向いて黙っていた。