「再会」

23. 日没後、オイタの家

 モオルダアがオイタの家のある道にやって来ると、家から少し離れたところに車を止めたスケアリーが、その車に腰を軽くもたせかけて腕組みをして待っているのが見えた。スケアリーは少しうつむいて何かを考え込んでいるようだったが、モオルダアが近くまで来るとそれに気付いて、彼の方へ二三歩近づいてきた。

「ちょいと、モオルダア。一体何だって言うんですの?あたくし、あなたの最近の行動がすこしおかしいんじゃないかって、思っているんですけれど。何かが起きているのならパートナーであるあたくしにちゃんと説明してくれないと…」

モオルダアはそれを聞いているのかいないのか、良く解らない感じで黙々としてオイタの家の門のところまで歩いてくると、立ち入り禁止のテープをためらいもなくはずして中へ入っていった。

「ちょいと、モオルダア!」

モオルダアの行動を見て、驚いたスケアリーがかなり強い調子で言った。モオルダアもちょっと行きすぎたと思ったのか、一度立ち止まってスケアリーの方へ振り返った。

「ボクはオイタの夫としてこの家の所有権を主張したって良い立場だよね?それに殺人ではなくなったってことだし、入ったって大したことにはならないと思うけど。これはF.B.L.の正式な捜査なんだし」

「そうですけれど」

「それよりも、確認したいことがあるから。キミの意見も聞きたいと思ってね」

そう言ってモオルダアはまた黙々として家の中へ入って行った。その後をスケアリーが何なんですの?と思いながらついていった。


 モオルダアは廊下を歩いて或る部屋の前に来た。この光景は彼の夢の中で何度も見ているものである。手には包丁ではなく懐中電灯を持っているし、隣にいるのはミイラ化したオイタではなくてスケアリーだったが。

「ここに何があるって言うんですの?この部屋はすでに警察が厳密に調べていますし…。それにあなたは何でここが重要な部屋だって解るんですの?」

「見たことがなくても知っていること、っていうのは時々あったりしない?まあ、それはどうでも良いけど。警察が調べたのは殺人の手掛かりだけだと思うけど。この部屋には別の何かがあるような気がしてね」

モオルダアは扉を開けた。

 もちろん、その部屋にはモオルダアの後頭部もオイタの姿もなかったのだが、モオルダアは夢の中のあの不思議で恐ろしい雰囲気を思い出そうとしていた。そして、中に入るとモオルダアは部屋の明かりを点けた。

 部屋に入ってすぐにモオルダアは何かがおかしいと気付いた。夢の中では扉を開けると自分の後頭部が目に入ってくるような場所に机が置いてあったのだが、机は扉に対して横向きになっている。

「ここでボクの妻…じゃなくてオイタは殺されていたんだよね。まあ殺人じゃ無いから死んでいたんだけど」

「そうですけれど。それよりもモオルダア…」

スケアリーはモオルダアが知るはずのないことを知っているので驚いていた。モオルダアはまだこの現場には来ていないはずなのだ。もしかすると一人で警察の資料を調べて知ったのかも知れないが、これまでの色々なことの経緯と照らし合わせて見ると、彼がこの場所のことを知っているのがとても恐ろしいことにも思えてきた。

「あなたはいつこの現場のことを知ったんですの?」

「まあ、来るのは初めてだけど。ボクの考えではこの部屋には何かある。そして、それはあの辺かな?」

スケアリーが混乱して不安になりかけているのをよそに、モオルダアは部屋の壁の方を指さした。彼が指さした場所から机の方を見ると、夢の中で見た「机に向かった人の後頭部」が見える角度になる場所でもあった。


 モオルダアはその壁の方へ行って注意深く何かを探しているようだった。そして、すぐにその何かを見付けたようで、少し目を輝かせながらスケアリーを呼んだ。

「この壁の傷跡だけど、どう思う?」

「どう、って言われても。知りませんわ。壁に傷なんか良くあることじゃございませんこと?」

「でも、この部屋で起きたことを考えると、この高さと、この形は興味深いものになると思うんだけど。それに、真ん中についているこの半透明のかたまりだけど」

モオルダアは何かを確信したように話している。

 この家は古い木造の和風建築の家なのだが、この部屋は洋間になっていて、壁は土壁や漆喰ではなく壁紙の貼られたそれっぽい部屋になっていた。その壁の1.2メートルぐらいの高さの左右からちょうど真ん中辺りに小さな傷がついていた。

「これは何かしら?どこかで見たことがありますわね」

スケアリーはそう言いながらモオルダアが指摘した半透明の固まりに顔を近づけていた。

「多分、それは瞬間接着剤が固まったものだと思うよ」

モオルダアはポケットから小さなビニール袋とペンをとりだして、その白いかたまりの一部をペンのキャップの部分でビニール袋の中に落として入れた。

「どうしてそんなことが解るんですの?」

「いや。その固まりから考え始めたら、それが何かを推測するのは困難だけどね。結果から考えるとそれが瞬間接着剤だと考えるのが妥当だと思うんだよね」

スケアリーはこういう得意気なモオルダアには腹が立つのだが、今回はあまりにも冷静であるし、これまでのことから考えてもいつもと様子が違うので黙って聞いてみることにした。

「オイタはこの机のところで死んでいたんだよね?背中に包丁が刺さった状態で」

「そうですわよ」

「でも、そんな状況にもかかわらず警察は自然死として捜査を打ち切ったよね。確かに、生きた人間の背中に包丁を突き刺したとしたら、辺りに血が少しも流れていなかったしね。それに、重要なのはこれなんだけど。この椅子」

そう言いながら、モオルダアは机のところにあった椅子の背もたれに手をのせた。それを見てスケアリーはハッとすると同時に、どこかに苛ついた感覚を覚えていた。なにしろ、自分が気付かなかったことをモオルダアが気付いていたのだから。

「この椅子に座っていたとしたら、背中を包丁で刺すのはちょっと無理だよね」

確かにそうであった。それはオイタの遺体が発見された時にオイタが座っていた椅子なのだが、そこにオイタが座っていたとしたら首のすぐ下まで背もたれがあって、そこに座っている人間の背中を包丁で刺すことは無理だということを物語っていた。

「確かに、そうですけれど…」

これまでモオルダアの言うことは的を射ていたのでスケアリーには反論の余地がなかった。

「でも、それと壁の傷は何の関係があるんですの?」

それでもスケアリーとしては反論はしなくては気がすまないようだ。

「ボクの妻…じゃなくてオイタはすでに人間としては生きていなかったのかも知れないよ」

急に話が怪しくなってきてスケアリーは「はい?!」という感じになっていた。モオルダアが先を続けた。

「オイタは背中に包丁が刺さっていようがいまいが別の方法で死ぬことになっていたんだよね。まあ、死ぬと言うよりは最後の時と言った方がイイのかな。それはともかく、ただ最後の時を迎えるだけでは何かの都合が悪かったに違いないんだよ。それで、彼女の死を殺人に見せかける必要があって。さらにボクとオイタの離婚届を自分の遺体の傍らに置いておく必要もあったに違いないよ」

そろそろ何が何だか解らない感じのスケアリーだった。

「ですから、壁の傷は何なんですの?って聞いているんですけれど」

「うん。人間の骨格とか構造とかそういうところから考えると、自分の背中を自分で刺すのは不可能に近いよね。特に大きな包丁を骨だらけの背中に刺すのは大変な事だけど。でも壁に包丁を固定して、そこに勢いよく背中をぶつけるということだと、けっこう簡単にできたりすると思うんだけど」

モオルダアは上着のポケットからまたペンを取り出して壁のところに当てて説明を始めた。

「こんな感じで瞬間接着剤で包丁を壁に固定するでしょ。瞬間接着剤の特性として、それほど重くないものはピンポイントで接着してもちゃんとくっつくんだけど。でも、その場合は横向きの力には脆いんだよね。まあとにかく、この壁に包丁の柄の底の部分を接着して、刃の先が部屋の内側を向くようにしておくでしょ。そこへ勢いよくこの壁の方へ後ろ向きにぶつかるとどうなるのか?ということだと、どう考えても背中に包丁が刺さるんだけど。背中に包丁が刺さったら、ちょっと体を横に回転させれば瞬間接着剤はパキってなってすぐにはずれるはずだよね。それで、背中に包丁が刺さったまま、あの椅子の方へ歩いて行って、机の上に突っ伏す態勢になる。…あとは、なんていうか、その…最後の時の来るのを待つだけだけどね」

図書館での夢から覚めてここにスケアリーを呼び出して、これまでの説明を少女的第六感だけに頼ってしてきたモオルダアだったが、ここまで来ると「ホントかなあ?」という感じもしなくもなかった。ただし、それ以上にこれまで自分で話していたことが真実であるという確信がどこかにあったのも確かである。

 スケアリーはモオルダアの理論に対して反論すべき点はいくつもあると解っていたが、それに対して議論するよりも、オイタの背中に刺さっていた包丁が気になっていた。

「そういうことなら、オイタの背中に刺さっていた包丁は調べることが出来ますわよ。あたくしが申し出たら警察は今回の事件の証拠をこちらに提供してくれましたし。ただし、包丁に瞬間接着剤がついていたとして、それがあなたの理論が正しいと証明することにはなりませんわよ」

「まあね。でも壁に包丁をくっつける人には何か色々と深い事情がありそうだよね」

理論的なのか、デタラメなのか良く解らないモオルダアの推理にスケアリーは少し苛ついてきた。それに今回は最初の方からモオルダアの様子がどこかおかしくて、その辺に気を煩わせないといけないのもスケアリーとしては気に入らなかった。

「ちょいと、モオルダア。あなた本当にオイタとは面識はないんですの?何だかあなたの言うことを聞いていると…。何というのかしら…」

「ボクは知らないけどね。もしかしてむこうはボクが思っている以上にボクのことを知っているような気もするけど」

スケアリーはこの言葉に少しギョッとしていた。彼女の見付けた明治時代の写真。オイタとモオルダアと明治時代。その写真と今までのモオルダアの言動が結びつくような気がしてならなかったのだ。それが彼女を不安にさせて余計な想像をさせたようだった。

 スケアリーはモオルダアがオイタのようにミイラ化していくところを想像してしまったのだ。失われた時を一気に取り戻すかのように、急激に老化していきやがてパサパサの骨と皮のようになっていくモオルダア。その幻影を頭から振り払おうと、スケアリーは思わずモオルダアの腕を掴んだ。

「ちょいとモオルダア!」

急に腕を掴まれたモオルダアは驚いてスケアリーの方を見ていた。睡眠不足のせいか、顔色は悪く目の下にクマがクッキリと浮かんでいた。

「あなた、大丈夫なんですの?」

「なにが?」

「なにが?って。あなたは自分が今健康じゃないことぐらい解っているのでしょ?」

「まあね。自分の意識とは関係ないような夢ばかり見てるしね。全然眠れないから。それに…。まあ、これはいいかな」

何かを言いかけて止められると余計に気になる。

「良くありませんわよ!捜査に関してあたくし達の間で秘密は禁物ですのよ!」

それが捜査に関係あるのかは解らないがスケアリーが言うと、モオルダアも先を続けた。

「何ていうかさ。ある朝起きたら、人生の面倒なことを全てやり終えていて、もう死ぬのを待つばかりという状況になってたら良いと思ったりしない?ってことなんだけど」

モオルダアが言うのを聞いて、スケアリーは聞いたことを後悔していた。そんなことを聞いたら、モオルダアがミイラ化していく様子がさらに鮮明に脳裏に浮かんできてしまう。まさか、モオルダアは自分が明治時代から生きている事に気付いていないだけだとしたら…。いや、そんなことは有り得ませんわ!科学を信じるんですのよ!科学の目を失ったらペケファイル課の捜査はできませんわ!

「あたくし、無免許医師としてあなたに命令しますけれど、睡眠薬をあげますから今日はそれを飲んで良く眠りなさい。あなたのヘンな話はその目の下のクマが消えた後に聞くことにしますわ」

「まあ、そういうのならそうするけど…」

モオルダアはスケアリーの口調が「反論できない感じ」になってきているのに気付いて渋々了解したようだった。ただし、睡眠薬なんかでよく眠れるとは思わなかったが。それに気になることについてはまだ気になっていた。

「でも、この壁の…」

「そういうことならあたくしの方が得意だと言うことは知っていますでしょ。それが瞬間接着剤かどうか。それに包丁にもその痕跡があるかどうか。ちゃんと調べておきますからあなたは家に帰って寝るんですのよ!」

そう言ってスケアリーは手のひらをモオルダアの方に出すと、モオルダアは一瞬考えた後に「あぁ」と思ってさっき壁から剥がした白いかたまりの入った袋を取り出してスケアリーに渡した。